俳句読本」に登場した俳諧師達(二)元禄期以降

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横井 也有(よこい やゆう)
元禄十五年(1702)〜天明三年(1783)
名古屋の人。横井家は代々尾張徳川家に仕え、
也有も大番頭、寺社奉行などを兼ねた。
俳諧は美濃派の系統をひき、軽妙な才気を見せ、
俳文にもすぐれて、俳文集「鶉衣」をまとめた。

「初午や禰宜に化けたる庄屋殿」
「年寄りの腹立春の寒さかな」
「山寺の春や仏に水仙花」
「信濃路は雪間を彼岸参りかな」
「来た日からもふ忙しき燕かな」
「掃く人の折る人叱るさくらかな」
「蝶々や花盗人をつけて行く」
「菜の花や揚げ行く駕の片簾」
「躑躅さく谷やさくらのちり所」
「山吹の垣根や簑をほして有り」
「夏立つや衣桁にかはる夏の色」
「男より女いそがし五月晴」
「筍にあふて家路も程近し」
「蠅がきて蝶にはさせぬ昼寝哉」
「山寺に斧の谺や夏木立」
「蝉暑し松伐らばやと思ふ迄」
「昼寝した手に持て居る團か哉」
「朝顔の垣や浴衣の干忘れ」
「送火のあとは此世の蚊遣哉」
「送火や別れた人に別れけり」
「佛への土産出来たる花野かな」
「行秋や木守の柿に見送らせ」
「凩や馬の尾をふくわたし舟」
「市で見る顔やきのふの大根引き」
「其側に鵙のさし餌やかえり花」
「嫁もはや世帯じみたり根深汁」
「行くとしはさびしき物としる身かな」

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千代女(ちよじょ)
元禄十六年(1703)〜安永四年(1775)
加賀の国(石川県)松任の表具屋福増屋に生まれた。
金沢藩の足軽のもとに嫁ぎ一子を産み、
まもなく夫に死別したというが、不嫁説も有力である。
五十一歳のとき剃髪して素園と号した。
作風は平易でやや通俗的であるが、女流俳人として有名で、
生前すでに「千代尼句集」がまとめられたりした。

「雪の夜やひとり釣瓶の落つる音」
「転びても笑ふてばかり雛かな」
「声たてぬ時が別れぞ猫の恋」
「流れ合うてひとつぬるみや淵も瀬も」
「春雨や美しうなる物ばかり」
「うぐいすや又云ひなほし云ひなほし」
「閑かさは何の心やはるのそら」
「たんぽゝや折々さます蝶の夢」
「うのはなは日をもちながら曇りけり」
「それぞれに名のり出づる若葉かな」
「つれよりも跡へあとへと田植かな」
「夕顔や女子の肌の見ゆる時」
「散れば咲き散れば咲きして百日紅」
「秋立つや風幾たびも聞直し」
「朝顔に釣瓶とられてもらい水」
「蜻蛉釣りけふはどこまで行ったやら」
「行く水に己が影追ふ蜻蛉かな
「十六夜や囁く人のうしろより」
「立尽す物は案山子しぞ後の月」
「春の夜の夢見て咲くや帰り花」

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炭 太祇(たん たいぎ)
宝永六年(1709)〜明和(1771)
江戸の人。宝暦元年京都に上がって
大徳寺の僧となり、道源とと称したが、
まもなく島原に不夜庵を結んで住んだ。
その後蕪村らと親交し、俳諧に精進した。
人事句に多くの佳句を残しているが、その他
多種多様の佳句も詠んだ。蕪村より七歳年長で、
それに影響も与え、中興俳句の最盛期に没したが、
その異彩は顕著だった。
 
「目を開けて聞て居るなり四方の春」
「万歳の舞おさめたるしたり顔」
「七草や兄弟の子の起きそろひ」
「親や子も酔へば寝る気よ玉子酒」
「美しき日和になりぬ雪の上」
「雪見とて出るや武士の馬に鞍」
「聲もよき頼もし気也厄拂」
「はる寒く葱の折ふす畠かな」
「紅梅や散るやわらべの帋つゝみ」
「な折りそと折ってくれたり園の梅」
「椿折る人木隠れて答へけり」
「白雲や雪解の沢へうつる空」
「下萌や土の裂目の物の色」
「勝鶏の抱く手にあまる力かな」
「東風吹くとかたりもぞ行く主と従者」
「駕に居て東風に向ふやふところ手」
「吹きはれてまたふる空や春の雪」
「つみ草や背なに負ふ子も手まさぐり」
「ふらここに会釈こぼるゝや高みより」
「里の子や髪に結いなす春の草」
「ふりむけば灯とぼす関の夕霞」
「燕来てなき人問ん此彼岸」
「遅き日の光のせたり沖の波」
「長閑さに無沙汰の神社回りけり」
「塵はみなさくら也けり寺の暮」
「山路来て向ふ城下や凧の数」
「墨染のうしろ姿や壬生念仏」
「池のふねへ藤こぼるゝや此の夕べ」
「炉ふさぎや老の機嫌の俄か事」
「春の行音や夜すがら雨のあし」
「酔ひ臥して一村起きぬ祭かな」
「門へ来し花屋に見せる牡丹かな」
「麦秋や馬で出て行く馬鹿息子」
「麥を打つほこりの先に聟舅」
「麥打や歌も連なる姉妹」
「ほととぎす駕籠から覗く行方かな」
「行く女袷着なすや憎きまで」
「やさしなや田を植るにも母の側」
「早乙女の下り立つあの田この田かな」
「角出して這はでやみけりかたつむり」
「うつす手に光る螢や指のまた」
「甘き香は何の花ぞも夏木立」
「橋落ちて人岸にあり夏の月」
「鉾処々に夕風そよぐ囃子哉」
「年よらぬ父の寝顔やたかむしろ」
「炎天に照らさるる蝶の光りかな」
「さるすべり寺中おほかた見えにけり」
「遺言の酒備へけり魂祭」
「初戀や燈籠によする顔と顔」
「送火や顔覗きあふ川向ひ」
「初秋や障子さす夜とさゝぬ夜と」
「朝顔に垣根さへなき住居かな」
「畠から西瓜くれたる庵主かな」
「月入りて闇にもならず天の川」
「脱捨てゝ相撲になりぬ草の上」
「行く先に都の塔や秋の空」
「秋の夜や自問自答の気の弱り」
「長き夜や余所に寝覚めし酒のよい」
「石榴くふ女かしこうほどきけり」
「鉢の子に煮立つ粥や今年米」
「田舎から柿くれにけり十三夜」
「今朝見ればこちら向きたる案山子哉」
「猪の庭踏む音や木の実降る」
「朝寒や旅の宿たつ人の声」
「顔見世や子々孫々も此の桟敷」
「かみ置やかゝへ相撲の肩の上」
「人疎し落葉のくぼむ森の道」
「盗人に鐘つく寺や冬木立」
「つめたさに箒捨てけり松の下」
「夜あるきの子に門で逢ふ十夜かな」
「足が出て夢も短き蒲団かな」
「はつ雪や医師に酒出す奥座敷」
「雨水も赤くさび行冬田かな」
「河豚喰し人の寝言の念仏かな」
「父と子よよき榾くべし嬉し顔」
「あら手きて羽子つき上げし軒端かな」
「寒月や我ひとり行橋の音」
「勤行に起き別れたる湯婆かな」

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溝口 素丸(みぞぐち そまる)
正徳三年(1713)〜寛政七年(1795)
江戸の人。幕府に仕え、御書院番を勤めた。
俳諧を馬光に学んで、師の前号素丸を継ぎ、
素堂以来の俳系を継承して葛飾蕉門と称した。

「海苔掻きの臑の長さよ夕日影」
「長閑さや出支度すれば女客」
「馬ともに人の呑まるるなつのかな」
「童べのよい銭拾ふ木の実かな」

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砂岡 雁宕(いさおか がんとう)
生年不詳〜安永二年(1773)
下総結城の俳匠。のち江戸に定住した。
俳諧は早野巴人に学び、
同門系の蕪村とは親交があった。

「関屋にも仏壇あってつゝじ哉」

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有井 諸九(ありい しょきゅう)
正徳四年(1714)〜天明元年(1781)
蕉門の野坡の門下である有井浮風の妻。
筑後国(福岡県)竹野の永松家の出身。

「百合咲くや汗もこぼさぬ身だしなみ」

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与謝 蕪村(よさ ぶそん)
享保元年(1716)〜天明三年(1783)
摂津の国(大阪市)東成郡毛馬村の農家に生まれた。
十七、八のころ江戸へ出て画・俳諧を学び
寛保二年俳諧の師巴人が没してからは江戸を去り
十年余におよぶ東国放浪を続けた。宝暦元年京都に移り
次第に画・俳諧ともに声価を高め、明和七年には
夜半亭を継承して宗匠の列に加わった。
与謝蕪村 - Wikipedia

「朝日さす弓師が店や福寿草」
「雪折れも聞えて暗き夜なりけり」
「寒月や僧と行き合ふ橋の上」
「雪沓をはかんとすれば鼠行く」
「寒ぎくや日の照る村の片ほとり」
「冬の梅きのふやちりぬ石の上」
「めぐり来る雨に音なし冬の山」
「寒声や古うたうたふ誰が子ぞ」
「池田より炭くれし春の寒さかな」
「関の戸の火鉢ちひさき餘寒かな」
「順礼の宿とる軒や猫の恋」
「襟巻の浅黄に残る寒さかな」
「下駄かりてうら山道を梅見かな」
「けさ来つる鶯と見しなかで去る」
「草の戸や二見のわかめもらひけり」
「河内路や東風吹き送る巫女が袖」
「のうれんに東風吹いせの出店かな」
「椿落ちて昨日の雨をこぼしけり」
「春の水山なき国を流れけり」
「拾ひのこす田螺に月の夕べかな」
「畑打や我家も見えて暮かねる」
「枕する春の流れやみだれ髪」
「春水や四条五条の橋の下」
「渡し場や片足ぬらす春の水」
「水ぬるむ頃や女のわたし守」
「公達に狐化けたり宵の春」
「春雨やゆるい下駄かす奈良の宿」
「春雨やものがたりゆく簑と傘」
「命婦よりぼた餅たばす彼岸哉」
「乙鳥や去年も来しと語るかも」
「耕や鳥さえ啼かぬ山かげに」
「折もてる蕨しほれて暮遅し」
「旅人の鼻まだ寒し初ざくら」
「花を踏し草履も見えて朝寝かな」
「菜の花や月は東に日は西に」
「なのはなや笋(たけのこ)見ゆる小風呂敷」
「今年より蚕はじめぬ小百姓」
「雲の端に大津の凧や東山」
「難波女や京を寒がる御忌詣」
「まだ長ふなる日に春の限りかな」
「春惜む宿やあふみの置火燵」
「ゆく春やおもたき琵琶の抱きごころ」
「牡丹散りて打かさなりぬ二三片」
「閻王の口や牡丹を吐かんとす」
「不二ひとつうづみ残して若葉かな」
「愁ひつつ岡に上れば花いばら」
「三井寺や日は午にせまる若楓」
「麦秋や何におどろく屋ねの鶏」
「青梅に眉あつめたる美人哉」
「ほととぎす平安城を筋違に」
「鮎くれてよらで過行く夜半の門」
「五月雨や大河を前に家二軒」
「老なりし鵜飼ことしは見えぬかな」
「鯰得て帰る田植の男かな」
「雨乞に曇る国守の泪かな」
「雨後の月誰そや夜ぶりの脛白き」
「雨の日やまだきにくれてねむの花」
「短夜の闇より出でて大井川」
「いづこより礫うちけむ夏木立」
「朝風に毛を吹かれ居る毛むしかな」
「夏河を越すうれしさよ手に草履」
「夕立や草葉を掴むむら雀」
「夕風や水青鷺の脛をうつ」
「風鈴や花にはつらき風ながら」
「絵団扇のそれも清十郎にお夏かな」
「燃立ちて貌はづかしや蚊やり哉」
「温泉の底に我足見ゆる今朝の秋」
「月更けて猫も杓子も踊かな」
「大文字や近江の空もたゞならぬ」
「初秋や余所の灯見ゆる宵の程」
「虫鳴くや河内通ひの小提灯」
「日は斜関屋の槍にとんぼかな」
「浪悠々釣の絲吹く秋の風」
「巡礼の目鼻書きゆくふくべ哉」
「山は暮て野は黄昏の芒かな」
「村さがり暮れ行く野辺の薄かな」
「去年より又淋しいぞ秋のくれ」
「初汐に追はれてのぼる小魚かな」
「広道へ出て日の高き花野かな」
「待宵や女主に女客」
「田に落ちて田に落ち行くや秋の水」
「秋の空昨日や鶴を放ちたる」
「秋風や干魚かけたる浜庇」
「秋の燈やゆかしき奈良の道具市」
「父母の事のみ思ふ秋の暮」
「小鳥来る音うれしさよ板びさし」
「子狐の隠れ顔なる野菊かな」
「茸狩り頭あげれば峰の月」
「新米にまだ草の實の匂ひ哉」
「身にしむや亡妻の櫛を閨に踏む」
「落穂拾い日あたる方へあゆみ行く」
「かけ稲に鼠鳴くなり門田かな」
「山くれて紅葉の朱をうばひけり」
「缺々て月もなくなる夜寒かな」
「戸を叩く狸と秋を惜しみけり」
「けさの冬よき毛衣を得たりけり」
「初冬や訪んとおもふ人来り」
「初冬や日和になりし京はづれ」
「冬近し時雨の雲もこゝよりぞ」
「木枯や鐘に小石を吹きあてる」
「片枝は雪に残して帰り花」
「古家のゆがみを直す小春かな」
「西吹けば東にたまる落葉かな」
「逢はぬ恋思い切る夜やふぐと汁」
「茶の花やわずかに黄なる夕かな」
「麥蒔きの影法師長き夕日かな」
「もの云ふて拳の鷹をなぐさめつ」
「水鳥を吹きあつめたり山おろし」
「渡し呼ぶ女の声や小夜千鳥」
「大食のむかしがたりや鰤の前」
「蕭条として石に日の入る枯野かな」
「薬喰隣の亭主箸持参」
「我骨のふとんにさはる霜夜かな」
「冬川や孤村の犬の獺を追ふ」

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谷 素外(たに そがい)
享保二年(1717)〜文化六年(1809)
本姓は池田氏、大阪鰻谷の商人。
江戸へ出て俳諧を学び江戸談林派の
七世宗家を継いで多くの門人の指導に当たった。

「寝て遠く聞や踊も秋の声」

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大島 蓼太(おおしま りょうた)
享保三年(1718)〜天明七年(1787)
信濃国(長野県)伊那に生まれた。
江戸に出て、嵐雪門の吏登に学び、
勢力のあった江戸座の宗匠を批判し、
江戸の俳壇に地位をしめた。

「掃きよせん君いざつくれ雪達磨」
「五六丈瀧冴返る月夜かな」
「消えかかる燈もなまめかし夜の雛」
「筆取りてむかへば山の笑ひけり」
「物惜しむ老に見よとやちるさくら」
「世の中は三日見ぬ間に桜かな」
「ふり返る女ごころの汐干かな」
「菜の花に落て麦からひばりかな」
「郭公一声夏をさだめけり」
「清滝に宿かる夏の隣りかな」
「おしあうて蛙啼くなり五月闇」
「緑わく夏山陰の泉かな」
「山ひとつ背中に重し田草取り」
「夏痩のわが骨さぐる寝覚めかな」
「勘当の母にあふ夜や盆の月」
「秋涼し松にかゝりて天の川」
「稲掛けて里静なり後の月」
「髪置やひと花さける肩ぐるま」
「寺々の鐘聞きわけるしも夜かな」
「更くる夜や炭もて炭をくだく音」
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三宅 嘯山(みやけ しょうざん)
享保三年(1718)〜享和元年(1801)
京都の人。質屋を営んだ。
太祗・蕪村らと親交あり。
幅広い文学的な教養に裏づけられ
「俳諧古選」「俳諧新選」等を編纂し、
また清新な作風を示したことで名高い。

「ふらここや花を洩れ来る笑ひ声」
「庭石を抱きてさつきの盛りかな」
「鷺草や風にゆらめく片足だち」
「鰯雲立塞ぎけん船の道」
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堀 麦水(ほり ばくすい)
享保三年(1718)〜天明三年(1783)
加賀の国(石川県)金沢の人。

「入りかねて日もたゞよふや汐干潟」
「門に待つ駕の欠伸や藤の花」
「飛び習ふ青田の上や燕の子」
「迷い子の泣き泣きつかむ蛍かな」
「夕がほや物をかり合ふ壁のやれ」
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川上 不白(かわかみ ふはく)
享保四年(1719)〜文化四年(1807)
紀州(和歌山県)新宮の人
茶人として新宮候水野家に仕え、江戸に出て
千家不白流の祖となる。

「永き日や絵馬をみている旅の人」
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大伴 大江丸
享保七年(1722)〜文化二年(1805)
大阪の人。飛脚問屋として繁栄し、俳諧ははじめ
松木淡々に学び、のち大島蓼太の門に帰し、
蕪村にも私淑した。俳諧は余技であったが
、俳歴は長く、独特の軽妙自在な作風をもって
寛政期俳壇に異彩を放った。

「あさ風やかも川原の洗い葱」
「蚫(あわび)むくいせの浦人はる深し」
「羽蟻たつ家にとつがぬ美人あり」
「なつの夜やまだ舌にある唐がらし」
「我子にて候あれにほこの児」
「彼岸の蚊釈迦のまねして喰はせけり」

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高桑 蘭更(たかくわ らんこう)
享保十一年(1726)〜寛政十年(1798)
金沢の人、支麦流の中に芭蕉の高雅を慕い、
粉飾なき平明達意のありのままの句を求めた。
天明以後は京都に住み、門人を多く得、
寛政五年には二条家から曉台についで花の
本宗匠号を許された。

「雪消えて麥一寸の野づら哉」
「引鶴の声はるかなる朝日かな」
「蛙鳴く田の水動く月夜かな」
「戻りなば人には告ん初ざくら」
「つくづくと海見て居るや春の雁」
「摘み摘みて人あらはなる茶園哉」
「髭つらに葵かけたる祭かな」
「古寺や葎の下の狐穴」
「夏草や所々にはなれ駒」
「網もるゝ魚の光や夏の月」
「よき友のくすし見えけり日の盛」
「百日紅虹立つ寺のうしろかな」
「山里や煙斜めに薄紅葉」
「見廻して又啼きにけり月の鹿」

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黒柳 召波(くろやなぎ しょうは)
享保十二年(1727)〜明和八年(1771)
京都の富商、通称は清兵衛、別号は春泥舎。
漢詩に長じ、俳諧ははじめ几圭(几董の父)に学んだが
後蕪村に師事した。

「年玉や抱きありく子に小人形」
「学寮や祖師の鏡のあぶり喰ひ」
「やぶ入りの枕うれしき姉妹」
「煮凍りへともに箸さす女夫かな」
「いかずちの後にも春のさむさかな」
「思い出て薬湯たてる余寒かな」
「底たゝく音や余寒の炭俵」
「煮凝を旦夕やひとり住」
「よき君の雪の礫に預らん」
「先生も人のすゝめや厄落」
「音なしに春こそ来たれ梅一つ」
「東風うけて川添ゆくや久しぶり」
「耕に馬持てる身のうれしさよ」
「おぼろ月獺(おそ)の飛び込む水古し」
「北ぞらや霞て長し雁の道」
「人の手に巣に戻されつ雀の子」
「野に山に閑人春を惜みけり」
「杜若門から覗く売屋鋪」
「月更けて桑に音ある蚕かな」
「夏の山しづかに鳥の鳴く音かな」
「ゆりあまた束ねて涼し伏見舟」
「湯浴みして且うれしさよたかむしろ」
「涼居て闇に髪干す女かな」
「町あつく振舞水の埃かな」
「父が酔家の新酒の嬉しさに」
「夕日影道まで出づる案山子かな」
「虹たるるもとや樗の木の間より」
「北は黄にいてふぞ見ゆる大徳寺」
「初冬や空へ吹かるる蜘の糸」
「留守がちの夜を守る妻の綿子かな」
「憂きことを海月に語る海鼠かな」
「禅院の子も菓子貰ふ冬至かな」

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蝶夢(ちょうむ)
享保十六年(1731)〜寛政七年(1795)
京都中川の阿弥陀寺帰白院十一世住職
三十六歳の時、職を弟子に譲り京都楽岡に隠棲した。
俳諧は初め貞門系であったが、のち芭蕉の侘びを
秘めた人格的作品に傾倒して蕉風に転向した。

「一月の落葉も掃きて神迎」
「嶋からの文のしめりや海苔の塩」
「痩せたがる娘の形や桃の花」
「うれし気に回廊はしる鹿の子かな」
「散りみだす卯波の花の鳴門かな」
「抱き起す葵の花やさ月ばれ」
「ほとほとと麦つく臼の音睡し」
「雨乞の太鼓よわりし夕日かな」
「引き汐のわすれて行きしなまこかな」

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加藤 暁台(かとう ぎょうたい)
享保十七年(1732)〜寛政四年(1792)
名古屋に生まれた。尾張国徳川家に仕えたが
職を辞して俳諧に専念した。
蕪村と親交し、優雅な作風を示し
中興俳諧の指導者となった。

「雁高く低く吹雪をめぐるかな」
「うぐいすやものゝまぎれに夕鳴きす」
「負ふた子に蕨をりては持たせける」
「燕の面なぬらしそ浪がしら」
「くらき方はけぶるが如し春の月」
「日くれたり三井寺下りる春のひと」
「春の海辺何に集る人一里」
「老けりな春程惜しきものもなし」
「卯の花の中行く蓑のしづくかな」
「田植女のころびて独りかへりけり」
「つまなしがさす手ひく手や田植舟」
「我がものに植田の蛙鳴きつのる」
「かはほりや古き軒端の釣りしのぶ」
「筆洗ふながれや蓮の花ひとつ」
「ひやし瓜宇治の堰にかかりけり」
「今日の秋死しとも聞きし人に逢ふ」
「蜩や明るき方へ鳴きうつり」
「蜩の啼けばつらつら古郷を思ふ」
「江に添うて流るる影や天の川」
「かるの子のひとり出て行く小浪かな」
「小比丘尼の折りて捨て行く野萩哉」
「秋の雨胡弓の糸に泣く夜かな」
「雲起て寺門を出づる秋の声」
「静けしや鶴に定まる秋の雲」
「秋の山ところどころに煙立つ」
「茫々と芒折れ臥す秋の水」
「椎の実の板谷を走る夜寒かな」
「京近き山にかかるや渡り鳥」
「秋深し松は昔の具足ずれ」
「初冬や二つ子に箸とらせける」
「魚つりの編がさひとり小はる哉」
「暁や鯨の吼ゆるしもの海」
「鏡餅母在して猶父恋し」

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三浦 樗良(みうら ちょら)
享保十四年(1729)〜安永九年(1780)
志摩の国(三重県)鳥羽に生まれた。
山田(伊勢山田)に無為庵を結んだが
後京都に住み、蕪村、几董、蘭更、曉台らと交遊し
中興俳壇の一雄となった。

「海老焼いてやまひに遊ぶ寒の内」
「山寺や誰もまゐらぬねはん像」
「鳥の羽に見初る春の光かな」
「花菫何所から来たぞちいさい子」
「旅人の見て行く門のやなぎかな」
「夕顔の中より出づる主かな」
「川向ひに見て居るは誰夏の月」
「いざよひや闇より出づる木々の影」
「秋の夜や時雨るゝ山の鹿の声」
「夕風や盛りの菊に吹き渡る」

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吉分 大魯(よしわけ たいろ)
享保十五年(1730)〜安永七年(1778)
阿波の国(徳島県)徳島の藩士であった。
後京都に上り蕪村に学んだ。

「見ぬかたの花さく春を待つ身かな」
「誰か子そ太刀よき似あふ菖蒲の日」
「牡丹折りし父の怒ぞなつかしき」
「中々に忘れじ瓜の漬けかげん」
「悪僧の天窓冷せし清水かな」
「蚊遣りして師の坊をまつ端居かな」
「眼の限り臥しゆく風の薄かな」
「秋惜しと一声虫の鳴音かな」
「山畑や麦蒔く人の小わきざし」

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吉川 五明(きつかわ ごめい)
享保十六年(1731)〜享和(1803)
秋田の富商」

「ながれ来て氷を砕く氷かな」
「春の夜や心の隅に戀つくる」
「白馬の青野をかくるあらし哉」
「逆のぼる鮭に月飛ぶはやせかな」

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高柳 荘丹(たかやなぎ そうたん)
享保十九年(1734)〜文化十四年(1817)
武蔵国(埼玉県)川越の人。江戸に出て
大島蓼太門の高弟となったが、市中の喧噪を嫌い
武蔵与野に隠棲した。

「人込みを歌舞伎役者や夏の月」

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加舎 白雄(かや しらお)
元文三年(1738)〜寛政三年(1791)
信濃の国(長野県)上田の人で、江戸深川に生まれた。
諸国を旅し、関東・信州に多くの門弟を育てた。
安永九年(1780)江戸日本橋に春秋庵を結び、
俳壇に一勢力を築いた。
句風は自然で、独特の幽雅繊細な作風を見せた。
蕪村・曉台などにやや遅れたが、中興期の一雄であった。

「飛びたつは夕山鳥かゆきおろし」
「春いまだ田毎の雪間雪間かな」
「土舟や蜆こぼるるゝ水の音」
「美しや春は白魚かいわり菜」
「こと更にかしがましさや雀の巣」
「人恋し灯ともしころをさくらちる」
「永き日や鶏はついばみ犬は寝る」
「母恋し日永きころのさしもぐさ」
「明日よりは身を夏旅の今宵哉」
「さうぶ湯にさうぶ寄りくる乳のあたり」
「明易き夜を泣く兒の病かな」
「焚火してもてなされたるついりかな」
「岩はなや旅人労れていちご食ふ」
「傘さしてふかれに出し青田かな」
「草よ木よ今朝秋立つと人の言ふ
「川面や花火のあとの楫の音」
「迎火や父の面影母の顔」
「つれなしや秋立つころのあぶら旱」
「秋日和鳥さしなんど通りけり」
「掛稲や洗ひ上げたる鍬の数」
「立出て鶏の雛見る小春かな」
「茶の花や誰が箒せし里の道」
「落し来る鷹にこぼるる松葉かな」

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松岡 青蘿(まつおか せいら)
元文五年(1740)〜寛政三年(1791)
もと姫路藩士、俳諧は玄武坊門。

「春立つや梢の雪にひかりさす」
「朝風呂にうぐいす聞くや二日酔」
「くちなしの淋しう咲けり水の上」
「みじか夜や蚕飼ふ家の窓明り」
「はな散りて三日月高し嵐山」
「大粒に置く露寒し石の肌」

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高井 几菫(たかい きとう)
寛保元年(1741)〜寛政元年(1789)
京都の人。はじめ父几圭について俳諧をたしなみ、
やがて父と同じく巴人門であった蕪村に学んで
頭角を現し、中興俳諧の指導的役割をはたす一人となった。
作品には、繊細な感覚を通して、独特の魅力を示している。
編著には「其雪影」「あけ烏」「続明烏」等
蕪村門の重要俳諧書が多い。

「松とりて世こころ楽し小正月」
「年かくすやりてが豆を奪いけり」
「元日の酔い詫びに来る二月かな」
「青海苔や石の窪みのわすれ汐」
「水に落ちし椿の氷る余寒かな」
「転び落ちし音してやみぬねこの恋」
「裏店や箪笥の上の雛まつり」
「堤行く牛の影見ゆ春の水」
「絵草紙に鎮(しず)おく店や春の風」
「雪どけの音聞いている朝寝かな」
「紫に夜は明かゝる春の海」
「還俗のあたま痒しや暮の春」
「怠りし返事かく日や弥生尽」
「嵐して藤あらはるゝわか葉哉」
「麦歌の声まね行くや琵琶法師」
「湖の水かたぶけて田植かな」
「藺を刈るや古郷につづく山の裾」
「夏痩やあしたゆうべの食好み」
「汗拭くや左袒ぐ夏芝居」
「花火尽きて美人は酒に身投げけむ」
「生きて世にひとの年忌や初茄子」
「たばこ干す寺の座敷に旅寝かな」
「秋あつき日を追うて咲く木槿かな」
「霧深し何呼りあふ岡と舟」
「やはらかに人分け行くや勝角力」
「十六夜や一人缺けたる月の友」
「馬渡す舟にこぼるゝや今年米」
「聟入りに樽提げて来る新酒かな」
「下りざまに又鐘聞くや冬もみじ」
「「野の池や氷らぬ方へかいつぶり」」
「わかき人に交りてうれい年忘」
「酔うて寝た日のかずかずや古暦」

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井上 士朗(いのうえ しろう)
寛保二年(1742)〜文化九年(1812)
尾張国(愛知県)守山に生まれ、
名古屋の町医井上家を継ぎ、産科医として名声を得た。

「何事もなくて春たつあしたかな」
「消のこる雪にも遊ぶ子供哉」
「ふうわりと鷺は来にけり春のくさ」
「菜の花に大名うねる麓かな」
「けふこそは父のもの着ん更衣」
「たうたうと瀧の落ちこむ茂りかな」
「湖の水の低さよ稲の花」
「足軽のかたまつて行くさむさ哉」

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宮 紫暁(きゅう しぎょう)
延宝二年(1745)〜享和二年(1802)
京都伏見の人、のち京都に移った。
縄手通り茶屋の主人。年少より俳諧を好み、
特に蕪村一門と親しく、蕪村没後は几董に入門、
同門の筆頭となり、几董の十三回忌に春夜楼二世を継いだ。
篤実な性格で、師風をよく守り、その句風も天明調の調べを伝えている。

「春深し松の花ちる城の堀」
「誰訪ひて留守の釣瓶に杜若」
「芙蓉咲く今朝一天に雲もなし」

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栗田 樗堂(くりた ちょどう)
(1748)〜文化十一年(1814)
伊予(愛媛県)松山の人。二十五歳で町方大年寄りに
選ばれ、その後三十年もつとめた人望家。
晩年は対岸の瀬戸内海の孤島御手洗島に
庵を設けて悠々自適の生活を送り、
多くの俳人達と交遊した。

「禰宜が子の鶏抱いて若楓」

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今泉 恒丸(いまいずみ つねまる)
寛延三年(1750)〜文化七年(1810)
奥州三春(福島県)に生まれた。
俳諧は白雄門下で、のち江戸に出て成美、一茶
などと交友した。後年は下総佐原(千葉県)に移住して、
葛斉と号して藩より扶持を受けた。
また和漢の学にも通じ、妻の素月も俳諧をよくした。

「麦飯に夏朝顔の分限かな」

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夏目 成美(なつめ せいび)
寛延二年(1749)〜文化十三年(1816)
通称、井筒屋八郎右衛門。江戸浅草蔵前の富裕な札差。
父の感化で少時より俳諧を楽しんだが、
特に定まった師はなく、遊俳として終始した。
円満な人格と高い学識とを持って大家と仰がれ
、また、一茶のよき庇護者となった。

「妹が子はなづな打つ程に成にけり」
「しら魚はお僧すこしはまゐられよ」
「東海道残らず梅になりにけり」
「卯の花に烟かゝるや夕炊」
「夏めきて人顔見ゆるゆうべかな」
「衣かへ離れて住める親思ふ」
「稲妻を待や侘寝の探し物」
「蜀黍に三日月かゝる嵐かな」
「山近く見ゆるも秋のたよりかな」
「古家や草の中から百合の花」
「我帰る家は見ゆるぞ露の中」
「炭なしといふ声小夜も更けにけり」

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田上 菊舎(たがみ きくしゃ)
宝暦三年(1753)〜文政九年(1826)
本名、道。長門国(山口県)長府藩士の娘。

「解けてゆく物みな青し春の雪」
「山門を出れば日本ぞ茶摘うた」

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岩間 乙二(いわま おつに)
宝暦六年(1756)〜文政六年(1823)
奥州白石(宮城県)の千住院住職。
俳諧は父に学び、蕪村に私淑して
「蕪村発句解」の著がある。
よく旅をして、享和三年江戸に赴き、
成美・巣兆・道彦等と交わり「畑せり」編した。
東北俳壇の雄で、句にはその風土の特色を生かし
重厚温和なものがある。

「人の子やはるを迎にゆくといふ」
「松島の鶴になりたや春の空」
「短夜の満月かかる端山かな」
「関守が棒の先なり秋の山」
「灯の影は冬こそよけれ鹿のくる」

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江森 月居(えもり げつきよ)
宝暦六年(1756)〜文政七年(1824)
京都の人、几董とともに蕪村門の双璧であった。

「あたたかい筈の彼岸に頭巾かな」
「ひとむしろ内儀ばかりや門涼」
「蔵明けて旅人入るゝ新酒かな」
「ひたぶるに旅僧とめけり納豆汁」

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鈴木 道彦(すずき みちひこ)
宝暦七年(1757)〜文政二年(1819)
仙台の人、江戸に出て医を業とした。
加舎 白雄の門下生。

「夏近になるや旅僧の白脚絆」
「笋や妙義の神巫が小風呂敷」
「夏近になるや旅僧の白脚絆」
「家二つ戸の口見えて秋の山」

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建部 巣兆(たてべ そうちょう)
宝暦十一年(1761)〜文化十一年(1814)
江戸の人、加舎白雄の門下生。

「江に添ふて家々に結ふ粽かな」

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酒井 抱一(さかい ほういつ)
(1761〜1828)
播磨国姫路城主酒井忠以の弟

「草の戸や小田の氷のわるる音」
「つる引けば遙かに遠しからす瓜」

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峯 寥松(みね りょうしょう)
宝暦十二年(1762)〜天保三年(1832)
江戸両国薬研堀に住んでいた俳諧師。
俳諧を大島蓼太に学んで、のち文化文政時代の
一方の雄となった。浅草の美人芸妓ひともとを
身受けして世間を驚かせた。

「ちんまりと山里なりぬ冬隣」

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小林 一茶(こばやし いっさ)
宝暦十三年(1763)〜文政十二年(1827)
信濃の国(長野県)柏原に農民の子として生まれた。
三歳の時母と死別し、継母との間が不和であったので、
十五歳の時江戸へ奉公に出て苦労をした。
一 茶 発 句 全 集

「御年始の返事をするや二階から」
「とし玉のさいそくに来る孫子かな」
「鳴く猫に赤ん目をして手まりかな」
「是がまあつひの栖か雪五尺」
「ゆで汁のけぶる垣根やみぞれふる」
「手拭のねじったままの氷かな」
「見るにさへぞつとする也寒の水」
「寒念佛さては貴殿でありしよな」
「先ずよしと足でおし出すたんぽかな」
「木菟や上手に眠る竿の先」
「口明けて春を待つらん犬はりこ」
「二ン月や天神様の梅の花」
「煎豆の福が来たぞよ懐へ」
「梅咲けど鶯啼けどひとりかな」
「雪とけて村一ぱいの子ども哉」
「三日月は反るぞ寒さは冴えかえる」
「山焼きの明りに下る夜舟かな」
「春めくや藪ありて雪ありて雪」
「春立つや愚の上に又愚にかへる」
「来るも来るも下手鶯ぞおれが垣」
「大雨や花の三月ふりつぶす」
「手のひらにかざって見るや市の雛」
「亀の甲並べて東風に吹かれけり」
「春の風足むく方へいざさらば」
「木々おのおの名乗り出でたる木の芽かな」
「かすむ日や夕山かげの飴の笛」
「春の日や暮ても見ゆる東山」
「日が永い永いとのらりくらり哉
「日の暮て凧の揃ふや町の空」
「子どもらの頭に浴びる甘茶かな」
「たらの芽はとげだらけでも喰はれけり」
「雀の子そこのけそこのけ御馬が通る」
「痩蛙まけるな一茶是にあり」
「夕燕我には翌のあてはなき」
「大犬をこそぐり起こす柳かな」
「我と来てあそべや親のない雀」
「我蒔きた種をやれやれけさの露」
「行く春の町や傘売りすだれ売り」
「江戸住みや二階の窓の初のぼり」
「新茶の香真昼の眠気転じたり」
「僧になる子の美しや芥子の花」
「大江戸や犬もありつく初鰹」
「芍薬のつんと咲きけり禅宗寺」
「むら雀麦わら笛にをどるなり」
「麦秋や子を負ひながらいわし売り」
「青梅や餓鬼大将が肌ぬいて」
「もたいなや昼寝して聞く田うへ唄」
「疲れ鵜の叱られて又入りにけり」
「はなれ鵜が子のなく舟にもどりけり」
「行々子大河はしんと流れけり」
「入梅や蟹かけ歩く大座敷」
「入梅晴れや二軒並んで煤払ひ」
「わんぱくや縛られながらよぶ螢」
「代かくやふり返りつつ子もち馬」
「けいこ笛田はことごとく青みけり」
「短夜の鹿の顔出す垣ね哉」
「梢から立小便や青がえる」
「孑孑や日にいく度のうきしずみ」
「負うた子がただをこねるや田草取り」
「夏山や一足づつに海見ゆる」
「人声や夜も両国の土用照り」
「しづかさや湖水にの底に雲のみね」
「通し給へ蚊蠅の如き僧一人」
「親方の見ぬふりされし昼寝かな」
「おもしろう汗のしみたる浴衣かな」
「松陰や寝蓙一つの夏座敷」
「川舟や花火の夜も花火売り」
「青天と一つ色なり日傘」
「夕月や涼みがてらの墓参り」
「不甲斐ない家とおぼしき盆佛」
「木曽山に流れ入りけり天の川」
「よりかゝる度に冷やつく柱哉」
「今尽きる秋をつくつくほうし哉」
「夕暮や膝を抱けば又一葉」
「仰のけに落ちて鳴きけり秋の蝉」
「籠の虫妻恋しとも鳴くならん」
「蟋蟀が髭をかつぎて鳴きにけり」
「べつたりと人のなる木や宮相撲」
「巡礼が馬にのりけり秋日和」
「落し水魚も古郷へ戻る哉」
「白花の花ぬつて見る娘かな」
「名月を取つてくれろと泣く子哉」
「名月や山あり川あり寝ながらに」
「江戸店や初蕎麦がきに袴客」
「首出して稲つけ馬の通りけり」
「馬の子の故郷を離るる秋の雨」
「栗拾ひねんねんころり云ひながら」
「殿よりは少し上座や菊の花」
「乙鳥は妻子揃うて帰るなり」
「吹き消したやうに日暮るる花野かな」
「待ちかねて雁の下りたる刈田かな」
「柿の木であいと答へる小僧哉」
「天広く地ひろく秋もゆく秋ぞ」
「松原の秋を惜しむか鶴の首」
「鳶ひよろひゝよろ神の御立ちげな」
「我宿の貧乏神も御供せよ」
「大根引大根で道を教へけり」
「三巡りの日向ぼこしに出たりけり」
「日短やかせぐに追ひつく貧乏神」
「茶の花に隠れんぼする雀かな」
「納豆の糸引張て遊びけり」
「霜の夜や横丁まがる迷子鉦」
「門松の立ち初めしより夜の雨」
「家なしや今夜も人の年忘」
「一袋猫もごまめの年用意」
「づぶ濡れの大名を見る炬燵かな」
「一尺の子があぐらかくゐろりかな」
「めでたさもちうぐらいなりおらが春」
「初夢に故郷を見て涙かな」
「亡き母や海見る度に見る度に」

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成田 蒼きゅう(なりた そうきゅう)
宝暦十年(1760)〜天保十三年(1842)
加賀金沢藩士勘左衛門の子。のち父の跡を継いで
四百石を得た武術の達人であったが、不詳事件に関連して
武士を捨てて京都に上がった。俳諧は蘭更に学んだ。
後京都八坂に対塔庵を建て住み、ここで枝月尼を
後妻に迎えた。なお彼女の妹は「頼山陽」の後妻という
関係から「頼山陽」とは親交が厚かった。

「犬も尾をきりりと巻きて今朝の秋」

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田川 鳳郎(たがわ ほうろう)
宝暦十二年(1762)〜弘化二年(1845)
熊本の人。熊本藩に使えたが、辞して俳諧で
身を立てるべく江戸に出、道彦や成美と交わり、門戸を張り
良くその地位を固め名声を得た。

「鶯の来ぬ日春めく木の間かな」
「夕風や牡丹崩れて不二見ゆる」
「筑波根もこえよと投げつ火とり蟲」
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桜井 梅室(さくらい ばいしつ)
明和六年(1769)〜嘉永五年(1852)
加賀国(石川県)金沢の人。
加賀藩の刀研師だったが子供の頃から俳諧に親しみ、
のち高桑蘭更に師事した。文化四年に上京し俳諧活動をはじめた。
文政から天保にかけて12年間江戸にあり、京都に帰ってから
俳名を高めた。幕末期の大家と名を成したが、
句風は時代の平俗低調を脱しきれなかった。

「御さがりやここぞと開く朱傘」
「手にとればはやにこにこと賣雛」
「鍬の刃に菫をのせて子を連れて」
「水底の草も花咲く卯月かな」
「はかま着や稚ごゝろに威儀の眉」
「露さへも旅は重きに五月雨」
「真白に又真黒に渡り鳥」
「冬の夜や針失なうて恐ろしき」

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清水 一瓢(しみず いつびよう)
明和七年(1770)〜天保十一年(1840)
江戸谷中の本行寺住職。俳諧を好み
成美・一茶らと親交をを結びのち伊豆三島の
妙法華寺、京都の妙顕寺・本満寺などを歴任
、晩年はふたたび江戸に帰り、本行寺に隠棲した。
その放逸洒脱な吟調はは、一茶の俳風にもっとも近い。

「下萌えの乞食にかはすことばかな」

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市原 多代女(いちはら たよじょ)
安永四年(1775)〜慶応元年(1865)
奥州須賀川(福島県)の俳人。
俳諧は鈴木道彦に師事し道彦没後は岩間乙二に学んだ。

「よき宿や蚤を忘れて一寝入り」

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高橋 一具(たかはし いちぐ)
安永九年(1780)〜嘉永六年(1853)
出羽国村山郡棔岡に生まれた。
僧籍に入り、のち福島の大円寺の住職になる。
俳諧は岩間乙二に師事した。文政年間に法弟に
住職を譲り、各地を行脚して江戸中橋槇町に一大勢力を築いた。

「事もなき二百十日や夜の酒」
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経歴不詳

「初夢や見るものならば親の顔」  重厚
「まひ出でてものいひたげや猿の顔」  竹涼
「松取りて頻りに寒き旦(あした)かな」  月守
「店の者火事見に行きて誰もゐず」  北強
「乾鮭も梅も春待つ支度かな」  祗良
「おにやらひ跡は蕎麦うつ山家かな」  石亭
「汲みに出て髪とく水のぬるみ哉」  文永
「葉ばかりの椿一樹や風光る」  士栖
「旅に寝て故郷の春を惜しみけり」春武
「行く春のうしろ姿か藤の花」  かな
「やとわれて鬼に成りたる祭哉」  古庭
「夕暮や野に声残る麦の秋」  楚秋
「釣舟の沖に市あり初松魚」  夷川
「木の下の闇は昼なり蝉の声」  基岩
「人ありや窓の枇杷くふ山烏」  楚常
「鵜の影や鮎は河原へ飛上り」  如行
「野に居るは鷺ばかり也半夏生」  泰勇
「夏山や雲に宿かす朝けしき」  沈心
「いかつちを遠く聞く夜の暑かな」  丸室
「初蝉や是は暑いという日より」  太無
「あの中に風もあるへし雲の峰」  東推
「雨やんでやつはりもとの暑さ哉」  軽羅
「草刈の寝顔見てゆく夏野哉」  野蛾
「虫干や幕をふるへばさくら花」  卜枝
「じだらくに寝れば涼しき夕かな」  宗次
「鮭飛んでさゞ波残る川辺かな」 圓木
「閼伽棚やまだ生きている紅葉鮒」 嵐作
「一むしろ芋ほす寺や冬構」 萬岱
「短日や物塞がりし小抽出」 青圃

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参考文献
俳句評釋 潁原退蔵(角川文庫)
近世俳句俳文集(岩波書店)
近世俳句俳文集(小学館)
俳諧歳時記(改造社)
分類俳句全集(アルス)
図説俳句大歳時記(角川書店)
カラー図説日本大歳時記(講談社)
古今俳句の鑑賞・永田義直編著(金園社)
俳句人名辞典(金園社)


「俳句読本」に登場した「俳諧師達」と「発句集」その一 元禄期まで

「俳句読本」に掲載した俳句集[春]

「俳句読本」に掲載した俳句集[夏]

「俳句読本」に掲載した俳句集[秋]

「俳句読本」に掲載した俳句集[冬]


「西国山人のつれづれ草」


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い  昨日
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