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電子美術館のQ&A

115 日本で抽象絵画は差別されたのか

二十一世紀国際地方都市美術文化創造育成活性化研究会
2017/5/12

――ずいぶん大きいテーマで来ましたね?

どういう美術が好きか嫌いか、どの作品に良し悪しを感じるかは、実質的に趣味や相性の問題です。僕はあの人が好きだ、嫌いだというのと同じで。ただ、美術の特別な嫌い方が気になったことはあります。文学関係のエッセーにたびたび出てくる言い方です。「絵は印象派が好きです。でも抽象は見ませんし嫌いです」。

――今で言う、ヘイトスピーチみたいなものですか?

「皆さんも抽象を嫌ってください」という呼びかけかも。これを差別的発言と思う人は、たぶん世界にいないでしょうが、嫌う作品への下げ発言が音楽や落語では珍しいのに、美術ではいつものことだと私は気づきました。抽象をまとめてシャットアウトする、それをわざわざ公言する人が多い謎です。

――その前に、日本では差別の構造を論じることはタブーだと思いますが?

日本に限らず世界的にそうです。欧州サッカーでサポーターなどの騒動がよくありますが、「差別は永久になくならない」とか「人は差別する動物だ」「差があるところに差別あり」など、真理法則を唱えると不適切だとして追放されるでしょう。現代の禁制として触らぬ神になっています。表現の自由がないゾーン。

――人類は、真理を追究する苦労から逃げていますね?

なるほど、苦難は避けたいイージーゴーイングかも。その苦難とは何かを考えたら、話がすぐにそらされる確率の高さがあります。例えるなら、芸術の話が手指の器用さへとすぐにそらされて、お決まりのコースに持って行かれる感じ。似て非なる話をしたとたんに、似ているから同じ話だとして片づけられてしまう失望感です。

――何か言ったら揚げ足取りされ、差別主義者のレッテルを貼られる時代ですから?

グローバル経済の議論でも、人件費カットの話を始めると、人権カットの話へずらす者が現れます。仕事をクビになって低賃金の移民に差し替えられた悩みを言うと、君は人種差別主義のレイシストだと言われて黙らされる。低賃金で利益追求する持ち株会社側が、話を手っ取り早くレイシズム問題にずらし、経済問題の議論を阻止するポジショントークです。差別問題を盾にして資産を増やす手段。その決まった流れ方に人類は疲れています。疲弊したEU社会で、イギリスがEU脱退を決めてから特に。

――2016年のアメリカでも、人種をめぐる死亡事件が続いていますね?

こういう話を聞きました。日本人ジャズ評論家が渡米して、アメリカのジャズマンにインタビュー後、いっしょに街へ出たそうです。評論家より若いジャズマンですが、数々の栄誉賞やグラミー賞、殿堂入りもある超大物です。作編曲やオーケストラ作品もあり。ベストセラーも数々。音楽業界の低調を回復させ経済貢献した、救世主的なヒーローです。

――そんな偉い人に、街で何が起きたのですか?

いっしょにレストランへ入って座ると、やがて日本人評論家は言いました。「いつまで待っても店員がオーダーを取りに来ないね?」。ジャズマンは答えます。「いつもこうなんだ」。

――それが今のアメリカで、日常的に起きている黒人差別ですか?

アジア人も同席していますが、いつものことを解決できるか、私も考えさせられました。店員たちを人種差別主義者と認定して罰したり、差別をなくすスローガンを繰り返しても、全体的には遠回りで非効率だと感じたのです。アフリカンが差別される原因には触れない配慮が裏目に出て、人種偏見がアングラ化していると推察しました。

――具体的にどこが遠回りですか?

色を原因とした遠回りです。いわれなき差別と言ってしまう遠回りもあります。よく聞く言い方に、「肌の色は違っても人に上下はない」があります。もっともらしいのですが、それなら日本で黒人差別がゆるかったり、ない場合や、逆に尊敬の対象だったりが説明できません。アメリカと日本で、アフリカンへの対応が違います。日本人の体は明るくても茶色だからやや似ているという説明では、不十分でしょう。

――アメリカ黒人もアフリカ黒人も、日本では人種の壁はさして高くありませんね?

その理由はおそらく、ほとんどが外国語教師やエンジニアやスポーツアスリート、外交関係や観光客として来日しているからです。助っ人外国人の野球選手もそうで、最初からひとかどの人物だったりするのです。密入国でもないし。日本人に初見の気おくれや、人見知り的な距離感が目立ちはしても、差別を受けて苦悩した声は少ないようです。

――ということは、アメリカでは色以外に違いがあるわけですか?

すぐに思いつくのは利害関係です。仕事を奪い合うならば、差別が始まりやすいはず。しかし犯罪に目をつけてみると、やはり統計が見つかりました。犯罪率が白人の2倍かと思えば、6倍だそう。誤差の範囲じゃない。アメリカの警察官がアフリカンに厳しかったり簡単に撃つ理由は、普段から小競り合いが多いからでしょう。警察官が職務上、アフリカンたちに手を焼いている背景があるはず。レイシストに限って警察署に就職したがるというロジックは、違うでしょう。

――白か黒かだけで、差別していたのではなかったのですか?

日本人は、白い犬と黒い犬、あるいは白猫と黒猫でも、同等にかわいがります。黒の方が激しく吠えたり、すぐかみつく経験法則がないからだと考えられます。色よりも危険度で区別していることを類推させます。

――動物の好き嫌いは、確かにルックスだけではありませんね?

へびは手足がなく細長く、ウロコが気色悪いから嫌われると思いがちですが、毒を持つ種を見落としてはいけません。かまれたら死ぬから怖くて嫌う。毒の殺傷力を無視して、クネクネした外見を理由にしてもハズレ。テントウムシとカメムシも、色の差ではないでしょう。犬でも、ドーベルマンに近づきたくない人は色が理由じゃない。

――見た目での差別にみえて、害を受ける予見性で区別していたのですか?

危険なら、人は誰だって見分けるコツを知って次回に備えます。触るだけで致死性のある赤い毒キノコもそう。いくらきれいでもダメ。危険物の素早い選別法を学習してマークするわけで、見た目の特徴を目印にします。アメリカのアフリカンはその悪循環モードにあると考えられます。発端は過去の奴隷制だとわかりきっていて、人権がない時代が長かった事後処理に国ぐるみしくじっています。

――でも報道でも、色の違いばかり言っていませんか?

色がダークだから人間性もダークだろうという、色彩論の問題ではないでしょう。日本と違ってアメリカでは、アフリカンは危険だという経験法則があるのです。統計数字の6倍がそれを補強しています。日本にはそれらがないから、珍しさで当初は引いても間もなく打ち解けます。昔からそうらしくて、織田信長は譲渡されたアフリカン奴隷を、当初は塗り色かと思い水洗いして、後に武士に任命した逸話がありました。

――でもアメリカ黒人に犯罪が多いのは、差別を受けてきたせいだと思いますが?

もちろんそうでしょう。6倍の数字も、冤罪率上昇で高くなっている疑いがあるし。ただしその悪循環の構図を伏せては、レイシズムをアングラ化させるように思えます。「色で偏見を持ってはいけません」と、今の行動に全責任を負わせるだけでは、好転は期待できない気が。

――だとしても危険という語を出したとたんに、差別をあおったと糾弾されますから?

それも含めて、アメリカ国内の悪循環です。ことを左右してきた危険情報を、ない話にすれば、逆にこじれやすいような。何かを伏せたせいで、混沌としているのです。結果、アメリカでは建前と本音の開きが拡大しました。色のせいにする建前と、犯罪率のせいにする本音に分裂しています。カラード差別をやめろ式のスローガンを耳にしたアメリカ人は、「色の問題じゃないけどね」と反応しないかと。

――でもアメリカに善良な黒人も多いし、シリアルキラーなど極悪の白人もいますが?

マムシやハブに注意すべきで、アオダイショウは大柄でも大丈夫という分類は、必要な情報ですが解決する決め手にはならないでしょう。ハナアブやトラカミキリを、毒を持つハチと区別するのも簡単ではないのだし。

――それなら、解決のために何をすべきですか?

犯罪率を6倍から1倍に下げることでしょう。取り締まり強化以外の方法で。そうしないと、理由なき差別が理由ある差別へ逃げ込む余地になります。アメリカ南部の州は奴隷制によって農業が潤ったから、奴隷制廃止で金銭ダメージを受けて、根強く人種差別的だと言われます。その歴史事情が今もあるとしても、6倍などの数字の外堀を埋めないと、宗教に沿った差別か、からかう愉楽の差別か、恐れる防衛の差別かも、切り分けできません。差別にも様々な動機がある構造を、ひとつにまとめる方針は倦怠につながるでしょう。

――でも実績づくりは、一番時間がかかりそうですが?

時間はかかっても、一進一退の空回りはありません。当然ながら、低所得層を減らすことは必須です。格差社会や自己責任社会は、差別の固定原因になりやすい。日本で教育と福祉を行き渡らせた一億総中流は、有効でした。国民皆保険制度など互助システムも、その効果はあったでしょう。人道上こうあるべきという原理主義で走るよりも、普通の暮らしができない人をなくす現実主義が大事でしょう。

――美術でも、言われのある差別はありますか?

日本で抽象絵画をシャットアウトした原因を考えます。抽象絵画は普段から売れないし、話題になりにくく、文化財の顔役にもなっていません。巨匠の地位は欧米では抽象画家も多いのに、日本ではまだ大半が具象画家です。抽象は総じて地位が低い。日本にあるこの落差はアメリカでは縮まり、アフリカ系とは逆の傾向に二国が分かれています。

――へびみたいに、芸術が持つ毒が嫌がられているのですかね?

抽象絵画はわかりにくいから毒も強い、という敬遠ではない気がします。それは日本画にも抽象成分が大きいこと。そこで目をつけたのは、抽象画が日本へ入ってきたタイミングです。日本の洋画は、ほぼ明治の文明開化から始まったようです。つまりダ・ヴィンチやベラスケス、ドラクロアなど、写実具象の長い伝統が日本にはありません。

――江戸時代の東京に、洋画はなかったでしょうから?

ヨーロッパで印象派が出始めた1870年代は、明治元年台です。その頃に日本人が美術留学で渡欧し始め、油絵作品を輸入し始めました。つまり日本は、ヨーロッパで写実具象が終わる頃に参入し、しかもヨーロッパの数百年分を駆け足で学ぶかたちになりました。勉学だから、新興の印象派などではなく、もっと昔の古典に入門しています。

――ヨーロッパの古風な美術が、明治の日本人には目新しかったのですね?

明治40年にパリに抽象画が登場しますが、日本人は抽象に対応できませんでした。同じ明治40年が結成の最初期だった白樺派も、ゴッホは推してもピカソは推していません。当時パリに出向いた日本人は、立体派作品を買いませんでした。未来のストライク球を見逃しました。2017年の今、日本の美術館が苦難なのは、当時の買い物が古風なせいもあります。百年以上たって、当時買った具象画が今の日本人に古くさく見える悩みです。

――欧州美術が激動する前後に、日本が欧州にならったことが、抽象嫌いにつながっているのですか?

洋画の徒たちに、「僕らは具象を勉強中」「行き詰まっていないのに、次へ進む必要はない」「抽象はまだずっと先の話」という展望があったでしょう。本物そっくりに立体感を描く技法に夢中で。具象をやめて抽象へ進む気には、長い期間なれなかったはず。

――抽象絵画を禁止する、例のあの言い方もあったし?

「具象を極めてから、抽象に進みたまえ」という画家の戒めに悪気はなく、消化不良の心配が切実だったのでしょう。むろん抽象の方が発想が高度だから、理解のハードルが高かったこともやはりあったでしょう。そこは、世界的に具象よりは抽象が苦手な人が多いから確か。今の問題は、日本だけが目立っていて取り残された点です。

――日本にとって抽象絵画は、期待の星にはならなかったわけですか?

助っ人野球選手や陸上競技のアフリカ勢みたいな、プラスではなかったのでしょう。端緒についた日本洋画史が乱れる不安もあったかも。ヨーロッパが旧から新へ脱皮する過渡期に旧を学んだ日本は、新を敵とみる傾向が運命づけられた疑いです。これと似た例が「民主主義」でした。庶民が闘い取ったフランスに対して、華族が下に与えた事情が似ています。だからか、日本では多数決を数の力の横暴として、不正の一種とみる思想が今も根強いのです。

――抽象がいつまでも苦手なままでは、美術立国になれませんね?

フランスのサロン(公募審査展)など具象画壇は、ピカソの抽象を糾弾する声明を出しました。これも原因で創造の気運はパリからニューヨークへ移り、現代美術の中心はアメリカへチェンジしました。新興国アメリカは、不得意だった抽象をこれを機に得意に変えたようです。日本とアメリカは、アフリカンとアブストラクトのイメージが逆です。

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