鎮西評定衆
               「戸次太郎時親・鎮西探題歌壇にも活躍


        戸次氏は、大友系戸次氏初代「重秀」が、検非違使」の要職を命じられて以降、6代「直世」までの間、
      「引付衆(頭人)」「鎮西評定衆」などの幕府重職に任じられていた。
      また、将軍家奉公の形として小番衆という奉公衆があった。小番衆は本来、将軍の直近にあって警護などに
      あたる近習などの親衛軍の周りに配置された奉公衆であった。応永2年(1395)ごろには九州にも30人の
      小番衆がいたとされる。豊後からは「戸次、日田、佐伯、吉弘、田原」の5氏7名が任じられていた。この頃で
      は九州の小番衆は在国奉公であったと言う。


       「検非違使
          政都「京都」の警察、司法に携わる要職で、大きな権力を持っていた。
          戸次氏初代「戸次重秀」は、これに任じられていたことが「戸次氏系図」よりうかがえる。

       「引付け衆(頭人)
          「評定衆」の下におかれた、領地訴訟や、裁判を速やかに処理するための職務。
          地方の有力「御家人」より任じられた。
          従って、後に「評定衆」と昇格した者も多い。
          永仁7年(1299) : 探題「北条実政}時代   三番引付頭人「大友貞親」
                                        三番引付衆「戸次貞直
          探題 : 「北条随時」時代              一番引付衆「戸次貞直」 
                                        三番引付衆「大友貞宗
                                               これを見る限り、戸次は将軍家より
                                               主家大友氏以上の信頼をえていた。
          探題 : 「北条英時」時代              一番引付衆「戸次左近蔵人入道(重頼)」

       「鎮西評定衆
          関東御教書案などによれば嘉暦2年には、「大友貞宗」と共に「戸次豊前(貞直)」「戸次左近蔵人
          の両人が鎮西評定衆とある。
          「大友公御家覚書」というのがある。豊後大友氏の盛時の様々な由来や、年中儀式次第、祭礼、
          豊後国侍や同紋衆のこと、代々定めの家職のこと等々、広範囲に様々書き残したもので、この中に
          「九州探題並評定衆次第」という記述があります。
          この書によれば

          京都守護九州探題    北條時国、北條時村、同兼時、同咸房
          評定衆   相模守時宗(元服たるに於て時頼と号す)  戸次太郎肥前守時親・渋河河内前司
                  伊勢民部少輔・藤北九郎
                 「戸次時親」は戸次氏二代当主である。時親は大友六代貞宗と共に、九州の武家文化
                 とりわけ武家歌壇の歌人として活躍。京都文化の九州文芸に大きな影響を与えた。
                 「大友貞宗」は、当時一級の武家歌人とされており、時親は「大友太郎時親、あるいは
                 法名「道恵」の名で活躍。貞宗は、京都の有名歌人「浄弁」を九州へ招致した。
                 「和歌口伝抄」には多くの奥書があるという。
                  例えば、
                       文永三年十一月日依器量之仁授大友太郎時親
                                  勅撰作者十五代後胤五代撰者  末葉為顕  がある。

          探題    北條實政(正安元年九州に下向)
                (この行の次に、次のようにあるが不審とされる。相模守貞時 元服たるに於て貞直と号す
                 戸次孫太郎左衛門尉貞直、三代と思われるが)
          評定衆   渋河河内前司・伊勢民部少輔・藤北九郎(二代時親と思われる)
          
          探題    足利直冬(将軍義隆公の庶兄直義公の嫡子となる・斯波民経(足利高経入道道朝次男)・
                 今川貞世(伊勢守入道了俊)
          評定衆   戸次丹後守兵庫頭頼時(天龍寺供養の時、高氏将軍先陣騎兵一七騎の内の之を勤む)
          
          探題    今川貞世(右兵衛佐直冬元服たるに於 直元と号すて)
          評定衆   戸次右馬助下野守直光(五代)

          探題    今川貞世・大友親世修理大夫・大内義弘大夫
          評定衆   戸次治部大輔直世(六代)


        戸次氏は、初代重秀以降幕府の要職へ任じられている。しかし六代直世を最後に、戸次の名は消える。
        直世は、鎮西評定衆の要職にあったが何らかの原因で将軍家の勘気をうけたとされ、この後戸次氏の
        悲運の時代が続き、終には戸次庄を追われ大野荘藤北(鎧が嶽城)へ移るのである。

                                      参考資料    大友公御家覚書
                                                中世九州の政治文化史(川添昭二)


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