箱崎の歴史スポット

私達の住む箱崎は、古くから開けた町であります。箱崎地区は、西北を博多湾に望み、東南は宇美川左岸に位置しています。緑なす箱崎松原の続くところ、白砂青松の名勝の地でありました。古名を葦津浦、白良浦、または大浦といっていました。
蒙古襲来や豊臣秀吉の箱崎茶会など、歴史的にも有名でありますが、対外交易の基地でもありました。箱崎千軒といわれ、唐津街道に沿う博多の次の宿場町であります。
筥崎宮は、延長元年(西暦923年、1079年前)嘉穂郡大分八幡宮よりこの地に御遷座されました。筥崎宮は、わが町のシンボル的存在で、正月の玉せせりや、秋の放生会は、全国的にもよく知られています。
明治44年、九州帝国大学工科大学が、わが町に設立され、その後、農学部、法文学部、理学部と総合大学として着々整備され、西日本の最高学府として、町の北西に聳える学びの殿堂は、永く偉容を誇ってきました。
しかし、この九州大学も西区元岡地区への移転が決定し、新キャンパスへの統合移転、平成17年度の移転開始と工学系の一部開校をめざして着々と進められています。
筥崎宮と九州大学は、わが箱崎の二つの顔であります。歴史と伝統の町として、また俊秀集う学問の府として、新旧の調和を保ちつつ住みよい町を目指し、環境を整えながら今日まで歩んできました。
そもそもわが町は、古来より農業や漁業を中心に、穏やかな里を形成し、先人たちの絶ゆみない努力で、生々発展してきました。藩政時代には、大庄屋、浦大庄屋を持つ時期もありましたが、明治22年の市町村制施行と共に、糟屋郡唯一の町として箱崎町が誕生しました。
昭和15年12月26日、福岡市と合併するまで、糟屋郡の郡都として、郡の政治、経済の要でありました。現在、町域の著しい伸びと広がりに伴い、箱崎から筥松、そして東箱崎、さらに松島と四校区に枝分れをしました。しかし、四校区は、それぞれ一幹同枝として、強い絆で結ばれています。
注、筥崎宮についてはトップページを参考にして下さい。詳しくは筥崎宮花庭園ホームページ(http://www.hanateien.co.jp/index.html)をご参照下さい。

筥崎宮と九州大学は箱崎のシンボルである


網屋天満宮
箱崎浦網屋天神境内は昔、黒田藩士がこの地に御茶屋を設けていました。ちなみにこの附近は御茶屋跡・茶屋小路という地名が現在も残っています。
享保10年(西暦1725年)頃菅原道真公をお祀りして、浦人の守護神として代々祭礼を継承し、121年目の弘化3年(西暦1846年)に新たに天神社殿を建立し、天満宮として祀り、信仰を集めています。
従来は境内中央に、東向きの社殿でありましたが、昭和29年4月東北側の現在地に南向きに移転、改築建立して今日に至っています。
聖観音(焼けずの観音)
寛永3年(西暦1626年)の夏、網屋一帯に大火災が発生し、ほとんど焼失しようとしましたが、観音菩薩様のお陰で流石(さすが)の大火も不思議と治まり、以来「焼けずの観音」として人々に崇拝され、その後一層の信仰を深めています。


恵比寿神社
箱崎浦漁民の守護神として信仰を集め、網屋天満宮境内に祀られています。正月3日は三日恵比寿祭、7月15日には恵比寿祭として漁協組合員総出で信者が、早朝から集まり、大漁、安全祈願、福の神として祭礼しています。
鯨の標(墓)
地元では鯨塚と呼んでいます。従来九大構内にあったものを、現在網屋天神境内に移転してお祀りしています。
 明治21年博多湾内に回遊し、捕獲された鯨の霊を弔うため、網屋の漁師たちが建てたものであります。


網屋地蔵大菩薩(網屋立筋j地蔵堂) 縁日 7月23日 ・24日
この地は、網屋旧漁業地の網干場の一隅にあって、樹木の根方に鎮座し、粗末な墓石に似た地蔵尊が風雨にさらされながら、朝にお潮井汲みの人に拝まれ、夕べに香華を手向けられていました。時の流れと共に、網干場は住宅地となり地蔵尊の敷地は箱崎漁業協同組合の厚意により、一劃の地を寄進して頂き現在に至っています。
由来については、碑文に示される「弥陀観音勢至」云々と「正平丙甲11年2月右起立二世安楽」等の文字に因り、郷土史家その他の調査により、600有余年前、南北朝時代の建武中興に際し錦の旗を掲げた将兵が武運拙く彼の多々良川の合戦に敗れ遂にこの地に於いて菊池能登守、菊池播磨守、前田菊之丞の老武者が人馬と共に戦没され付近住民に葬られ、供養碑が建立されたことが明らかとなり、福岡市新四国第八十四番札所に指定されこともあって、町内世話人協議して網屋地蔵大菩薩にふさわしい御堂建立を計画したところ、幾多のご賛同と浄財が集まり、昭和33年6月13日竣工落成しました。その後、網屋町内の崇拝を集め信仰を深め今日に至っています。
新屋敷地蔵菩薩
(新屋敷地蔵堂)
網屋地蔵大菩薩と同様、600有余年前、南北朝時代の建武中興に際し足利尊氏との戦った菊池軍の将兵が武運拙く多々良川の合戦に敗れ、遂に人馬と共に戦没さた方々を付近住民が葬り供養碑が建立されたものと思われます。


網屋地蔵大菩薩
(網屋本町地蔵堂)
古くから伝わる箱崎浦一帯の地蔵尊では、毎年7月23日・24日の両日「人形飾り」と称して、各戸家々の玄関に石地蔵を祀り、囲いに濱砂を入れ土人形を飾り、子供達の無病息災を願うお祭りです。近所の子供達は各戸を訪れ焼香して廻る姿は夏の風物詩の一つでもあります。
一説には南北朝時代に多々良川の合戦に敗れた菊池勢の武将や兵士達がこの地に於て、戦没し付近の住民達に手厚く葬られ供養の石碑が地蔵尊として祀られたとの言伝えもあります。
各町世話人の計らいで多くの浄財を集め御堂を建立し、町内の信仰を集て今日に至っています。
網屋本町御堂前の石碑に箱崎浦漁民聚落発祥の地、天文5年(西暦1536年)漁民組織の実績があると記されています。
車僧観音 (茶屋小路)
昔から車僧観音は、霊地の一つにかぞえられ観音というのは車僧が熱心な観音信仰者であったからと言われている。
車僧は深山正虎禅師と稱し、京都太秦海生寺や大和ノ國吉野宝泉寺の開山であります。常に破れ車に乗ってその欲する所に行くので世人呼んで車僧と言った。又よく七百年前のことを話したので、これによって七百歳とも言いました。一夏中国の鳥?道林(ちょうそうりんどう)の風を慕って箱崎に来て承天寺の直翁智侃(ちかん)禅師(承天寺第九世・東福寺第十世)に謁して僧となりました。生年は元亨2年(西暦1322年)と言われています。
大正2年4月17日町内世話人の計らいで、幾多の浄財を集め、車僧記念碑と御堂を建立人々の崇拝を集め、縁日の4月17日・10月17日は町内信者集まりて読経祈願をし、お籠り祭礼を継承し信仰を深めています。


宇 佐 殿(米山弁財天)(上小寺町)
筥崎宮境外末社で、宗像三女神を祀る。米山弁財天ともいいます。箱崎三山の一つで、神功皇后三韓出兵の折、ここに米俵の山を積んだといわれる故事により、この近辺を米山町といいます。
長女は、たぎり姫(多紀理姫)、次女は、いちきしま姫(市寸嶋姫)、三女は、たぎつ姫(多岐津姫)、この三姉妹は『宗像三女神』と呼ばれいます。
次女のいちきしま姫は弁天さまと呼ばれ、楽器の琵琶を持っていることから芸能の神さまとして慕われています。
米一丸地蔵(石塔)(米一丸1丁目)
博多の伝説では、一番の悲話です。
駿河国の米一丸は、文武に秀でた若者でありました。米一丸には、美しい妻がいました。これに横恋慕した主人筋の京の一条殿の策略で、米一丸は博多に使いに出され、寄宿先を急襲され、衆寡敵せず、追い詰められ箱崎松原で自害しました。侍女たちも同じく自決。これを知った妻も米一丸のあとを追い、墓前で命を絶ったということです。
九重の塔は、米一丸他の供養塔であります。花崗岩製の高さ4.2mの九重の石塔で、鎌倉末期の作と推定されます。基礎は、盤状方石、塔身は、高さ・幅ともに50cmの立方体で、四方に如来像を浅い。


将軍地蔵堂(米一丸横)
高さ161センチの見事な石仏である。平重盛公が、宋国へ砂金を贈ったお礼に贈られた地蔵といわれています。
寛永8年(西暦1631年)二代福岡藩主黒田忠之公が建立しましたが、明治42年(西暦1909年)九州大学工学部が建設される際、現在地へ移転し祀られました。(県指定文化財)

現在、箱崎 ・筥松の世話人により毎年8月17日・18日に大施餓鬼が行なわれています。近隣の初盆の家庭より博多提灯が奉納され、会場いっぱいに大提灯が飾付けられる。境内には舞台が小屋掛けされ博多仁和加や箱崎・筥松婦人会の舞踊等が奉納されています。
現在の地蔵堂も、1・2年後には道路拡幅工事に伴い筥松側(JR鹿児島本線側)に移転されるそうです。

九州大学工学部構内の地蔵森に残る
将軍地蔵堂跡


玉取恵比寿神社(馬場町)
筥崎宮境外末社で、事代主命を祀り、1月3日の神事玉取祭(玉せせり)の競り始め地点です。
尚、事代主命は大国主命の子供で海上・漁業・商業の神様として奉られてきました。
恵 光 院(馬出3丁目)筥崎宮参道側
筥崎宮の結縁寺。 瑠璃王山医王密寺恵光院といいます。高野山真言宗総本山金剛峰寺の直末寺であり、ご本尊は、薬師如来。
境内にある燈籠堂は、天正15年6月14日、豊臣秀吉公が、千利休らとともに、茶会を催したところとして有名であります。
筥崎宮の社坊である座主坊の末寺で、二代福岡藩主黒田忠之の開基により寛永年間(1624〜1644)建立された。明治初期の廃仏毀釈の際、法院賢秀が筥崎宮や社坊の仏教関係の遺品を恵光院に移し守った。これらの遺品のうち、木造釈迦如来坐像は高さ94.2cmで、鎌倉時代、中央の仏師により製作されたもの。もと箱崎村原田の瑞応寺という禅寺の本尊で、のちに筥崎宮の社内に移された。脇侍普賢菩薩像、文殊菩薩像(ともに江戸時代製作、木造)とともに市指定文化財(彫刻)


まだ多くの神社・仏閣や史跡が残っています。以後紹介させていただきます。



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