立花道雪の死(1) 立花道雪の死(2) このページは「大友興廃記」の「立花道雪」の死について同記を参考に紹介する。 天正12年5月 道雪は筑後に出陣、黒木家永を猫尾城に討った道雪は、高良山に本陣を置き 竜造寺勢と対峙していた。出陣は長旅陣となり高齢の道雪は暑さと疲れが重なり発病するので ある。 (道雪は北野へ陣替えしたともされる。興廃記にはその事は書かれていない) 「立花道雪(戸次鑑連)」について詳しくはページ(戸次鑑連・ァ千代・色姫)を参照されたい。 古語曰 「月興が月を還(かえ)す威(たけだけしさ)も、炎王(えんおう)の使いに縛(ばく)せられ、龍帝が龍を 投げうつ力も、獄卒(ごくそつ)の技を遁(のが)れず。会者定離(えしゃじょうり)、生者必滅(しょうしゃひ つめつ)は穢土(えど)の習い、今更驚べきにあらず。三界は水の上の泡、一性は風の前の灯び、有為 轉変(ういてんぺん)の理(ことわり)なり。 生老病死(しょうろうびょうし)誰かは遁(のがれ)る可き。一切の諸法は是れ本地風光(ほんじふうこう)、 本来の面目は是常住不変(じょうじゅふへん)にして、無色無形(むしきむぎょう)なり。 秋露梧桐(しゅうろごとう)、葉の落ちるとき「道雪」俄かに長別離の告げ有りて、冥土黄泉(めいどよみ) の道を踏初しに依って、諸軍勢上中下に至るまで、悲嘆(ひたん)の余り鎧の袖をうるをさざるは無し。」 是は、大友興廃記の書く「道雪」の死に際しての描写である。あらゆる佛法用語を用い、名将「立花道雪」の死 を伝える。史実や否か、後年の付け足しとも思えるが、遠く「武田信玄」までにも「会ってみたいと」と言わしめた 武将の死。「道雪」は死に際し次のように遺言した。 (注):( )で示す読みは、管理人による読み方で正確か否かは特に調べていないので申しそえる。 「わが死骸は立花の城にて葬るべし。 五具足を鎧ばせ、長刀を添え、立たせて埋めるべし」 と。 この道雪の遺言に盟友「高橋紹運」、重臣「由布雪荷」らは「幸いこの場所は寺である。葬礼はこの地で執り行う のがよいとの談合が定まった。 この重臣らの談合に「宮迫三郎次郎」という侍が異議を唱えた。 この士は、出所や氏素性ははっきりしなかったが、「道雪」に取り立てられた者であったが、これまで日々合戦に も手柄働きなく家中よりそしりを受けていた。この時「三郎次郎」は憚ることなく進み出て「道雪老のご遺言に各々 (おのおの)背かれるは宜しからず、ひとえにご遺言に従う が然る可候」と強く言った。 是に皆々も、もっともな申しようと、道雪の遺骸を立花山へ送ることとなった。 「宮迫三郎次郎」これまで皆の評 判はよくなかったが、道雪の目利きはたしかであった。 「道雪」を立花へ送る情景を大友興廃記は次のように書く。 「扨(さて),死骸を僅一千餘人にて、筑前國立花の城へ送る。國中野心の武士も道雪 開陣と心得て、矢一筋も射る事なし」 道雪の葬礼には、敵対する近隣の城主たちも野辺に立ち、遠所のからは弔いの使いが到来した。 「道雪」死後に至って和睦の心が通じたことは、尋常ならぬ誉れと不可別(おしなべて)畢感ず。 (注釈) 「月 興」 : 再びを月の輝きを興す勢い 「炎 王」 : 閻魔大王 「龍 帝」 : 竜神、龍王、佛法の守り神 「獄 卒」 : ごくそつ ・地獄の鬼 「會者定離」 : えしゃじょうり ・この世は無常、会うものは必ず離れる運命にある 「生者必滅」 : しょうしゃひつめつ ・生あるものは、必ず死ぬ 「穢 土」 : えど・ 汚れた国、穢れたこの世 「三 界」 : 欲界、色界、無色界・ 一切衆生の生死輪廻する世界 「有為転変」 : ういてんぺん・ 世事は移り変わりやすい 「生老病死」 : しょうろうびょうし・ 人が避けることのできない、生、老、病、死 「本地風光」 : ほんじふうこう・ 佛、菩薩のすがた 「面 目」 : かおかたち 「常住不変」 : じょうじゅふへん・ 常に続くこと 「無色無形」 : むしきむぎょう・ 宇宙空間に存在する有形、無形のあらゆる事物 「秋露梧桐」 : しゅうろごとう・ 菊の花・青桐に露の降りたさま。晩秋のさま 「冥土黄泉」 : めいどよみ・ 死者の魂がいく所 |