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電子美術館のQ&A

118 東日本大震災の幽霊と芸術の霊的なもの

二十一世紀国際地方都市美術文化創造育成活性化研究会
2017/9/11

――昔は多かったテレビの心霊番組が、最近は減っていませんか?

減った最大の原因は、弁護士団がテレビ局へ要請したからです。世界の科学者が手分けして大規模な調査を続けた結果、幽霊は肯定できなかった。なのにそれを肯定した前提で組んだ虚偽番組への批判です。放送倫理・番組向上機構(BPO)ができると、自制を促す意見が出ていました。

――常に真実を情報発信してきたはずのテレビで、心霊に限ってウソだとなぜわかりますか?

幽霊が本当に存在して、たたられ呪われるなら、スタッフは報酬を積まれても番組制作を引き受けないからです。関わると、自分や家族が悪霊にとりつかれたり引き込まれ、白昼の転落死や激突死、深夜の焼死や変死が懸念される。そんなむごい早死にに近づくスタッフは、きっと少ないはずだと私は推理しました。近年、シリア国潜入ルポ番組がまれなのと似た理由。写真週刊誌に自分たちのグロ死体をスクープされるのはご免なはず。幽霊などいないと信じる人でないと、幽霊番組づくりに加わらないのが人情だろうと。

――視聴者たちは、あんなに楽しんでいるのにですか?

実は視聴者からも、子どもが夜トイレや風呂に入れなくなったから、やめて欲しいと訴えがあったのです。嫌なら見るなと言っても、バラエティー番組で突然始まるから、テレビを家からなくして遮断するのがやっと。

――大人なら、幽霊なんて娯楽だと割り切りませんか?

実際は割り切れていません。現に、霊的なものを利用した団体のテロ事件が20世紀の日本でありました。神秘主義を小耳にはさんだ程度の人もしっかり染められて、擁護や資金で事件発生を手伝った現実です。理屈を超えることを許す思想は、理屈では歯止めがきかない理屈です。

――超常現象の俗説を国民に流布する情報発信源が、テレビだったのですね?

今はテレビのお株は奪われたのかも。ネットで幽霊関係の掲示板や討論サイトへ行くと、ある決まった書き込みを目にします。短く一言「本当は幽霊はいる」「心霊動画はニセモノだらけだが、中には本物もある」。ポツンと書く人がいます。根拠や体験談は何もなしに、ポツンと一行だけ。強い断定。いったい誰が書いているのでしょう。

――心霊雑誌の愛読者など、マニアのつぶやきですか?

業者さんです。除霊やおはらいの事業者、霊媒師、霊能者、開運の壷や悪魔よけグッズの販売店、宗教法人のトップや関係者がネットに書いて回るステルスマーケティングです。ある種の占い師も。例えば霊退治系。体調不良が続く会社員にとりついた悪霊の退治。堕胎後のうつ症は、水子の霊の供養。家で続く不幸なら、先祖の怨霊を慰霊。難病だと、動物霊を引き離す祈祷(きとう)。

――業者がネット掲示板に、超常現象は本物だと書いて回るステマは何が目的ですか?

国民のマインドコントロールです。脳の変調や機能障害は医療分野です。が、心因性も多く、医者は治し切れない。そこにビジネスチャンスが生じますが、参入に資格や免許が必要です。ないと医師法や薬事法で逮捕だから、体調不良や不幸を超常現象へ転嫁する必要があります。乖離性同一性障害を、霊の憑依と言うなど。悩めるクランケをオカルトへ引き込むステマが収入を約束します。流行りのステマ技法は、テレビのヤラセをボロクソに叩いて、本物の心霊はあんなのではないよと引き込む懐柔の話術です。

――幽霊をネタにした心霊ビジネスが、世に広がっていたのですか?

私の絵のひとつに、お寺のお堂の場面があります。こういう物語。若い夫婦が海外へ新婚旅行した。帰国後、妻は体調がおかしい。病院へ行っても原因がわからない。疲れやすくなった症状で、旅先の食べ物は関係がなさそう。医療施設を回ったけれど完全に行き詰まってしまい、二人はあるお寺を紹介された。

――病院の先生では治せなかったから、宗教法人の門をくぐったわけですね?

お寺のお堂に正座する二人。お坊さんは線香をたいて、呪文のようなお経をあげ続けている。ムニャムニャムニャと。声が徐々に大きくなり、「何とかは、何とかせよ!」と叫ぶお坊さん。すると次の瞬間、「バーン」とお堂に巨大な音が鳴り響きます。耳をつんざく大音響に二人はびっくり。奇跡が自分たちの目の前で本当に起きた。本当の本当に。そして妻は以前の健康状態に戻ったのです。夫婦はお寺に大金を払って、喜んで帰宅しました。実話です。

――とりついた霊を退治する効果は、世の中に本当にあったわけですか?

類するドキュメントは私の周囲にもあり、珍しいことではありません。夫は私に、説明がつかない心霊現象が本当に起きて、奇跡はあると知ったことを本気で説明しました。詳しく話を聞いた私は、お寺で何があったかを理解し、タネも仕掛けも見当がつきました。

――でも、誰もいないお堂に謎の音が鳴り響けば、霊界の奇跡以外にありますか?

その結論ありきではカルト団に引き込まれ、テロ実行にかり出されるかも。誰もいないと誰が決めたのか。仏像の裏にでも別のお坊さんが待機して、板を棒で強打すれば音を出せます。レバーを操作し、コイルバネで板を叩く装置で省力化もできるし。道具を、木工所に作らせたか自作かは不明ですが、練習を重ねた上で打った芝居でしょう。二人は、怪現象を装った演劇を体験したのです。

――お寺が何と、カラクリ屋敷だったというオチで?

西洋の幽霊屋敷で聞こえる怪しい音も、カラクリの仕掛けがけっこうあるそうです。幽霊が出ると名所となり、不動産物件にハクがつきますから。よそのお寺というアウェーの舞台で、劇場型おれおれ詐欺に似た自演芝居が行われました。医術で拾われずにいる人を健康に戻す奥の手として。その仕掛けを作ってみたい気になって、その場面を私は絵にかきました。しかし私の関心はトリックよりも、人の心身の妙でした。第一、海外旅行から戻ると体調が崩れるのは、オカルトっぽさもありますから。

――確かに直るよりも前に、謎の体調不良が起きたことがそもそも不思議ですね?

思い当たることがありました。私は高校の時に修学旅行から帰ると、5月末の快適な気候なのにやや重い風邪にかかったのです。3、4カ月前の真冬にかかったばかりなのに。このように旅の直後に体調を崩す法則を、私は子どもの時から感じていました。

――そういう人は、世界中に多いのかも知れませんが?

ロックギタリストのジェフ・ベックに、そういう逸話が昔ありました。コンサートツアーから帰ると、必ず病気になるそうで。知人の妻が海外旅行の後に体調不良になったのも、世界中で珍しくない現象なのでしょう。入院不要の軽度だったので、実は待つだけで直っていた可能性も大きいし。

――それなら、大きい音を聞いて直ったのはどういうことですか?

心因性だったから、渇を入れると変調が起きたのでしょう。脳内の何かがリセットされて。プロレスラーやトランペッターのビンタでも、似た効果がありそうです。思い出しましたが、私にはもうひとつ不思議があり、大きい買い物で暮らしが少し変わる時、風邪にかかったことが何度もありました。暮らしの節目で、なぜか体調を崩す傾向があります。

――心霊を持ち出さなくても、人間は十分に奇妙ですね?

その心霊の意味を変える試みが最近ありました。東日本大震災から5年過ぎて、当地に犠牲者の幽霊が現れるという大学の研究でした。研究の方向が変わっています。幽霊はいるかいないか、存在するかしないかの議論ではありません。いるかいないかは、いると実証できなかった上で、ではなぜ見えたり感じるのかという、脳神経の研究へと歩は進んでいます。物理的な研究なら、肯定できないで決着しているから、そこは蒸し返さず不問にしてあります。

――ネットでも幽霊がいるかいないか、素人同士の議論が絶えませんが?

私からみれば、絶対にいない主張は信念で、絶対にいる主張は信仰です。いないとする根拠は、いる証拠がないから。一方いるとする根拠は、いない証拠がないから。これら二つの論理が、世間でよく飛び交っている主張です。ところが二つは、前者は正論ですが、後者は不正の詭弁です。両者はおあいこではなく、対立しない関係なのです。

――裏返しの論理がアウトなメカニズムは、UFOや宇宙人の話題でも出ましたね?

神はいるかと似た言葉世界です。いくら食べても減らない焼き肉弁当は、近所には売っていなくても、遠くのホカ弁にはあるかも知れない。日本になくても、宇宙のどこかにある可能性が否定できず、可能性はあるのだと抗弁が可能です。それを詭弁とみなす弁論ルールがあります。こうして存在の白黒が証明不能なのは人類の非力ではなく、論理の非対称性というロジックのいたずらです。何かが世にある証明は可能で、世にない証明は不可能。「ある証拠を出せ」に対して「ない証拠を出せ」と切り返せば、ないのが結論。

――東日本大震災の幽霊研究では、魔法の焼き肉弁当の水かけ論から卒業していますか?

非存在物が見えたり感じられる、その主因である脳のエラーの背景を、共有された歴史記憶に置いています。化けて出た怨霊ではなく、霊魂を仮に想定して。遺族の心に目を向けたゆるやかな発想転換で、思いを反映した安らぎの効用。当初のうわさ話はタクシーに出た幽霊でしたが、幽霊は無賃乗車犯を指す業界の隠語なので、話が混乱しました。聞きつけたネットで、アクセスかせぎのデマも増殖して。やがて研究が表に伝えられましたが、本物が存在する証明とは大きく異なる内容でした。冥福に近いのかも。

――現代の日本の幽霊は、生きている他人に危害を加える悪役ですよね?

ご先祖や元の仲間が、現世の僕らにいやがらせする。この幽霊の性格の悪さ、曲がった根性、ストーカー的偏執が、幽霊否定派の抱く疑問でした。例えばバスが大事故を起こし乗客が大勢亡くなると、裏で出てくる解説。「その昔に付近で事故死した霊が、バスを引き込んだのだ」と。「引き込む」「引き寄せる」の言い方で、死者の霊が生きた人を殺す筋書き。滝の近くで遊泳した事故でも、よく聞く筋書き。「過去の飛び込み自殺者の霊が、他人を滝壷に引きずり込んだ」と。霊魂はまるで殺人鬼か、複数ならテロ等準備罪。

――東日本大震災の各地の霊は、そんな殺人を犯す悪霊たちではない解釈ですか?

そこが従来と違うのです。ものを知らない怖さですが、世界に幽霊の研究はものすごく多いのです。生涯に読み切れないほど学術論文が出ていて。よく知られるのは、霊がいるとの期待があれば容易に感じる、人間の脳のはたらきの実験です。実験室で心霊体験をいくらでもつくれます。どうやるかといえば、言葉説明で相手を心理操作する。1970年代に出た本は、特に印象深いものでした。内心の期待で幻が五感に現れるなら、その時点で殺人鬼でないはず。人が望んで呼んだなら、不吉なわけもなく。

――だとすれば、悪霊なんて恐怖ビジネスのねつ造だったのですか?

私は学生の時に、深夜に人がいない暗い場所を歩くこともあるアルバイトをやっていました。そして年上の同僚からこんな話を聞きました。「母が亡くなってから、以前は怖かった暗闇が全く平気になった。もしかすると暗がりに母が現れるかも知れないと、どこかに期待があるから」。

――期待どおり本当に現れたのが、東日本大震災の現場だったのですか?

津波の翌日にテレビニュースでガレキを見た人は、おそらく全員がこう思ったはずです。「何をやっている、埋まった人をすぐ掘り出さないと、早く行かなくては、早く早く」。あの時の国民の焦りと動転は、今の暗がりに投影される期待へ通じているはず。あれから時間はたっても、記憶は何も薄れていない。あの人は今にも帰って来る気がする。ここにいるよと。あっ、そこにいたのか。やっぱり消滅していなかった。「確かに感じる」「会える」の言い方に変わっただけ。

――霊の存在を白黒で切らないで、灰色の存在へ位置づけ直したのですね?

灰色でゆれるのは、芸術もそのひとつです。「この作品は芸術的だ」「これは創造だ」を証明する方法がありません。多数決は違うし、偉い人が決めても間違う。幽霊に似た水かけ論です。学生時代に、ピカソの生涯年表を見て知りました。フランスサロンのアカデミズム団体が、「ピカソは最低の画家」と新聞に書くと、やがて前衛芸術集団が「ピカソは最高の画家」と新聞に書く。決め手がない千日手。

――芸術作品の核心にも、霊的な何かがあるのですか?

何かがある実感を私は持っています。つまり私は芸術に関して、幽霊を信じる派に似たところがあります。手で操作した造形物の形とは別次元に、人の特別な事情が焼きつくように作品にとりつき、人を引き込むのではないかと。オーラとは違う、もっと確かな何かが。造形意匠に起因しているには違いないのですが、それプラス何かがまだあるような。やっぱり消滅していなかった。ここにあるよと。

――芸術作品は、霊的な何かが生むと考えられますか?

今もよくわからない部分です。太古のアート作品類には、現代人が作ろうにもまるで届かないような、神聖とも邪悪とも分けにくい異様な支配力があります。チャチという語とは正反対の高潔な、説明しがたい引き込む力です。芸が細かいわけではないのに。昔は霊的にアートが作られ、今は造形的にアートが作られている、そんな違いを感じます。例えば有機的でも無機的でもない、第三の描線を感じさせるとか。しかし理論体系はできていません。

――心霊と同様に、あるのではなく感じるだけの信仰だとはいえませんか?

その方向でも、これまで何度か言及しました。例えば、絵を見て光が当たるのは、画家の側ではなく、見る人の側だという着眼です。人は自分の思いや事情を、絵に投影して感じ取ります。「自動的にそうなる」というより、「そうするべき」というニュアンスで私は言います。なぜなら現代人の鑑賞は、画家の考えを読む勉学にそれているからです。見る自分の内を映した見え方に自ずと向かうものなら、それを元に作者を分析しては話を難しくしています。作者の考えと関係なく、鑑賞者の思いをぶつけた方が有意義なはず。

――幽霊話は、哲学でいう存在とは何かという議論に似ていますね?

「ある」と「確かにあると感じる」の間に、 肯定も否定もできない空白ができます。空白に落ちたひとつが心霊で、ひとつは芸術。我田引水の集金ビジネスが入り込み、俺様ルールの自称超人と指導者だらけ。ところが東日本大震災の幽霊研究は、怨霊ビジネスからは離れています。連想してアートに怨霊ビジネスなんてあるかといえば、もしや橋に対抗した端への引き込みはどうなのかなと、一瞬アイデアは浮かびました。ピカソがわからないという怨念に、現代アーティストも引き込まれやすいのは確かだから。

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