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梅岳寺 (福岡県新宮町立花口) 立花道雪・養孝院 墓所
新宮町「立花山」の北麓立花口にある。
「戸次鑑連(立花道雪)」・母「養孝院」の墓所「梅岳寺」。新宮町の指定史跡、禅宗「曹洞宗」の
お寺である。
このあたり古くは「立花口村」といった。神郡「宗像」より御笠郡へ通じる主要な街道筋にあたる。
「梅岳寺」のその初めは、元中二年(1385)に創見され「花谷山神宮寺」といった。
天正三年乙亥(キノトイ)三月廿三日(1575)立花山城主「立花道雪」の養母であった「養孝院」
逝去。この神宮寺に葬った。このとき寺号を「梅岳寺養孝院」と改称したという。
曹洞宗「諸菴和尚」を請うじて開祖とした。
その後「立花道雪」は寺の場所を立花山山上と定め、新たに「梅岳寺」を創建して養孝院のために
行を修めたいと望んでいた。
しかしながら、戦いに明け暮れ歳月を経る中、「立花道雪」は筑後出陣中病に倒れ、家臣らの見ま
もる中「天正十三年乙酉九月十一日(1585)」筑後北野天満宮陣中において没した。
遺体は甲冑姿をもって「梅岳寺」に眠る「養孝院」と並び葬られた。
法名を「梅岳院殿福厳道雪大居士」という。
道雪の養子となった「統虎(後の立花宗茂)」は父の志を継ぎ、立花山山頂に梅岳寺」を造営したい
と考えていたが、その成就の前に「統虎」の領地が「筑後柳川」へと移つる事となり、このため
「梅岳寺」変わる寺を柳川に造営することとし、こうして後年「宗茂」が建立したのが現在柳川市
にある「福厳寺」という。しかし「道雪・養孝院」の墓が残ることから、二人の「位牌」も
「梅岳寺」に残されたという。
また、道雪の寄進した「鎗、鎌」も梅岳寺にあったとされ、この他道雪の寄進した「長刀、馬鞍」は
「医王寺」にもあったという。

立花山「梅岳寺」

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