武将の人生訓




   
黒田如水 水五則                  
     「水五則」は戦国武将「黒田如水」が創ったとされる。
      これは、「如水」の心底に潜む戦国武将としての「権力者」への道の表現ともみえる。

     「石垣原合戦」にて大友義統氏に引導を渡した「黒田官兵衛孝高」号して「如水」1604年没。
     「織田信長」に仕えるが後に「豊臣秀吉」の参謀軍師となる。文武両道に長けていたようだ。
     「黒田如水」作とされる人生訓「水五則」が伝えられている。これは水の循環を人の一生に
      置きかえ、その生き方を説いたものであるが、「如水」自身の思い(野心)でもあったの
      ではないか。



     
水五則

       1つ 「自ら活動して他を動かしむるは水なり」

       1つ 「常に己の進路を求めて止まざるは水なり」

       1つ 「障害にあい激しく其の勢力を百倍し得るは水なり」

       1つ 「自ら潔うして他の汚れを洗い清濁併せて容るるの量あるは水なり」

       1つ 「洋々として大洋を充たし発しては蒸気となり雲となり雨となり雪と
         
           変じ霞と化して凝っては玲瓏たる鏡となり而も其性を失はざるは水なり」



     内容に少し違いがあるが禅宗「曹洞宗」総本山「永平寺」には、訓えとして「水五訓」
     というのが伝えられているという。
    「
只管打坐(シカンタザ)」ひたすら座禅する姿こそが悟りの姿。禅宗曹洞宗の教えに
     相応しい訓えなのだろうか?。
     ひたすら「座禅」の姿、「如水」のそれはあくなき権力者への「瞑想」であったのでは。



      
出典: この「水五則」は、旧建設省河川局監修(国土交通省)1996年版
          「河川ハンドブック」表紙裏に掲載されたものを参考に、管理人が
          批評編集したものである。
          原作者「黒田孝高(よしたか)」の「関ヶ原の戦い」前後の動きの
          中に、「孝高」が常々持っていたであろう武将としての野心を感じ
          「武将の人生訓」と置き換え編集したものである。
          黒田如水は関ヶ原における西軍の敗北を予測していたとされ、石田
          三成旗揚げと同じくして、如水は私財叩いて牢人を集め瞬く間に8千
          もの軍勢にまとめた。動きは素早く豊前豊後の山城一気に攻め上げ
          落した。此の如水の行動には関ヶ原後のしたたかな計算があったと
          みられる。しかしその後の結末は如水の計略通りにはいかなかった。
          
          
          

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