スキー100年目の革命Q&A

28 九州でも花開いたスキーブーム


1 平成バブルのスキーブームの特徴は何か?

史上最大のこのブームもまた、衣服から入るファッション先行でした。例えばバスツアーで大山スキー場に着いた早朝、総合デスクの観光会館(今はない)は、平日なのにレンタル手続きでごった返し、カタログと同じウェアと小物を着けた可憐な女性たちが、レンタル板や靴を手に、ちょっぴり不安混じりでうれしそうでした。しかし当時のウブな初心者たちを、ほとんど技術ケアできないまま、スキー場は大混雑の処理に手いっぱいでした。


2 九州にも本格的なスキー場ができて、話題になったそうだが?

1984年の福岡の知人をスキーに誘うと、「なぜ俺がスキーしなきゃいけないんですか?」と、シベリア探検に勧誘されたかのように煙たがられました。それが88年頃には九州も本格的にブーム入りし、誘うと逆に喜ばれるように変わりました。佐賀の天山、宮崎の五ヶ瀬、大分の九重と、最長コースが1000メートルに達するスキー場はこのブームの産物です。


3 ブーム真っ盛りには、国民的な関心が巻き起こったらしいが?

猫もしゃくしもゲレンデへ、という状態でした。どんなにスキーと縁のなさそうな、仕事一筋で遊ばないカタブツでも、誘えばちゃんと来ました。その頃の記念写真を8年後の今、若い人に見せると、まさかこの人までがスキーをしたなんて全く信じられない、と目を丸くします。一個の国全体がひとつの雰囲気に染まった時の、力の大きさを感じます。


4 スキー場はたいへんな混雑だったらしいが?

リフト30分待ち、ロープウェイ100分待ち、女子トイレ60分待ち、食堂は盆を持って空席探しでウロウロ。90年頃の大山で、「土日は混みすぎてスキーはもう無理やね」とリフト係同士が嘆く声を耳にしました。スキー場は国立や国定公園のエリア内にあるので、古いシングルリフトを高速4人乗りに掛け替えようとしても、省庁の認可手続きがはかどらず進まないという説も聞きました。


5 スキー場にディスコがあったらしいが?

80年前後に見ましたが、私たちの一行は一度も入りませんでした。初級者が夕食後に眠りこけて、明日の打合せや飲み会も流れて中止というのが、旧式スキー時代のアフタースキーでした。時代背景をみると、ディスコブームの終盤が、平成バブルのスキーブームの序盤に当たり、1978年の映画「サタデー・ナイト・フィーバー」以降大都市に増えたディスコティック(今のクラブに相当)が、スキー場の山ろくの旅館街にも飛び火したのです。


6 スキー場に都会の感覚が持ち込まれたのも、その頃だったようだが?

静かでひなびた伝統風情の旅館街が古くからあり、季節ごとに登山客とスキー客が入れ替わって泊まっていました。そこにも昭和終盤の好景気で、北欧調とんがり屋根のホテルやペンションと、ネオンサインなどの電飾が急に増殖しました。雪祭り、スキー祭り、花火大会などのイベントも活発で、吹雪の音しか聞こえないはずの夜の山中を、にぎやかなものに演出していました。


7 スキーを毎年の社員旅行にした企業もあったらしいが?

ブームの始まりは、広告代理店、出版社、デザイン事務所など、時事、トレンドに敏感な業界からだったようです。景気がいい中、会社の福利厚生の経費でスキー場に何泊もする企業もありました。スキーと無縁だった九州生まれの社員やアルバイト学生も、この機会に喜んで参加しました。私も社会人相手に何度も団体ツアーを企画し、混雑のスキー場に向かいました。途中の休憩所も大混雑で、夜食休憩の長距離トラック運転手がスキー客の群れに巻き込まれました。


8 当然、スキー道具も売れたはずだが?

本来スキー用品を扱わない普通のスポーツ店はもちろん、大手スーパーも参入し、並行輸入品の安売りを始めました。フランス製の競技スキー板(緑と金のあの逸品)が長さ別に大量に立ててあったのが印象的でした。1993年2月末のある日、そのスーパーのスキー売り場階に行くと、シーズン中なのに店内が異様な光景でした。手袋、帽子、サングラスがあった何台もの陳列棚が全て空っぽで、白い棚にゴーグルがポツンと1個だけ売れ残っていた、ウソのようなシーンを覚えています。


9 旅行会社のスキーツアーはどうだったのか?

バスは台数を追加できますが、旅館がふさがれば締め切りなので、早くメンバーを決めて宿を押さえるのが、団体旅行の幹事の役割でした。風邪のシーズンで欠員が生じやすく、名前だけ替えてキャンセル料をなしにし、傷害保険は有効にさせるなど、めんどうな交渉もありました。ある学生たちは申し込みに出遅れ、全員がひとつの旅館に入れないので、その冬はあきらめて次の秋を待ったぐらいです。


10 アフタースキーも豪華だったそうだが?

昔の話。ツアー黎明期の1970年頃、九州から行くスキー旅行は、スケジュール表もなく、航空券、国鉄切符、宿泊券だけ渡され、各自好きな日に行けばよい質素なものだったそうです。それから20年近くたった80年代後半のバブル時代は、豪華なパックツアー全盛となって、ディスコや温泉、クアハウスから、本場ヨーロッパ大道芸人とのパーティーなど、アトラクション付き高額ツアーが増えました。クタクタの初心者は、美男美女が繰り広げるナイトショーも眠かったことでしょう。


11 バブル当時は、金持ちをたたえ、浪費を賛美する社会風潮があったが?

OLが銀行借金でマンションを買い、それをレンタルに回して賃貸料で一生食べていける人生設計が提唱され、「翔んだOL」たちは本当に実行しました。こうした要領のいい投資に踏み切れない人は、頭が悪くて行動力に欠けた臆病者だと言われました。スキー場に建つ分譲リゾートマンションも、高い倍率に勝って所有すれば、レンタルで何倍にもなって戻って、一生遊んで暮らせる賢い投資だと宣伝されました。


12 そんなスキー盛況から7、8年たって、2000年にはどう様変わりしたのか?

押し寄せた新参客がほとんど定着しなかったどころか、ブーム以前より逆に何もかもがしぼみました。今、スキーをやめて道具も処分し、ついでに悪口まで言う人が多い割に、新たに始める人は相当に珍しく、誰がどう見ても斜陽化していると言えるでしょう。


13 ショップの落ち込みも大変のようだが?

3大スポーツのうち、ゴルフとテニスで続けている店もありますが、スキー専門ショップは市街、郊外とも次々取り壊されています。例の大手スーパーもスキー販売は別階に移ってやがて消滅、1970年頃に九州で初めてスキー旅行を企画したとされる老舗登山店も、市街から郊外へ社屋を移し、郊外もスキーコーナーを縮小し、段階的にスキー販売から引いています。


14 例の空白の3年に、スキーヤーたちは幸運と悲運とに明暗が分かれたというが?

せっかく続けたスキーを、96−97シーズンでやめた人が、この100年間で最も悲運です。その冬が、古いスキー100年の最終年だからです。翌97−98シーズンが新しいスキー100年の始まりであり、その時カービングスキーに出会ったビギナーが最もラッキーです。自分のスタートが、次世代スキーのスタート年にぴたり一致するのですから、時代の最先端が体験できるわけです。


15 キリのいい西暦2000年ではなく、中途半端な98年を境目としたのはなぜか?

なるほど97−98シーズンになっても、カービングスキーをゲレンデで見る機会は、道路でサイドカー付きオートバイを見るほど少ないものでした。しかし、その前後にショップを回ってみると、店がカービングスキーを主力製品にすえ、旧式スキーを主力から外したターニングポイントが、97−98シーズンだったのです。


←トップへ     ←前へ  次へ→