大友氏系戸次系図

   戸次氏は八代直世頃までは、単独惣領制をとっていたとみられる。六代直世が将軍義満の
  勘気をうけて後は、本貫の戸次庄を追われ家督にも混乱がみられる。
  そして十三代親宣の代、三つの流れ(説では二家)に分家する。
  大友氏系戸次系圖には善本が存在しないとされてきた。戸次系圖の一部が確認出来る資料
  として「大分縣郷土資料集成、系圖篇、戦記篇」に収められた「@大友系圖その1〜その4」
  同本群書類従本に據る「A戸次系圖」「B立花系圖」。「西国武士団関係史料・戸次文書、
  C藤原姓源平臼杵系圖」「同じく戸次文書・清田文書の
D大友戸次氏系圖」、「大分県史
  中世編T・
E戸次系圖」などがあるがある。
  この内、@大友系圖その1、その4、Bは史料とするには整理されていない。Aも欠落あり。
  広く公開されている戸次系圖はこれらが根拠となっている。
  西国武士団関係史料戸次文書解説に「戸次氏略系」の記載があるが、直世から親載に家督が
  三代も飛んでいることや、片賀瀬戸次親続、藤北戸次親延(親正)を親載の子としている等
  誤り多い。
  これらのに比べ、大友系圖その2、その3及びC、
DEは完成度に差はあるが記述部分は
  ほぼ整合する。特に
D「大友戸次系圖」E「戸次系圖」は各人の記述内容に至るまで一致し
  善本と判断される。
  Dの大友戸次系圖は福岡市戸次哲夫家に伝わる系圖で古文書。Eは明治20年9月[柳川伯爵
  立花寛治氏」より、内閣修史局編集久米邦武へ寄贈されたもので、東京大学史料編纂所蔵本
  である。整理したものを下記に示す。
 
    下記「
@戸次氏系圖」は、大分歴史事典P420の戸次系圖と家督順序が整合する。
    また、
ABも多くの資料照合の結果善本に値する。

                  
     
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             @        戸次氏系図

             A        片賀瀬戸次氏系図
             B        
藤北戸次氏系図

            
(注)この分類は管理人が、系図、現地遺構等を検討、確信して
               初めて独自に分類したものである。

 
                      
                      戸次氏系図一部、親家、鑑連の名見える 

                                参考資料  大分県史 中世編T〔東京大学蔵本写し)
                                              西国武士団関係史料集五(戸次文書)
                                                   仝   二十六(戸次・清田文書)
                                                   仝   二十一(米多比文書・三)
                                               大分歴史事典
                                               大分縣郷土史料集成上巻(系圖篇・戦記篇)
  



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