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教区報に毎月掲載されるルカ武藤謙一主教のメッセージ
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最新メッセージ

2018年10月号

 一六二一年、一人の日本人がマニラにあるドミニコ会の修道院を訪ね入会を希望します。
トマス西ひょうじ兵次です。
彼は熱心なキリシタンである両親の次男として生月島(長崎県)に生まれ、幼少期には有馬(現在の島原)のセミナリヨに学びますが、徳川家康の全国的禁教令によってマニラに逃れてきます。
マニラのドミニコ会は彼を大学で神学などを学ばせて様子をみますが、その信仰と勤勉さを認めて入会を許し、一六二四年には司祭に叙階します。
司祭になった彼は、すぐに日本で働くことを希望し、一六二九年十月に密かに長崎に上陸します。
その後京都、長崎、広島の宮島、大阪と迫害者の探索を逃れて転々と場所を変えながら秘跡を行って信徒を励まし、最後はまた長崎に戻ってきます。

一六三四年八月にスペイン人神父と共に捕らえられ、三ヵ月にわたって数々の拷問を受けた後、西坂の処刑場で穴吊りの刑によって殉教します。

カトリック教会は一九八七年に彼を含む一六名を聖人としますが、日本人司祭で最初の聖人となったのが聖トマス西でした。

 彼が密かに活動しているとき、マニラのドミニコ会修道院長らに宛てた手紙が何通か残っています。
その手紙の最後には、日本で働く者たちのために特別な祈りを求め、さらにマニラにいる仲間たちにも祈るように言ってくれと求めています。
ある手紙では「あなたがパードレ(司祭)たち、エルマーノ(助修道士)たちに命じて、祈りをするときには、わたしたちを心から神にゆだねるように願ってください。

わたしたちには祈りがもっとも必要なのです。」と結ばれています。

 日々命に危険を感じながら働く彼らにとって、遠く海のかなたでも祈っている仲間がいることが、何よりも励みになり、時に折れそうになる心の支えになったのだと思います。
彼だけではないでしょう。
殉教した一人ひとりのために、数知れない多くの人たちの祈りの支えがあったのです。

 代祷に心を込めて、と思わされています。


2018年9月号

 例年になく暑い日が続いています。
皆さん、お元気にお過ごしでしょうか。
この暑さの中で、今年も中高生のつどいが行われました。
今年は「ジュニア・キャンプ」と呼んで小学生高学年から参加できるようになりました。
場所は長崎市の高島です。
わたしも短時間でしたが一緒に過ごしました。
ゆったりと流れる時間のなかで、心が解放され童心にかえったような想いでした。
参加者は決して多くはありませんでしたが、きれいな海で泳ぎ、生き物に触れ、普段とは違う海辺でのゆったりとした時間を楽しんでいました。
テントに集まっての聖書のみ言葉の分かち合いの時間も参加者にとっては貴重な体験だったと思います。
このキャンプを計画してくださり、また子どもたちとともに三日間を過ごしてくださったスタッフの皆さんに感謝です。

 このキャンプのしおりの最初の頁には「中高生のつどいの目的」として「各教会単位では少ない青少年ですが、九州全体で見れば多くの若者がいます。子ども達が教区に仲間がいることを実感するため、また、信仰の助けとなるために開催しています。」と記されています。
日頃はさまざまな理由で教会に行くこともできない子どももいるかもしれませんが、このキャンプを通して自分がクリスチャンであること、また他の教会にも仲間がいることを実感したことと思います。

 教区内の教会にいる小学生、中高生、青年たちにこれからもこのような体験を少しでも多くしてほしいと願います。
さらに他教区の仲間たち、海外の仲間たちとも出会い、絆を深めていくことが一人ひとりの信仰生活をより豊かなものにしていくと信じます。
この年代ならではの豊かで柔軟な感性で、仲間たちとともに考え、感じ、体験することが、その後の人生の基礎となることでしょう。

 子どもたち、青年たちの教区内の仲間作りもなかなかうまくいかない現状ですが、それぞれの教会で子どもたち、若者たちを育てることを大切な宣教の課題としてくださることを願っています。

2018年8月号

 『戦争は人災です。』 今年の沖縄週間/沖縄の旅で訪れた「わびあいの里」で話を伺った謝花悦子(じゃはなえつこ)さんが最初に語った言葉です。
「わびあいの里」は沖縄本島本部半島から十キロほどにある伊江島にあります。
当時伊江島には東洋一と言われた飛行場があり、守備隊が配備されていたために米軍の攻撃目標とされ、五日間にわたる戦闘で、一般住民約千五百人を含む四千七百人余が犠牲となった島です。
戦後は米軍によって島の六割が軍用地として取られ、爆撃・落下傘降下等の演習地として使用されます。
土地を奪われた農民たちは、生きるために止むなく立ち上がり、米軍を相手に根気のいる長い必死の戦いを続けざるを得なくなります。
長い戦いの中で農民たちは自分たちのルールを生み出します。
「陳情規定」と呼ばれる以下のような約束事です。

一 、米軍と話をするときはなるべく大勢の中で何も手に持たないで座って話をすること耳より上に手をあげないこと

一 、決して短気をおこしたり相手の悪口を言わないこと

一 、うそ、偽りのことを言わないこと

一 、布令布告によらず道理と誠意をもって幼い子供を教え導いて行く態度で話すこと

一 、沖縄人同士は如何なることがあっても決してケンカはしない

一 、わたしたちは挑発にのらないため今後も常にこの規定を守りましょう

 伊江島でも米軍や日本政府の大きな力によっていかに住民の人権が侵され抑圧され続けてきたこと、にも拘わらず、根気強く非暴力の運動を続ける人々の忍耐強さとしなやかさを思います。

 戦後七十三回目の八月を迎えます。
九州教区では九日には長崎原爆記念礼拝が今年も捧げられます。
それぞれの地にあって戦争の犠牲となった方々の魂の平安を、今も苦しむ人々に平安がありますように、そして世界の平和のためにお祈りください。
そして主キリストの平和の器として生きる想いを新たにしたいものです。
「平和の最大の敵は無関心である」(「わびあいの里」に掲げられていた言葉)
「『非戦を唱えてもムダ』というあきらめが戦争を招く」(半藤一利氏の言葉)
心に留めたい言葉です。

 

2018年7月号

 毎主日、教区内の教会を巡杖していますが、どこの教会でも、一緒に礼拝することだけでなく、久しぶりにお会いする信徒の皆さんとお話しできるのも大きな楽しみです。

 先日は一年ぶりに宮崎聖三一教会へ伺いました。
昼食のとき、「何か嬉しかったことをお聞かせください」とお願いすると、お一人おひとりが順番にお話してくださいました。
教会生活のこと、お連れ合いが召されて一年が経ち少しずつ元気になってきたこと、ご家族のこと、ペットのこと、仕事のこと等々。
お一人おひとりの話をみんなで伺っていて笑いあり、突っ込みありで、楽しいひと時でした。

 ある方は、「わたしには長年ずっと赦せない人がいました。それがあるとき、もう赦してもいいのかなと思えるときがあり、それからすっと心が軽くなりました。聖餐式の度に罪の赦しを受け、新しい命に生かされることを実感できて本当に嬉しく思っています」と話してくださいました。

「わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。」と主の祈りで唱えますが、唱える度に心に引っかかるものを感じられる方もおられるかもしれません。
わたしたちにとって赦すことは簡単ではありません。
時には長い時間が必要なこともあると思います。
赦せない気持ちを抱えながら、それでもなお「わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします」と祈り続けることが大切です。

 赦すのは決して相手のためだけではありません。
赦すことは何よりも自分自身のためと言えるでしょう。
赦せない心を抱いたままでは人は不自由です。
赦せない相手が現れたら、あるいはその人のことを思い出す度に、笑顔は消え、心は凍り付き、冷たくなるでしょう。
赦すことによって自分らしくいることができるのです。

 これから暑さも厳しくなっていくことでしょう。
どうぞこの夏も心も体も健やかに過ごすことができますようにお祈りいたします。

2018年6月号

 四月十三日、熊本聖三一教会で九州地震記念礼拝が捧げられ、二年間にわたる九州地震被災者支援室の活動の区切りとしました。
今後は教区災害被災者支援室の活動として、不定期になりますが支援活動を行っていきます。
この二年間、わたしたちが被災者支援活動を行うことができたのは日本聖公会の各教区、教会また諸施設の皆さんの祈りと協力があってのことです。
特にボランティアとして熊本に来てくださった方々、送り出してくださった方々に感謝です。
海外の諸教会の皆さんの祈りと協力があったことも忘れられません。
また被災した熊本聖三一教会や降臨教会礼拝堂の修復も多くの皆さんの祈りと献金によってなされたこと、本当に主に感謝です。

わたしたちが聖公会という大きな神の家族の一員であることを実感させられました。

 十三日の日中、わたしも支援活動に参加しました。
一区切りとなるのでこれまで関わった方々に挨拶して回るのかと想像していましたが、最初はみなし仮設から新居への冷蔵庫や箪笥など大きな家具の運搬でした。
昼食後には自宅周辺に埋設したU字溝の周囲への土入れ整備など屋外作業が続きます。
最後に訪問した方も被災した家の内部の大工仕事をご自身でなさっていました。
被災当時は誰もが同じような状態ですが、時間が経つにつれて元の生活へと戻れる人と、被災した状態とあまり変わらない人の格差は、開いたハサミの刃のように時間の経過とともに広がっていきます。

まだまだ困難な状況に置かれている方も少なくないことを改めて認識しました。
また同時に、作業の休憩時間に被災者の方が語ってくださる言葉から、これまでの活動を通して本当に信頼され良い関係が築かれていることも分かり、嬉しく思いました。

 わたしたちにできることはごく小さなことでしかありませんが、これからも与えられた出会いを大切にし、丁寧に、心を込めて被災者の必要に少しでも応える働きができるようにとの思いを新たにしました。

2018年5月号

 一月号の「荒野の声」で井上明生兄が紹介してくださった帚木蓬生著の『守教』を大斎節中に読みました。
現在の大刀洗町付近が舞台になっている隠れキリシタンの小説です。
長崎だけではなく福岡にも密かに信仰を守り続けた多くのキリシタンがいたことを知り、改めてキリシタンの歴史に関心を持ちました。
久留米天使こども園の卒園式に行ったとき、教会の本棚に『信仰の道程 今村信徒発見百二十五周年記念誌』を見つけ、お借りしてこれも興味深く読みました。

 いつからキリシタンが今村にいたのかは、はっきりしていないようですが、早ければ大友宗麟の家臣の一人が大庄屋として来た一五五二年にはキリスト教の種がまかれたとのこと、また宣教師フロイスの報告に基づけば一五六一年とのことです。
その後久留米付近の布教は盛んになり、七千人以上の信徒がいたとのことですが、島原の乱以後、キリシタン取り締まりが厳しくなり、一六三九年にはジョアン又右衛門が本郷町獄門場ではりつけにされ殉教します。
彼の遺骸は、密かに信徒たちによって今村の竹藪に運ばれ埋葬されますが、信徒はそこを「ジョアン様のお墓」と呼んで大切に守っていました。
潜伏した信徒たちは、信徒同士で結婚して信仰を守り続けます。
二百年以上にわたって密かに信仰を継承し続けてきたキリシタンの存在は長崎の信徒発見から二年後の一八六七年に明らかになります。

一八七三年キリシタン禁令が解かれるまで、なおさまざまなことがありますが、その後今村に教会が建てられます。
現在の教会は一九一三年に建てられた赤レンガ造りの立派な聖堂ですが、その祭壇の下は殉教したジョアン又右衛門の墓があった場所です。

 久留米天使こども園での卒園式の帰りに、今村教会を訪ねました。
聖堂の静寂さのなかで幾世代にわたって信仰を受け継いでこられた信徒の信仰を思い、「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」(マタイ二四章三五節)
のみ言葉が浮かんできました。

2018年4月号

 〜復活の証人として〜
復活したイエスと弟子たちとの再会について、福音書はそれぞれ違った物語を記しています。
マタイによる福音書では、十一人はガリラヤへ行きイエスが指示しておられた山に登り、そこで復活のイエスに出会います。
ルカによる福音書では、二人の弟子がエマオに向かう途上で復活のイエスに出会い、宿での食事の時、パンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いて渡した時にそれが復活のイエスだと分かります。
またその二人がエルサレムに戻り弟子たちに伝えますが、そこにも復活の主が現われ、神からの力を与えられるまで都にとどまれと命じます。
ヨハネによる福音書では最初に墓の外で泣いているマグダラのマリアに復活の主が現れ、さらにユダヤ人たちを恐れて部屋に鍵をかけて集まっていた弟子たちの真ん中にイエスが現れます。
また八日後にはトマスも復活の主に出会います(ヨハネによる福音書二一章は後代の付加と考えられています)。
このように物語は違いますが、復活の主に出会った驚きと喜びが伝わってきます。

 ところがマルコによる福音書には弟子たちが復活のイエスに出会った報告がありません。
安息日が終わると婦人たちは墓に行きます。
そして墓の中で白い長い衣を着た若者に会い、イエスが復活したこと、そして弟子たちとペトロに『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と告げよと言われるのです。
そして福音書は「婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。」で終わっています(十六章九節以下は後代の付加と考えられています)。

復活のイエスに会う場所はガリラヤである、とだけが告げられていますが、実際に弟子たちがどのように復活の主と再会したのかは記されないままです。
ガリラヤは弟子たちの生活していた場所であり、「異邦人のガリラヤ」と呼ばれて蔑まれていた地域で、イエスが宣教活動を行った場所です。
何故マルコはこのような終わり方をしているのか。
わたしは、この福音書を読んだ者は、それぞれのガリラヤで復活のイエスと出会い、その出会いの物語を伝えていきなさい、ということではないかと考えます。
この福音書は「神の子、イエス・キリストの福音の初め」という書き出しで始まります。
イエスが復活されたところまでが「福音の初め」であり、その後はこの福音書を読んだ一人ひとりが、復活のイエスとどこで、どのように出会ったのか、どのように変えられ、どんな喜び、力、また希望を与えられたのか、それぞれの生き方を通して語っていきなさい、ということだと理解したいのです。

他のだれかではなく、わたしたち一人ひとりが復活の主の証人であり、主の福音を宣べ伝えていくのです。

 主イエス・キリストのご復活を心からお慶び申し上げます。

2018年3月号

 妻の両親から贈られた雛人形。
娘たちが小学生のころまでは毎年飾っていましたが、何時の頃からか飾らなくなり、福岡に来てからも物入れの一番奥にしまったままになっていました。
ところがある日家に帰ると十何年ぶりに飾られています。
雛人形の前で笑っている子どもたちの写真も出て来て懐かしく見ました。

 雛祭りのルーツを調べてみると、中国の「上巳(じょうし)」の節句だとのことです。
中国では三月三日に、水辺で身を清め、穢けがれを払う習慣があり、これが日本に伝わり、三月三日には穢れ払いの儀式が行われるようになったとのこと。
奈良時代には紙でできた「人形(ひとかた)」が登場し、平安時代には人形に厄を移して川に流す「流し雛」が誕生しました。
昔は食料や衛生の面などを考えても、成人する前に亡くなってしまう子どもたちが多くいたことでしょう。

我が子が無事に育ちますようにとの願いを込めて人形を川に流したのではないかと想像します。

 そんなことを思っていたらイザヤ書の「苦難の僕しもべ」のことが思い出されました。
「彼が担ったのはわたしたちの病 彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに わたしたちは思っていた 神の手にかかり、打たれたから 彼は苦しんでいるのだ、と。彼が刺し貫かれたのは わたしたちの背きのためであり 彼が打ち砕かれたのは わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって わたしたちに平和が与えられ 彼が受けた傷によって、わたしたちはいやされた。」(イザヤ書五十三章四節・五節)
わたしたちにとっての「苦難の僕」は主イエスです。
主イエス・キリストはわたしたちの罪の贖いとして十字架にかかり、その死と復活によって、わたしたちの罪の赦しと永遠の命を与えてくださいました。
大斎節を迎えています。主イエス・キリストの十字架をしっかりと仰ぎ見るときとしたいものです。

2018年2月号

今年も多くの方からクリスマスカードや年賀状をいただきました。
高齢になられてなお仕事や教会生活に励んでおられること、また幼稚園や保育園で出会った子どもたちが中学生、高校生になるなど、日頃ご無沙汰している方々の様子や想いを知ることができ、懐かしく一人ひとりのお顔を思い浮かべながら拝見しました。
そのなかで特に印象に残ったのはある女性からのものです。

 「先日、七十三年前のノートが出てきました。

 戦争末期、空襲で家が焼かれ地方へ疎開する友人たちの別れの言葉が書かれています。
そのどれも〝また会おうね〟という希望の言葉ではなく、〝絶対、死なないでね〟と結ばれていたのです。
私は胸が詰まりました。
当時の私たち、未来への希望も選択肢もない十六歳の青春でした。

 戦争が起こりそうな気配を感じるこのごろです。子どもたちに、私たちのような辛さを経験させてはならないと心から真剣に願っています。
すでに八十八歳、絶滅危惧種となった私のただ一つの願いは平和です。」

 戦争中、別れの言葉が「また会おうね」ではなかったという事実。
十六歳の若者たちにとっても将来の夢や希望よりも死の恐怖が身近なものであったことが分かります。
このような体験をされているからこそ、今の時代に不安を感じ平和を真剣に祈っておられる、その切実さが伝わってきます。
わたしもまた、「平和を」というこの方のただ一つの真剣な願いを自らのものとして受け止め直したいと思ったのです。
昨年を象徴する漢字に「北」という字が選ばれました。
この字は「人と人とが背を向けている様子」を表しているそうです。
相手に背を向けて脅威や不安を煽るのではなく、いのちの尊さにおいて等しい者として信頼をもって向き合い、語り合うことを大切にする社会であってほしいものです。

 大斎節が始まります。主キリストから委ねられた和解の務めを果たす平和の器として自らを整える時としたいと思います。

2018年1月号

「わたしの魂よ、主をたたえ すべてをあげて、尊いみ名をほめ歌おう」 (詩編一〇三編一節)

十一月に行われた第一一二教区会はすべての報告と議案が承認・可決され、新しい年の歩みが始まろうとしています。
この教区会のトピックの一つは教区体制の見直しです。

宣教合同会議を中心として次の教区会までに見直すことになりました。
それは教役者不足、信徒の高齢化、教区財政の逼迫など様々な要因によって今までの体制を継続していくことが困難になってきたからです。
先日、教区会後の最初の宣教合同会議が開催され、さっそくこの課題についても自由に意見を出し合いました。
その議論を通して気づかされたことは、体制を見直すとは、単に組織をスリム化すること、無駄をなくすこと、今までしていたことの何かを止めること、教区財政規模を縮小することではなく、今、教区の最優先の宣教課題は何かを考えることなのだということです。
各部会、各委員会がその宣教課題を共有し、それぞれの在り方を問い直していくことが、体制を見直す大切な視点だと改めて考えさせられました。
さらにそれはわたしたちが何を最も大きな喜びとするか、あるいはどんなことに喜びを見いだすかということでもあります。
それは個人にとっても同様です。
わたしたちは何を大切にし、どこに喜びを見いだしているのでしょうか。

 冒頭の詩編は、新しい年の最初の日(主イエス命名の日)の「朝の礼拝」で唱える詩編の冒頭の一節です。
新共同訳聖書では「わたしの魂よ、主をたたえよ。わたしの内にあるものはこぞって 聖なる御名をたたえよ。」となっています。
「わたしの魂よ、主をたたえよ」で新しい一年が始まるのです。
思うようにならないことも多いかもしれませんが、だからこそ「わたしの魂よ、主をたたえよ」を大切にしたいと思うのです。

主イエス・キリストのご降誕をお祝いし、新しい年も主の祝福が豊かにありますようお祈りいたします。

2017年12月号

 十一月四日、大口幼稚園の創立八十周年記念式が行われました。
聖堂での感謝礼拝、記念式典、その後は場所を移して卒園児である落語家の噺に笑い、楽しい昼食会と続きました。
この記念式には伊佐市長をはじめとする地元の方々、また卒園生や元職員の方などが来られ、礼拝から最後までずっと参加してくださいました。
礼拝や式典は厳粛なものでしたが、同時に和やかで家族的な雰囲気に包まれていました。
そんな様子を見ていて、またそれらの方々のお話しを聞いていて、大口幼稚園が地域の方々に本当によく仕え、地域の方々の必要に応えてきたこと、それ故にまた地域の人々に信頼され支えられてきたことを強く感じました。
婦人伝道師や信徒の方々の熱意と奉仕によって始められた働きは、さまざまな困難や試練を経つつも今日まで続けられ、多くの働き人を与えられ、地域に根付いたものとなりました。
そこにいつでも神の祝福と導きがあったことは言うまでもありません。

 タクシーに乗って教会の名前を告げても運転手は知らないが、幼稚園の名前を言うと大丈夫だった、という体験をされた方もおられると思います。
幼稚園が地域に根付いているということでしょう。
では教会は地域に根付いているのでしょうか?
また根付いているとはどういうことなのでしょうか?

 聖公会はパリッシュ制度を取っている教会です。
その意味するところは、それぞれの教会はその地域全体に仕える教会であり、地域の課題や地域の人々の関心を宣教の課題とするということです。
わたしたちの関心はともすると教会の中だけに向けられがちですが、パリッシュとしての地域の人々、ことに小さくされ、痛み苦しむ方々、癒しや救いを求めている方々の小さな声を聴き取ることのできる共同体でありたいものです。

 教会の暦は新しい年を迎えました。
九州教区の一つひとつの教会や施設の働きが、地域に開かれたものとなりますように祈りつつ歩んでまいりましょう。

2017年11月号

 今年の春、妻が福岡ベテル教会の庭の隅を耕して小さな畑を作り、キュウリ、ナス、ピーマン、ミニトマトなどを植えました。
福岡聖パウロ教会の信徒の方にも教えていただきながら、キュウリはだめでしたが、他の野菜はそれなりの収穫があり、ナスやピーマンはつい先日まで食卓にのっていました。
福岡でも稲刈りが盛んに行われており、収穫の秋、実りの秋を迎えています。

 わたしが子どもの頃、清里聖アンデレ教会では十月に収穫感謝礼拝をしていました。
高冷地のため、十一月では遅すぎるからだったと聞いています。
お米やたくさんの種類の野菜が聖所の前に捧げられ、普段よりも多くの信徒が礼拝に出席してその年の収穫を感謝し、お祝いしたのを覚えています。
観光地となる前の清里ではイースターやクリスマスと同じように大切な礼拝だったのです。

 九州教区のなかで農業に携わっておられる方が何人くらいおられるのか分かりませんが、わたしたちの多くは消費者であって生産者ではありません。
それでも収穫感謝の礼拝を捧げたいものです。
それはこの一年間、折々に与えられた恵みや導きを感謝するためです。
嬉しいこと、楽しいことがあって感謝です。
また思いがけない辛いこと、悲しいこと、苦しいことがあったとしても、その時には気がつかなくてもやはり神の恵みや見守りがきっとあったのではないでしょうか。
それもまた感謝です。

 つい最近、朝の礼拝の旧約日課で「恵みの業をもたらす種を蒔け。愛の実りを刈り入れよ。」(ホセア書十章十二節)というみ言葉を読みました。
わたしは恵みの業をもたらす種を蒔いただろうか、愛の実りを刈り入れることができるのだろうかと考えさせられます。
主を知ることに熱心であったか。
愛することに熱心であったか。

 この一年の間を振り返り、与えられた恵みに心から感謝し、思いを新たにして、教会の暦の始め、降臨節を迎えたいと思っています。

2017年10月号

  「神のみ言葉で造られたすべてのものよ 主のみ名を賛美せよ」(祈祷書 詩編一四八編五節)

大きなドングリの木を囲むように造られたウッドデッキのベンチに座り、酪農をしている女性の話しに耳を傾ける。
乳牛の世話をしている最中の骨折や怪我のこと、一人夜遅くまで牛舎で働く夫を気遣う想いや乳牛を大切に想う優しい気持ちが伝わってくる。

時折吹くそよ風が何とも心地よく、時間がゆっくりと過ぎてゆくように感じられる。
別の家の前にはいろんな野菜が栽培されている畑が広がり、烏骨鶏がえさをついばみながら歩いている。
ニホンミツバチが巣箱に出入りし、そのミツバチを捕らえようとオニヤンマがやって来るのだという。
畑の収穫はすべて取り尽さない。
半分を人間がいただき、残りの半分は野鳥や昆虫の餌としてそのままに、さらにその残りは土に返す。

すると翌年には種を蒔かなくても芽が出てくるとのこと、欲張らず、急がず、自然の営みのリズムに合わせ、自然と共に命を分かち合う生活がそこにはある。
ベランダに腰かけていただく昼食は、目の前の畑からとってきたばかりの生野菜のサラダ、パンにはハチミツをかけていただく。
足元では落ちたパンくずを運ぶアリの姿も。
澄んだ空気のなかでの食事は格別で、「人を育てる仕事をする人は、土に触れて野菜を育てるような時間、仕事とは全く関係ないように思われる時間が実は本当に大切だ」と語る友人の話しもまた楽しい。

 日ごろ時間に追われるように過ごし、大急ぎで移動しているようなわたしにとって、短い時間でしたが本当に豊かで心癒される一時でした。
神が創造された命の一つひとつが互いにつながり合って生きている自然の営みのなかに人もまた創造されたものとして共に在ることは確かに生きる原点なのでしょう。

 今年の夏の思い出のひとつをご紹介しました。

2017年9月号

 九州教区には五つの幼稚園、こども園があり、毎年夏には一泊二日の研修会を開催しています。
今年は大口幼稚園が担当して鹿児島で開催されました。
わたしは「キリスト教保育とは」というテーマで発題させていただき、その後グループに分かれて思いを分かち合いました。
若い先生たちがこのテーマで話し合いに参加できるだろうかと、少し不安に思っていたのですが、心配は無用でした。
どのグループでも若い先生たちも積極的に話し合いに加わっていたのです。
短い時間ではありましたが、キリスト教保育について互いに想いを分かち合えたことは嬉しいことでした。
また洗礼を受けているかどうかに関わりなく、一人ひとりの先生方が神によってそれぞれの園に召されて働いていることを実感した研修会でした。

 五つの幼稚園、こども園はどれも教会の働きとして始められました。
現在はそれぞれ法人格をもっていますが、今もその働きは「愛の奉仕によって人々の必要に応答すること」という教会の宣教の働きに他なりません。
二〇一二年に行われた日本聖公会宣教協議会の「日本聖公会〈宣教・牧会の十年〉提言」でも「教会の歩みの中で生まれてきた施設(保育園・幼稚園・学校・医療・社会福祉施設など)が宣教の働きであることを再認識し、地域社会においてそれらの施設と協働していきます。」とあります。
教区内の五つの幼稚園・こども園の働き、またリデル・ライトホームの働きを教区の宣教の働きとしてお覚えください。

 家庭の在り方が多様化し、格差と貧困の課題が顕著になり、またいじめなど子どもたちが生き辛く思える現代社会にあって、幼児期に関わる働きの重要性は増しているように思います。
子どもたち一人ひとりを、在るがままに愛してくださっている神がおられる、そのことを実感して生きていけるように、日々働いておられる先生たちを宣教のパートナーとして覚えお祈りください。

2017年8月号

 沖縄週間「沖縄の旅」に参加しました。
今回のプログラムの一つは基地の広さを実感するために嘉手納基地の周囲を歩くというものです。
嘉手納基地の周囲は二十キロメートル弱とのことですが、実際に歩いたのは五・五キロメートル。
それでも厳しい日差しの中汗だくで歩きました。
歩道橋の下の日陰で休憩中にガイドの方が、「わたしたちは反対運動をするために生まれてきたのではありません。子どもたち、孫たちにこんな思いをさせたくないのです。普天間基地だけでも本土に持って行ってください。それでも、全国の米軍基地の七十パーセント以上が沖縄にあるんです。」
また「沖縄に来て反対するのではなく、皆さんの地元で反対してください。」と語られました。

 日米安全保障条約に基づいて国内におかれている米軍基地、それは沖縄だけの課題ではなく、日本人全体の課題であるはずです。
しかしわたしは、「沖縄の課題」「沖縄の基地問題」というときに、自らを第三者的立場においているのではないか、自分自身の課題として受けとめていないのではないかと、問われたのだと感じました。
新たな課題を与えられた旅でした。

 またこの旅の最初に上原主教が永井隆氏の「いとし子よ」という文章を紹介してくださいました。
そこには「日本をめぐる国際情勢次第では、日本人の中から、『憲法を改めて戦争放棄の条項を削れ』と叫ぶ声が出ないとも限らない。そしてその叫びがもっともらしい理由をつけて、世論を日本の再武装に引き付けるかもしれない。もしも日本が再武装するような時代になったら、その時こそ、誠一よ、かやのよ、最後の二人になっても、どんなにののしりや暴力を受けても、きっぱりと戦争絶対反対を叫び続け、叫び通しておくれ。」とあり、「愛で身を固め、愛で国を固め、愛で人類が手を握ってこそ、平和で美しい世界が生まれてくるのだよ。」という文で結ばれていました。

 この夏、わたしたち一人ひとりが平和の器として整えられ用いられますよう、何をなすべきか祈りのなかで思い巡らしたいものです。

2017年7月号

 二十五年くらい前のことです。
静岡県の清水の教会は人数の少ない教会であり、特別な活動はしていませんでしたが、フライングエンジェルの看板が掲げられており、その看板を見て訪ねてきた船員を港まで送ったことがきっかけで、翌日その船を訪ねることになりました。
小さなマグロ船でスリランカ人の船員たちが六・七名いました。
たまたま小学校に入学する前の娘二人も同行したのですが、彼らは娘たちを見て大歓迎、狭い船内を走り回る娘たちをじっと見つめているのです。
その眼差しの真剣さと暖かさがとても印象深く、故郷の我が子にも思いを馳せているのかと感じました。
わたし一人だったらマグロのお土産はなかったかもしれません。

 毎年七月第二主日は「海の主日」と定められて、海員のため、またミッションズ・トゥ・シーフェアラーズ(MtS)のために祈り信施を献げる主日です。
世界の聖公会がこの主日を「海の主日」としています。
またカトリックも同様です。
北海道MtSの小冊子には「『船員』というと、陸で生活しているわたしたちには遠い存在のように感じられますが、わたしたちが生活するうえで欠くことのできないあらゆる日用品の九十九%、そして日本の輸出入全体の九九.七%が『みなと』を経由していると言われています。
つまり船員たちの働きがなければ、わたしたちの生活や生命が成り立たないほど、わたしたちは『船員と船員の働き』に深い関わりを持っていると言えるのです。」とあり、わたしたちの生活が如何に彼らの働きによって担われているかを伝えています。
しかし海員の立場は弱く、航海中も危険な労働や狭い住環境など問題やストレスを抱えることも多く、また上陸時間も限られていているとのことです。
MtSはこうした海員の必要に応えるために働いています。

 上述の小冊子は各教会に配られています。
どうぞご一読くださり、心を込めて海員とその家族、またMtSの働きを覚えて祈り捧げましょう。

2017年6月号

 四月二十九日(土)に菊池黎明教会の感謝礼拝(聖餐式)・聖別解除の祈りが行われました。
教区内諸教会の信徒・聖職、また菊池恵楓園の箕田園長や自治会の方々も出席くださり、約七十名であの聖堂での最後の礼拝を行いました。

 菊池黎明教会の聖堂は一九五二年(昭和二十七年)、好善社を通して米国救らい協会の資金援助によって建てられました。
それ以降も好善社や米国聖公会の婦人会、会員の皆さんの献金によって鐘楼や鐘、控室の増築がなされて現在に至りました。
そして一九七二年(昭和四十七年)七月に久保渕主教により教会認可式が行われました。
献堂式から六十五年、教会認可から四十五年になります。礼拝後の挨拶で自治会の太田明副会長は、子どものころこの聖堂でよく遊んだこと、クリスマスプレゼントをもらうことが本当に嬉しかったことなど思い出を語ってくださいました。
この聖堂は大人だけでなく子どもたちにとっても大切な場であったのです。
教区の青年たちにとっても菊池黎明教会の信徒の皆さんと共に礼拝し、共に食事をし、共に語り合った聖堂は、多くの気づきや感動を与えられた心の故郷のような大切な場でもあったと思います。

 菊池黎明教会を代表して中山弥弘さんは、「この聖堂で本当にたくさんの祈りが捧げられました。また多くの方々と交わることができました。地震によって被害を受けたこの建物を園に返還することを決断しましたが、『主が与え、主が取り給う』です。」と挨拶されました。
思いがけない地震によって聖堂を失うことになりましたが、聖堂があってもなくても揺るがない信仰をもって礼拝生活、信仰生活に励んでいく決意を感じました。

 「黎明」という名は、最も困難で厳しい神にも見捨てられたような状況にあっても、そこに神の意志は働いており必ず神は回復してくださるという信仰に基づいて命名されました。
わたしにとって聖堂が無くなる寂しさはありましたが、暁を待つ人々の強い信仰を思い巡らす感謝の一日でした。

2017年5月号

 春は別れと出会いの時であり、終わりの時であり新たな出発のときです。
新年度になって、幼稚園や子ども園では新入園児を迎えられたことでしょう。
入園、入学、就職と新しい環境へと進まれた方々もおられることでしょう。

 九州教区では三月末をもって中島省三司祭が定年退職を迎えられました。
これまでの中島司祭のお働きに改めて感謝です。
これからも嘱託司祭として働いてくださいます。
ウイリアムス神学館を卒業した塚本祐子聖職候補生は福岡聖パウロ教会で働き始めました。
またしばらく休んでおられた中村正司祭も復職し佐世保復活教会に定住されました。
これまでの皆さんのお祈りに感謝いたします。
さらに島優子聖職候補生は聖公会神学院に入学、三年間の学びと祈りの共同生活が始まりました。
どうぞお祈りください。
李浩平司祭は九州教区で働き始めてから十年目になります。
これまでの九年間は管区の宣教協働者という身分でしたが、これからは九州教区の宣教協働者として働いてくださいます。
どうぞよろしくお願いいたします。

 また二〇一二年から各教会が掲げて宣教・伝道に励んできた「五年後の夢」も三月で五年の節目を迎え、「五年後の夢各教会代表者会」が開催されました。
各教会の振り返りと代祷を互いに献げることを通して、宣教・伝道・礼拝への思いを新たにしました。
ぜひ教役者、各教会出席者からの報告をお聞きください。
そして五年後の夢を継続することも含めて今後の目標や課題を話し合い、神に信頼し心を一つにして信仰生活、また宣教・伝道にも励みたいものです。

 「わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの『外なる人』は衰えていくとしても、わたしたちの『内なる人』は日々新たにされていきます。」(コリントの信徒への手紙二 四章一六節)とパウロが語るように、主キリストの復活を祝うわたしたちは、日々新しい命を輝かせてまいりましょう。

2017年4月号

 二月に以前牧師をしていた教会の信徒が逝去されました。
小倉の教会出身の方ですが、在任中だけでなくその後もずっと家族ぐるみで親しくさせていただいています。
元気な方でしたが一年前に悪性腫瘍が見つかり治療を続けていました。
一月末に容態が悪いと連絡があり、翌日に千葉県の病院にお見舞いに行きました。
痛みもあり苦しそうでしたがまだ動くこともでき、お話しを聞きお祈りをして帰ってきました。
自分の病状も正確に把握しており、葬儀についても自分の希望をすべて牧師に伝えてあるとのことでした。
最後が近い状況で死について、葬儀についても家族と何のためらいもなく話すなど、死がタブーではないのです。
家族も含めて皆が現実を信仰的にしっかりと受け止めて笑いあり涙ありの穏やかで濃密な時間を過ごしておられました。

 まだ六十代前半で病気になり、さまざま葛藤があったと思います。
現実を受け入れるまでには「なぜ、わたしが…」という答えの見出せない神への問いを何回も繰り返したに違いありません。
不安に襲われ、時に涙したこともあったと想像します。
看護する家族の方も同様に悩み苦しんだと思います。
一年前に彼女に贈ったホールディングクロスは、表面の塗料が剥げており、この十字架を握りしめて祈り続けていたことが伺えました。
そして復活の信仰をもってすべてを受け止めたのでしょう。

 一週間後に家族に見守られて天に召され、葬儀は彼女の望んだように執り行われました。
復活の信仰、永遠の命の希望を抱いて召された彼女の葬儀は、悲しさよりも平安に満ちたものでした。

 この原稿を書いている今日は逝去一カ月の日。
「受けるよりは与える方が幸いである。」(使徒二〇章三五節)という彼女の愛称聖句とともに彼女の信仰の姿を思い浮かべています。

2017年3月号

今年の大斎始日は三月一日ですから、皆さんがこれをお読みになる時にはもう大斎節に入っているかもしれません。
大斎始日の礼拝では、前年の復活前主日に配られた棕櫚の十字架を燃やした灰で額に十字架のしるしを受けます。
その時に司式者は「あなたはちりであるから、ちりに帰らなければならないことを覚えなさい。罪を離れてキリストに忠誠を尽くしなさい」と言います。
大斎節は主キリストの受難を想い、自らの在り方を見つめ直し、罪の赦しと永遠の命の希望を確信しながら主キリストの復活に備えるときと言えます。
それ故に昔から克己と節制の時として何かを止めたり、あるいは普段していないことをしたりして大斎節を過ごす方も少なくありません。

わたしの小さいころ大斎節が近づくと父の口癖は「おかずはメザシだけ」でした。
実際にはそうではありませんでしたが、大斎節中は食事前の感謝の前に聖書を読まされました。
実際には五分もかかっていなかったと思うのですが、お腹がすいている子どもには長く感じられたものです。
だからでしょうか。
子どもの頃は大斎節を我慢のとき、苦しいときという印象をもっていました。

 しかし、大斎節は決してそんな辛く苦しいときではありません。
何をするか、しないかが大切なのではなく、それを通して普段以上に神に親しく近づき、神のもとに留まるときだからです。
克己することで主イエスの十字架の苦しみを思いめぐらし、聖書を読むこと、黙想することを通してちりに過ぎないわたしが赦され活かされていることを感謝し、他者の苦しみを覚えて祈ることを通して神と人とに仕える者とされていることを覚えるのです。
そのような豊かなときとして今年の大斎節を過ごしたいものです。

 なお、今年の聖金曜(受苦日)は四月十四日、復活日は十六日ですが、一年前には九州地震の「前震」、「本震」が起こった日です。すべての犠牲者、今も困難のうちにある被災者のため、また、被災者支援の働きのためにもお祈りください 。

2017年2月号

昨年もこの欄でお伝えしたことですが、今年から「堅信前の陪餐」ができるようになりました。
それぞれ一定の準備が必要ですが、おおむね学齢期に達した子どもたち、洗礼だけを受けていて堅信式を受けていない方、また洗礼式に主教が臨席していない場合には洗礼を受けた方が陪餐することができるようになります。
昨年十月には「日本聖公会主教会 牧会書簡│『堅信前の陪餐』について│ 」および「『堅信前の陪餐』に関わる一般原則」が出されました。
これを各教会で信徒と教役者が一緒になってよく読み理解を深めてくださるよう改めてお願いいたします。

 祈祷書の教会問答に「(問)キリストがすべての人の救いのために福音のうちに自ら定められた聖奠は何ですか(答)洗礼と聖餐です」(祈祷書二六二頁)とあるように、洗礼と聖餐とは主キリストがこれを行うようにと命じられた聖奠であり、だれにとっても救いのために必要なものです。
日本聖公会はずっと「堅信を受けた者は陪餐することができる」としてきましたが、牧会書簡にもあるように「主の食卓である聖餐に招かれ、その食卓を囲むキリストの体、また神の家族としてのわたしたちの教会が、ますます強められ、豊かにされるための」変化なのです。
もちろん堅信式がキリスト者にとって大切なものであることは何も変わりません。
それについても牧会書簡、一般原則をよくお読みください。

 わたしたちにとって聖餐に預かることは、宣教へと遣わされる霊の糧をいただくことであり、また聖餐によってキリストとの一致、キリストを通して互いに一つとされることは、キリストの福音を証しすることでもあります。

 わたしたちにとって欠かすことのできない洗礼、聖餐の恵みに預かる人が一人でも多く与えられるように、この一年も宣教・伝道に励みたいものです。
それぞれの教会にきっと洗礼を受けられた方、また子どもたちがいることでしょう。
教会全体でそれらの人たちと共に聖餐に預かることができるように、祈り招き支えてくださるようお願いいたします 。

2017年1月号

第一一一(定期)教区会 教区主教訓辞より

 今年も九州教区第一一一(定期)教区会のために九州各地からお集まりくださり心から感謝申し上げます。
教役者議員、信徒代議員の皆様、また職務などにより出席くださっている皆様、この二日間、どうぞよろしくお願いいたします。
またこの教区会を準備してくださった書記局、教区事務所をはじめこの教区会を支えてくださるすべての皆様に感謝いたします。

 四月十四日(木)午後九時二十六分、マグニチュード六・五、益城町で震度七の前震と呼ばれる最初の大きな地震が発生しました。
二十八時間後の十六日(土)午前一時二十五分には、マグニチュード七・三、益城町、西原村で震度七の本震が起こり、五十二名の方が直接地震によって亡くなるなど多くの被害がでました。
七カ月が経ち、新聞やテレビで報道されることも少なくなってきました。
被災地ではすべての避難所が閉鎖され、仮設住宅などへの移転も進んでいるようですが、生活面においてもまた精神的な面においても困難な状況に置かれている方が大勢おられます。
九州教区は地震発生直後に被災者支援室を設置し、熊本聖三一教会を拠点として信徒の安否確認、近隣の方々の情報収集などから被災者支援活動を始めました。

 それ以降「だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。」(ローマの信徒への手紙八章三五節)、「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」(ローマの信徒への手紙十二章十五節)のみ言葉を大切にしながら、誰も孤立させないための取り組みが現在も継続して行われています。
わたしは当初、被災者支援活動が九州教区でできるのか本当に不安でした。
しかし支援活動が始まると教区内の皆さんが祈り、献金くださり、またボランティアとして奉仕してくださいました。
また日本聖公会の各教区・教会の皆様、また海外の聖公会の皆さんが支えてくださっています。
被害の大きさ、被災者の多さから考えると小さな働きに過ぎないかもしれませんが、被災された方に寄り添う活動が今後もなされることを願っています。
またこの被災者支援活動の経験は、九州教区にとって貴重なものであり、この活動を通して与えられた恵みや気づきも少なくありません。
それらは今後のわたしたちの宣教・牧会にも活かすことができるものだと考えます。
これからもこの活動のためにご協力をお願いいたします。
また被災した熊本聖三一教会、降臨教会礼拝堂の建物修復の募金が行われています。
このこともお覚えください。

 今年六月に日本聖公会第六十二(定期)総会が開催されました。
総会での同意を得て「堅信前の陪餐」が二〇一七年一月一日より実施されることになりました。
十月十五日付けで主教会より『日本聖公会主教会 牧会書簡―「堅信前の陪餐」について―』、『「堅信前の陪餐」に関わる一般原則』が出されています。これは「主の食卓である聖餐に招かれ、その食卓を囲むキリストの体、また神の家族としてのわたしたちの教会が、ますます強められ、豊かにされるため」になされるものです。
具体的には、これまで堅信を受けた者が陪餐していましたが、堅信前であっても、必要な準備を終えた子どもたち、洗礼者が陪餐することができるようになります。
特に子どもの陪餐に関しては、カリキュラム案やテキストが礼拝委員会によって準備されました。
今月開催された秋の教役者会でも、牧会書簡と一般原則を丁寧に読み合わせ、意見や質問を出し合い、共通理解を持ちました。
これから各教会においても、教役者を中心にして、信徒の皆さんで学び、理解を深めてくださるようお願いいたします。
また子どもたちが主日の礼拝に喜んで出席できるように保護者、教父母だけでなく信徒全員で、礼拝の在り方や礼拝奉仕の在り方も工夫してくださるようお願いいたします。

 またこの総会では「ハンセン病回復者と家族のみなさまへの謝罪声明」が決議されました。

これまでも取り組んできていることですが、ハンセン病に対する偏見・差別がなくなるよう啓発活動を、また菊池黎明教会、鹿屋の恵生教会の皆さんとの主に在る交わりもさらに深め、共に福音に生きる喜びを分かち合ってほしいと思います。
決議された謝罪文をお読みくださるようお勧めいたします。

 教役者について申し上げます。
最初に嘱託司祭として奉仕してくださっているバルナバ壹岐裕志司祭、デビッド・コフリン司祭、パウロ濱生正直司祭、キャサリン吉岡容子司祭に心から感謝いたします。
現職司祭が九名という現状にあって、嘱託司祭の皆さんの働きがなければ教会の主日礼拝や宣教・牧会はできません。
ダビデ中島省三司祭は来年三月末に定年退職されます。高校教師を定年退職されてから聖職志願し、聖公会神学院での学びの後八年間教区で働いてくださったことに感謝いたします。
定年退職後も九州教区のためにご奉仕いただけるものと信じております。
またヨハネ李 浩平司祭は大韓聖公会からの宣教協働者として三期九年の働きが来年三月で終わりますが、今後三年間も九州教区で働いてくださることになっています。
これまでの働きに感謝するとともにこれからもどうぞよろしくお願いいたします。
セシリア塚本祐子聖職候補生は最終学年を迎え、来年三月にウイリアムス神学館を卒業予定です。
これまで教区神学生後援会を通してお支えくださったことに感謝いたします。
なお、八月より入院していたステパノ中村正司祭は、現在は自宅で静養しており、来月からは復帰できる見込みです。
これまでのお祈りに感謝いたします。

 フランシス太田国男執事が五月十三日に八十四歳で逝去されました。
太田国男執事はハンセン病回復者として菊池黎明教会に来られてから長年にわたり同教会で働かれました。
ハンセン病に対する理解が深まるために、教区内だけでなく日本聖公会においても大きな貢献をされました。
同師のこれまでの働きに感謝し、魂の平安をお祈りいたします。

 教役者の減少はさまざまな面で影響が出始めているように思います。
教役者が心身ともに健やかに働くことができるようにできるだけ努力したいと思います。
各教会においても配慮をしていただいていますが、これからもご協力をお願いいたします。
また教区に新しく聖職に召される人が与えられますよう、これからも主日礼拝で、また個人でお祈りくださるよう特にお願いいたします。

 今教区会から新しい宣教局体制になります。
この三年間、部員や委員として奉仕してくださった皆様に心より感謝申しあげます。
本当にありがとうございました。
今教区会から新たに部員また委員として奉仕くださる皆様、これからの三年間、どうぞよろしくお願いいたします。
九州教区が一つの神の家族として、また主キリストの福音を宣教する共同体としてより整えられ、託された使命を果たすことができるように、宣教局長を中心にしてそれぞれの役割を果たせますよう聖霊のお導きを祈ります。

 この五年間九州教区の各教会はそれぞれが掲げた夢を持って宣教・伝道に励んできましたが、来年三月で一応終わりを迎えます。
三月に予定されている集いをもって五年後の夢委員会の働きは終了します。
しかし決して各教会の宣教・伝道が終わるわけではありません。
五年間掲げてきた夢を継続していくのか、あるいは新たな目標を掲げて歩むのか、日本聖公会が提示している「宣教・牧会の十年」提言を改めてお読みいただき、来年行われます受聖餐者総会でよく協議してください。
小さなことでも何か一つでも宣教課題を掲げて、共にその実現のために祈り参与し、喜びを分かち合う共同体として成長していくことをいつも求めていたいものです。

昨年もお話したことですが、ないもの、不足を嘆くのではなく、小さなもの、わずかなものであっても与えられている賜物を活かし用いて、それぞれの遣わされた場で福音の光を輝かせ、一人でも多くの人と福音の喜びを分かち合うことができるように聖霊の導きに信頼して歩みたいものです。

 子どもたち、青少年を教会の交わりのなかで育てていくことを、教区としてますます大切にしていくことを望みます。
前述の堅信前の陪餐へと子どもたちを招くため、またこれからの人生の基となる信仰を養うためにも、教会、教区、管区レベルの交わりを豊かに体験してほしいのです。
将来の教会を担う人を養成するためというのではなく、むしろ今を生きる青少年に、「命」「平和」「信仰」などに関する今しかできない必要な体験や交わりが提供されることを期待します。

それらはまた教会の宣教の課題でもあります。
正義と平和に関する課題や命の尊厳を守る働きが、それぞれの地域の心ある多くの方々と一緒に担っていくことは、わたしたちの務めでもあります。

 九州教区はこれまでフィリピン中央教区との宣教協働を通して、多くの恵みを与えられました。
この交わりを今後も三年間延長し主に在る交わりを深めたいと思います。
また大韓聖公会釜山教区との交わりを具体的に始められるようになることを願っています。
過去の歴史を踏まえつつ、大韓聖公会や釜山教区でなされている宣教・牧会の働きに学ぶことは、わたしたちにとっても有益であると信じます。

 九州教区は二〇一九年に教区設立百二十五周年を迎えます。

わたしはこの年を一つの節目の年とし、子どもたちも含めて信徒・教役者が一堂に会し、これまでに与えられた恵みに感謝し、さらに福音宣教に励んでいく思いを新たにする時としたいと願っています。
新しい宣教局の働きの中にこのことを加えてくださるようお願いいたします。

 最後に聖書のみ言葉をお読みします。

 「愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善から離れず、兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。怠らず励み、霊に燃えて、主に仕えなさい。希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。」(ローマの信徒への手紙十二章九~十二節)

 このみ言葉を心に留めながら教区会に臨みたいと思います。
わたしたちは神によって一つにされた神の家族です。
神の愛による一致がますます強められ、またこの交わりがさらに広められ深められることこそ、神がわたしたちに望まれていることだと信じます。
わたしたちの教区、一つひとつの教会はすべてが満たされ整えられているわけではありません。
むしろ多くの課題を抱えています。
それらは簡単に解決する課題ではありません。
だからこそ、わたしたちは互いに愛し合い、主に信頼して希望を失わず、謙遜に、忍耐をもって祈りつつ共に歩むことが求められます。
各部、委員会の報告の内に与えられた神の恵みと導きを感謝いたしましょう。
また新しい一年の教区の歩みのうえに導きを祈りながら議案を審議してまいりましょう。
限られた時間のなかですが、教区の平安・進歩、一致のためにご審議くださるようお願いいたします。
わたしたちがこの教区会を通しても神の栄光を現し、喜びを持って教区会を終えることができますように聖霊の導きをお祈りいたします。

 なお、今年も管区の女性に関する課題の担当者(女性デスク)から、日本聖公会が意思決定機関への女性の参画に関して、二〇二二年までに三十%を目標としていることを覚えて、常置委員選挙に臨んで欲しい旨のアピール文が届いています。
今教区会での常置委員選挙に際して考慮いただければ幸いです。
また各教会での来年度教会委員および信徒代議員選挙について信徒の皆さんにもお伝えくださるようお願いいたします。

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