スキー100年目の革命Q&A

63 付録 重要語句(2005年版)


1 カービングスキー

1980年代終わりに開発され、93年に市販、98年から主流になった、サイドカット半径が小さい(側面の湾曲が著しい)スキー板。従来の板に比べ、前部、後部の幅が2センチ以上も広く、長さは約30センチ短い。サイドカット半径は従来の40mに対し14mと小さく、一見「しゃもじ」を連想する。簡単に回れてブレーキがきいて暴走せず、上達が早い。体を45度以上倒せるなど、以前とは別のスポーツの感覚である。スキー史上最大の革命ともいえ、100年続いた旧来の板は98年に生産終了した。製品の使用感は年々平易になり、ワイド化による深雪走破力と、軟化によるマイルドな操作性が当面の方向。


2 サイドカット半径

スキー板は前端から約15センチが最も幅広で、後端から約6センチが次に幅広で、靴が乗る中央が最も狭く作られる。つまり側面が円弧状に湾曲しており、その半径をサイドカット(サイドカーブ)半径と呼ぶ。サイドカットの存在は以前から知られたが、半径という数字で示したのは新しく、全スキー板のサイドカット半径がカタログに記されるのは、98−99モデルからである。一つ前のシーズンでさえ、半径や3サイズが公表されない板が半数もあった。


3 旧式スキー

スキー板は石器時代の壁画にも描かれているが、近代スキーが確立されたのは19世紀終盤とされる。ノルウェーで、真っ直ぐな木製板の側面に湾曲をつけたスキー板が発明されたのだ。しかしサイドカットは極めてゆるかったので、スキーヤーはそれから100年以上も、ターンする難しさに苦労する。日本で最後に苦労したスキーヤーは人数が非常に多く、1986〜95年に起きた平成バブルのスキーブームの新参客である。上達しない失意と羨望スポーツへの幻滅が限度を超えると、スキーヤーはスキーをいっせいに捨てて引退組と転向組に分かれ、転向組が1996−7年以降の爆発的なスノーボードブームを起こした。


4 パラレルの壁

練習量0〜30日のスキーヤーは、板を平行にして回ることができず、必ず後が広がってハの字になる。銀世界の最初の興奮がさめると、誰もがこの謎の不調を自覚し楽しさが急降下する。スキー断念は全てがこの期間に起きるといえる。壁を越えてパラレルターンができる日が来れば、体は特殊技能を忘れず、生涯スキーが続けられる。パラレルとボーゲンでは、スキー体験があまりに違うので、昔からパラレルは初級者のあこがれであると同時に、入門者を淘汰する関門となってきた。


5 谷回り

パラレルターンは左右への蛇行を繰り返すが、ターンの一コマを分析すると、前半は谷回りで降下し、後半は山回りで上昇している。後半の山回りから、次の谷回りにつなげる境目が難しく、ここで板がハの字に開く現象がパラレルの壁である。スキーの魅力は、この境目の巧妙な切り替えと、次の瞬間の胸のすく加速感にある。ビギナーは山回りを2時間でできるが、谷回りはその60倍かかる。従来、パラレルに届かずじまいの人が非常に多かったのは、旧式スキー板の操作性の悪さが原因だが、習得日数が不明で忍耐の目安がわからなかったせいもある。


6 特殊技能

スキーは誰にでもできるスポーツと言われるが、自転車と同様の特殊技能である。始めたばかりのビギナーは、何もできない自分に驚く。「不可能が可能になるように練習する」スポーツである。ボウリングやビリヤードに、できる人とできない人の境界はないが、スキーには明確な境界がある。サーフィンや一輪車、竹馬や投げごま回しと同類である。この特殊技能が、生涯スポーツを人気づけると同時に、訓練を嫌う人の届かないスポーツでもある。


7 スキーのネガティブ・スパイラル(悪循環)

パラレルの壁を越えると、誰もが一転してスキーに熱中する。禁止されてもこっそり行く。しかし壁を越えるまでは、誰もが徐々に行く気が低下する。低下にまかせて休むと腕が上がらず、壁は高いまま残り、ますます行く気が低下・・・これがスキー初級者のネガティブ・スパイラルである。ならばゲレンデの達人たちは、悪循環をどう断ち切ったのか。実は指導者から「スキーとはそういうものだ」との知識を得たのである。未来の魅力を予約することで、夢と希望が生まれ、途中が楽になっていた。


←トップへ     ←前へ  次へ→