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新納 忠元年表 |
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年 号 |
西 暦 |
出 来 事 |
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大永6年 |
1526 |
忠元 志布志城にて誕生。 幼名 阿万丸
後に次郎四郎 |
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天文7年 |
1538 |
忠元 元服。 叔父に連れられ、島津忠良(日新斎)
お目見え |
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天文14年 |
1545 |
島津貴久の郡山城、入来院重朝攻めに参戦
敵将 山口左右衛門と一騎打ちに倒す。時に忠元19歳 |
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永禄5年 |
1562 |
横川城攻め |
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永禄12年 |
1569 |
菱刈隆秋の籠もる「大口城」落とす。
忠元は合戦傷を負うも負傷押して戦う。
大口地頭任じられ大口城主となる。 |
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元亀3年5月 |
1572 |
日向伊東義祐の真幸院(えびの市)奪還を図る加久藤城
攻撃。 俗に言う「木崎原の戦い」に援軍として参戦。
九州の「桶狭間」とも言われるこの戦いは、事実上飯野城
の島津義弘との合戦である。
義弘軍は苦しい戦いを強いられるが、大口城「忠元」援軍
の到着と、義弘の巧みな戦法、伊東軍の油断により島津の
大勝利となる。 |
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天正2年 |
1574 |
大隈牛根入船城攻撃。1年にも及ぶ牛根一族篭城に、忠元
は、我が身を人質に差出し降伏させる。 |
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天正8年 |
1580 |
宇土半島阿蘇大宮司家の矢崎城落とす
同年肥後合志城(竹迫城)の合志氏落とす。 |
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天正9年8月19日
(水俣城の戦い
歌合戦) |
1581 |
第二次水俣合戦
天正7年島津は水俣城攻めるがこのときは撃退される。
水俣城は肥後八代古麓城「相良義陽」の支城であった。
北進を図る島津にとっては最大の障害となっていた。
城は相良氏の降参に終わるが、この合戦には身を捨てた
相良家臣の忠臣振りなど逸話が伝わるが、なんと言っても
有名なのは「新納忠元」と水俣城守将「犬童頼安」との「歌
合戦」である。
忠元は島津一の歌道の達人あったが、相良氏も歌道盛ん
な家中であったという。
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天正10年間 |
1582 |
忠元は、精力的に各所転戦。日平城、安楽城、御船城、島原城
など攻略。 |
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天正12年3月24日
(沖田畷の戦い) |
1584 |
島津は「竜造寺隆信」の脅威にさらされている肥前島原半島、
日野江城主「有馬晴信」の要請に応え、島津家久総大将に、
三千の兵が八代より海路日野江城にいる。
島津勢は少勢ではあったが、戦上手の大将「家久」に、従兄弟
「新納忠元」、島津忠長、伊集院忠棟、山田有信など、島津家中
名だたる武将が従っていた。
戦況は戦国史通には周知の戦、略す。
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天正14年10月20日
(豊後侵入) |
1586 |
島津義弘に従い、肥後高森より豊後直入へ侵入。
以後、天正15年2月まで、直入郡「津賀牟礼城」「岡城」「朽網城」
「大野郡緒方郷、玖珠「角牟礼城」と転戦。
家久に従い「戸次川の戦い」へ参陣。
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天正15年5月26日
(忠元、秀吉に降参) |
1587 |
新納忠元、大口天堂ヶ尾にて「豊臣秀吉」降参。
島津義久が降参した後も抗戦体制を崩さなかった忠元も、義弘の
降参を受け、秀吉に謁見する。
忠元は秀吉の「まだ戦うか」との問いに臆せず、「主人が戦えば
戦います」と答えたという。
この時の宴席において、秀吉の側近「細川幽斎」は忠元の見事な
白髭に、「上髭をちんちろりんとひねりあげ」と詠むと、忠元は即座に
「鼻の下にすずむしぞ鳴く」と続け、周囲の者を驚かせた。
新納忠元像 とても鬼武蔵と恐れられた武将には見えない
好々爺である。それほど人格が優れていることの証だろうか。
細川幽斎が歌に詠んだ白髭、見事である。
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天正16年5月 |
1588 |
義久、義弘の京入りに際し薩摩、大隈の治領預かる。 |
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文禄3年5月 |
1594 |
忠元、京常詰めとなり、秀吉に謁見。 |
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文禄4年 |
1595 |
入来清敷へ |
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慶長2年 |
1597 |
真幸院飯野へ |
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慶長5年
(関が原の戦い) |
1600 |
留守を預かった忠元は、敗戦後の肥後加藤清正の侵攻に備える。
10月大口城へ帰参、清正への備えを強化する。 |
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慶長15年12月3日 |
1610 |
「新納忠元」逝く。
関が原敗戦より、身を呈して島津の存続に尽くした。ようやく薩摩の
の安定は成った。
慶長14年高齢の忠元は病に倒れる。義久、義弘らの必死の祈願も
むなしく、遂に島津忠節一途の人生を閉じる。
戦国激動の時代を生き抜いた名将であった。
墓は妻の墓と並び伊佐市大口原田、水之手川右岸の田んぼの
一角にある.。
忠元法名 : 「耆翁良英庵主」
妻の法名 : 「笑蓮妙欣大姉」

新納忠元の墓(伊佐市大口原田)
墓は夫人の墓(左)と並び、祠の中前列左右には
忠元に殉じた家臣、宮竹休兵衛、伊地知又十郎の
墓がある
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