戸次川古戦場 2 


       「戸次川の戦い」: 天正14年12月12日(1,586)  
      場所:豊後国稙田荘戸次庄(へつぎのしょう)(現大分市中戸次、利光、竹中)の戸次川の河原を舞台に繰広げられ
      薩摩島津と、豊後大友氏の著名な戦い。

       戸次川 : 大分県の中南部久住山、祖母傾連山を水源として竹田市、豊後大野市の流域を下って別府湾に注ぐ
             一級河川「大野川」のこと。中世戸次庄を貫流することからこの辺りを「戸次川(へつぎかわ)」と呼んだ。

       大友軍 : およそ 八千  大将大友義統  戸次統常戸次鎮時戸次鎮直、吉弘嘉兵衛統幸、宗像掃部助
                     応援四国勢、陣頭仙石秀久、長宗我部元親・信親、十河春保
       島津軍 : およそ 一万八千(島津は鶴賀城、臼杵城,、栂牟礼城攻めで多くの損害を出しており
                                         実質は一万一千〜二千程度か)
                    総大将島津家久、伊集院美作守、新納大膳正、野村備中守、白浜周防守、山田有信
       主な戦死  : 大友方 :戸次統常鎮時鎮直、利光宗魚、長宗我部信親、十河春保
                      長宗我部家中の戦死700有余名
                      戸次氏第十七代統常は、島津に余同した父鎮連の汚名晴らすべく家中僅か二百を率いて
              :  島津方 : 鶴崎城にて 伊集院美作守、白浜周防守、野村備中守(重傷高鍋にて)

       戦況    : 豊臣秀吉の命を無視した仙石秀久の強引な渡河が起因して大友軍は大敗。大友義統、仙石秀久逃亡
                戸次川の戦いで勝利した島津家久であったが、その後の鶴崎城攻めで女武将「妙林尼」の巧みな謀略
                により敗戦、重臣を失う。
                島津軍は戸次川に先駆けて攻めた「鶴賀城(利光城)」でも苦戦多くの戦死す。、臼杵城では宗麟の国崩し
                攻撃うけ撃退される。さらに栂ケ牟礼城攻めも苦戦。おそらく家久軍の損害は合せ数千に上ったとみられる。
            
                        
                                 戸次川古戦場の全景
                     現在流水部の河床高は、近年の砂利採集の影響で低下しているが、当時は
                     現河床より数m高かったとみられる。写真で見るほど高水敷と河床に段差は
                     なかったであろう。
            
                 
                    戸次川古戦場             家久陣跡付近より大友義統陣跡鏡山城跡望む
            島津家久陣跡は此の標柱より二町ほど上流   当時の河床はもっと上がっていたとみられる

                 
                  左 長宗我部信親墓            近年に建立された戸次川の戦い慰霊碑
                  右 十河一族慰霊碑
             救援の四国勢の損害は甚大であった。

                 
                高知市長浜若宮八幡宮(長宗我部元親初陣地)境内に建つ「戸次川の戦い」の
                説明版(左)と於豊州信親公忠死御供之衆の戦死者銅製名板(右)。信親と供に
                戦死した長宗我部家中700有余名の名が刻まれている。
                土佐の人々は、長宗我部家の衰退は有能な青年武将「信親」の戸次川の戦い
                による戦死にあると口伝されている。信親の戦死は元親を落胆させその性格は
                大きく変わってしまったという。
                管理人は2010年8月、南国市岡豊町(土佐国長岡郡岡豊)長宗我部氏の居城
                「岡豊城(おこうじょう)跡の「高知県立歴史民俗資料館・長宗我部展示室」と
                元親が初陣に臨んだ陣跡高知市長浜の「若宮八幡宮」を訪れた。

                 
               島津家久陣跡付近の祠と地蔵         鶴賀城主利光宗魚の墓(利光の大成寺跡)
                                          宗魚は不覚にも櫓にあがり敗走する島津兵を
                                          確認するところを狙撃された。
                                          成大寺は大神系戸次氏の祈願所であった。

                           
                          常忠寺 戸次統常墓地(豊後大野市大野町藤北)
                          戸次川の戦いで先陣を果たし戦死した統常の墓
                             「戒名:常忠寺殿節宗義圓大居士」
                          常忠寺の場所は鎧ケ嶽へ続く麓藤北戸次屋敷の
                          在ったとされる一角である。



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