スキー100年目の革命Q&A

56 カービングスキーを蹴って旧式で特訓、結末は?


1 初級者があえて旧式スキーで基本を練習し、後でカービングスキーに進む道はどうか?

2つの理由で失敗しています。ひとつは仲間の中で、あるいはゲレンデで目に入る他人も含め、スキルアップから取り残され、年々差が開いていく点。もうひとつは、2種類のスキー板には相反する操作も多いので、将来の糧として不十分な点です。


2 旧式を今しばらく使い、将来はカービングスキーに乗り替える、と神に誓えばどうか?

3年もすれば心変わりし、誓いを必ず破ることになります。「旧式スキーでがんばって、いよいよ行き詰まれば、その時にカービングスキーに乗り換える」と約束した知人が何人もいます。今持っているスキー板はまだ買ったばかりだから、いくら何でももったいない、これで納得いくまで滑ってからカービングスキーへと進みたいと、たいへんな意気込みでした。


3 簡単なスキー板が出ていると知らされながら、なぜ先延ばしにしたのか?

その人の志が高かったからです。板が革命を起こした過渡期にスキーに参加し、すぐに道具をそろえたが、あいにく旧式スキーだった。これも何かの縁と考え、旧式をひととおりマスターしてから、カービングスキーに移る順序を踏んで、スキーの歴史を追体験し、スキースポーツについて広く深く理解する気でした。スキーヤーとして本物になりたいし、今後長い間スキーを続けたいからこそ、旧式も体験しておこうという果てしなき向上心です。


4 一刻も早くうまくなりたくて急ぐ気持ちは、あまりなかったわけか?

その人は、旧式スキーでも早くうまくなると思っていたのです。始めたシーズンに早くも道具をそろえた初陣の勝利と、四輪駆動車に買い換えた安心感とが、カービングスキーという新兵器なしで、すぐに上達を果たせそうな自信につながったのでしょう。「以前の板は私でさえ難しくて、もう乗れない、おやめなさい」と言っても、旧式板のつらさの体験自体が少ないので、馬耳東風で聞き流していました。


5 制止を振り切って旧式スキーを続けて、その後どうなったのか?

いつものように冬が来ました。以前と同様に私は誘いました。すると、ああだこうだと行くのを渋り始めます。「前言っていた新型の板とやらを、タダでくれたら行ってやる」などと、突拍子もなくゴネて。「天気予報は暖冬だから、行っても雪はない」とも。スキーに行かずに済む抗弁が始まりました。ほら、言わないこっちゃない・・・旧式スキーの難易度で心がむしばまれ、もう逃げ出しているのです。あの高い志と、純朴な誓いは、どこに消えたのでしょう。


6 今からでも乗り替えれば、誓いは守られ、ちゃんと王道に乗りそうだが?

今日的な生態科学で解釈するなら、脳の快感物質の後押しが足りず、モチベーションが湧いてこないのです。カービングスキーに歩を進めた者は、「楽しさ」という収穫を支えに発展するでしょう。脳に生じる快感物質のなせる好循環です。ところが旧式を続けると、「苦しさ」という罰を受けて内心気落ちし、スキーのない生活に戻りたくなります。いったん傾き始めると、王道などを信じる気にもなれない変調をきたします。


7 スキーをやりたいのか、やめたいのか、どちらの心境にあるのか?

せめぎ合いの心境です。スキーに行きたくなる最大の動機は、うまく滑れたという過去の実感です。昨年に上達の手応えを得た人は、今年の飛躍を予感して意欲がはね上がります。ところが使うのが旧式スキーだと、普通に滑っても上達せず横ばい状態が長引くので、珍しさが薄れるにつれ意欲がぐんぐん下がります。この時、すでに道具へ多額を払っていると、すぐに撤退まではやりにくいので、「やめてはいないが、行きもしない」休眠状態に入るわけです。


8 はるかに簡単な板に乗り替えるという幸せな行動が、途中でなぜできないのか?

ダメージが、ゆっくり進むせいです。旧式スキーを続けることで、パラレルの壁は10倍に高くなりますが、恐怖と絶望の行き詰まりは、突如としてガクンと襲って来るのではなく、時間をかけてジワジワ進みます。手応えの希薄な生き殺しの中で、知らないうちに思考力も行動力も低下し、問題カ所を客観視して科学的に解決する心理状態ではなくなるのです。


9 一度でいいから、エイッとカービングスキーに乗れば、起死回生するのに?

その一度が、どうしてもできないのです。旧式スキーでねばると、スキーの本当のおいしさがわからないだけでは済みません。スキーは自分には難しくて届かないという不適性の実感を、身体に植え付けられます。たった1日変な板で悪戦苦闘しただけで将来が消えてしまう理由は、この強い体感的敗北が以後の行動までキャンセルするからです。理屈ではなく身体ダメージなので、頭でわかっても体がイヤがって、次からエイッと行動できないのです。


10 何年か休んで、時間が傷をいやすのを待ってから、返り咲けないか?

私の知人の範囲に限れば、そうなったケースはありません。休んでいる間も肉体的な敗北感は進行し、スキーなんてしょせん自分には不可能なのだという意識が、時間とともに既成事実として固定化するようです。間を置くことで迷いを吹っ切り、撤退の気持ちが固まる方向へと確信が進み、ついにはマイナス面を並べ立ててスキー批判を始めたりします。スキーを捨てる確かな口実が欲しくなるのです。


11 どうしていれば、行き詰まりを防げたのだろうか?

志気が高いうちに、さっさとカービングスキーに乗り替えれば、「おっ、できる、できる」と味をしめたでしょう。成功の味を一刻も早く得て、心理閉塞のネガティブスパイラルから出る、あるいは予防することが大事です。うまいものを後で食べようと考えたばかりに、力尽きて食べる行動そのものが起こせなくなったわけです。


12 旧式スキーと縁を切らないと、そんなに悲惨な結果になるのか?

調べた範囲でスキーをやめた人の内訳を見ると、カービングスキー体験者が完全にゼロなのは象徴的です。この現実に逆らって、初級スキーヤーが今さら旧式スキーに挑戦してみたところで、平成バブルの初級スキーヤーが体験した敗北のてんまつを、今さら追体験して、同じようにはじき飛ばされ敗退するだけでした。


13 その結果から、何か教訓は得られないか?

スキーの神は、まじめな信念を持つ情熱家や、一本調子の努力家に微笑むほど、単純ではないということです。情念で支えた意志力ではなく、情報を集めて科学的に対応する柔軟さが、スキーを自由にあやつる力の源です。結局ここでも「道具のスポーツ」の論理が、一人の純朴者が信じる根性主義を打ち砕くストーリーになっているのです。


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