戸次鑑連貝之沙汰

     
       
戦国武士道を貫き、生涯を戦場で終えた「戸次鑑連(立花道雪)」
     数々の武勇の伝えられる鑑連であるが、ある時は非情に、ある時はやさしく
     人としても優れた教養を備えた武将であった。


     豊後之国大野荘藤北、ある日鎧ヶ嶽城主「
戸次鑑連」は近従の三人の小姓達へ「矢音指南」の
    教訓中であった。その折、臼杵の浜より「
(はまぐり)」の飛脚便が届いた。
    鑑連の居住する「鎧が嶽」麓藤北の里は海には遠く、この「蛤」の飛脚便に鑑連は大いに悦んだ。
    鑑連は蛤を台の上に積み上げた。鑑連この蛤の中に、蛤でも珍重される「
耳白」を見出した。
    そしてこの耳白の蛤のことについて、三人の小姓へ教訓した。
   「汝らよく聞け、同じ蛤の中にも、この耳白はその「殻」さえ売り買いになる代物なり。女子の
   「遊び貝」を造るには、これを磨り研き内に箔を置き絵を入れる。
    この「遊び貝」を入れる貝桶さえも結構な金子(きんす)するものである。貝の殻さえ耳白に生ま
    れつきたるは、斯くのように丁重に扱われる。耳白でなくては役にはたたぬ。只、塵埃に雑じり割
    れて消えるだけである。
    何事にもこの様に気をつけ見れば、誰でも知恵才覚の一端が覗えるものだ。人間も皆、この耳白の
    ようによき者と見出された者は、取り上げられて馳いにあい立身するものだ。ただし人は
    (自分を)上辺をもって専らとせず、心を研く事こそ肝要である。一度武道に通じた者は、いつも
    斯様にあらんと心を配りて、其れが知行の種となる。
    これまで一度もよき事に遭わずとも、物事に馴れた武偏者に親しみ様々な話を聞く者は、利口者の
    名もらい、世間のそしりを受けることはないのだ。此れもまた立身の正しい途である。
    惣て人は、萬の事に気をつけて見れば、何事も教えを授かることがあるものだ。梅と柿を見るに、
    梅は初めより備えたる味を変えることはなく、酢の味わいのみである。柿はあまくせんとすれば甘
    くなり「しぶ」にしては、いつ迄も渋味を変えることはない。此れを人に譬(たと)えれば、能き
    ものの教えに随う者の如くなり。
    只人は柿の如くならば善き者になり、梅は片意地にして、教えに随わざる者に似たり。惣べて平生
    の心持ち肝要である。善を行う者は、譬えば春の園の草木の如し、草葉の伸びるは見えねども、次
    第々々に長ずるものなり。悪事を行う者は「刀」を研ぐ砥石の如し。我に減るようには見えねども
    終には虧ける所ある者なり。人を鏡にして、我が身の善悪糺すべし。 
  
       古人曰  以
銅為鏡。 可衣冠。 以古今為鑑。 可興替
               以人為
鏡。 可得失。 朕常寶。 此之鑑。

        「此の三つの鏡を国守も寶として給うとなり。汝らも皆能きを鏡と思うべし。
        斯様の教訓常々あるに依って、家中の侍皆誉れある者になったのだ。
        汝ら三人は、小笠原晴宗によって弓法躾方を極めたり。此の「鑑連」は、人の善悪
        を糺し、重き罪は軽くし、軽き忠をは重くし、危ういを救い、其の寒さ見ては是が
        為に衣布を送り、其の暑さを見ては扇を送り、飢えを見ては食を送る。皆是民を愛
        する道なり。日頃より人を近づけて、皆能き者になす事上手となる。その仔細は、
        毎度戦場において、手柄をほしい儘にしたる侍を、客人ある折々は呼び出し、彼等
        また、不手際の軍をして、臆病の名を受けたる者も呼び出し、彼等は心懸けは能き
        者共にて候へども、度々不運にて高名を仕らず候。次は必ず手柄仕り候はん。是に
        も盃を御さし候らえとて。如何にも、懇の饗応に依って、此の言葉を恥じ、皆手柄
        者となる。此の如く慈悲を先として、憐愍(れんびん:あわれみ)深き故、諸人是
        に随うごとくなり。此の「鑑連」につきては、皆勝れたる者になる。「藤」は木に
        なり、人は君によると云うも是なるべし。

        古語に曰  假蚊虻如
麒尾。 一日行千里。 若着牛尾数里。
              学士撰
其所其師
          又曰  芳蘭所
其草。 皆香美玉 其山


             
      引用資料 :(大分縣郷土資料集成戦記篇収録)
                          
大友興廃記 巻第六



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