片賀瀬戸次氏系圖

       片賀瀬村(緒方荘に含む)は、現大分県竹田市片ヶ瀬という。ほとんど歴史に登
       場することは無い。唯一歴史に登場するのは、豊薩合戦の折、肥後口から高森〜
       波野原〜九重野高源寺緩木城、入田を経て侵入してきた、薩摩島津義弘軍が岡城
       志賀親次(親善)を攻めるため主力の終結した所である。
       片賀瀬には、戸次氏五代直光のころ、弟の直時が入り土着「片賀瀬氏」を名乗っ
       たことが系圖にて確認できる。今日史跡は残らないが場所が口傳されている。
       こんにち片賀瀬氏の苗字は全国でも確認できない。途絶えた可能性もある。
       資料があれば知りたい。その後十三代親宣のころ(15世紀中期)、戸次氏は三家
       に分かれる。片賀瀬初代は「
親続」、片ヶ瀬地区に戸次氏先祖の墓と伝えられる
       中世の石塔がある。片賀瀬戸次氏は四代ほど続いたが、 四代
鎮秀(山城守宗傑
       ・加判衆)の時、天正14年10月島津義弘によって焼き尽くされる。
       豊薩合戦後鎮秀は、息子親良らと柳河立花宗茂に同行した。鎮秀の墓は、玉名市
       石貫広福寺にある。親良は柳河藩の要職についたとされる。

        かたがせけいず



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