戸次鑑連雷斬之事


       戸次鑑連(立花道雪)は若くして雷に打たれ、以後、足が不自由となり、輿や、
     駕籠で出陣したとされる。 
     史実の否やは除けておいて、その折の事が「大友興廃記・巻第六」等に書かれている。
     これらの資料を総合すると次ぎの通りである。
   
      戸次鑑連がまだ豊後国大野荘「鎧ガ嶽」麓「藤北館」に在ったころ。ある夏の暑い日、
     鑑連は館近くの大樹の下に「涼み台」を設けて「午睡(昼寝)」をしていた。近くには
     愛刀「
千鳥」を立ち置いていた。
     ところが天(空)俄かに掻き曇り、豪雨沛然(はいぜん)として到り、電光一射震雷、
     其の大樹に落ちた。
     これに剛気の「鑑連」立置の「千鳥」を抜き去り「火炎」を両断、涼み所を飛び去った。
     此のとき鑑連の太刀筋鋭く「剣鋩(きっさき)」あまりて自己の足を傷つけてしまった
     という。以後、鑑連は足が不自由となり、出陣は「輿」に乗って行くことが常となった。
     しかし鑑連は、「資性驍武」足は綯えても、他の健脚の者にも勝ったという。
     以後、鑑連の「千鳥」の太刀は「
雷斬丸(リンク)」と呼ばれるようになった。
     太刀「千鳥」には刀身の一面に奇文(雷に触れた傷)が残っていたとされる。
     資料を見る限り、鑑連が雷に打たれたとは書かれておらず、自ら足を傷つけ、其れが原
     因で、足がに自由になったと見られる。
     管理人考えるに、雷に打たれればとっくに落命したはず。稲妻を切るなど不可能。鑑連、
     昼寝の木陰を造っていた大樹へ雷は落ちたとは思われるが、鑑連は大木よりは幾分離れ、
     地面よりは高く涼み台上に居たので、直接は被雷せず、命は助かったと思われる。太刀は
     おそらく幹に立てかけてあったので被雷して傷ついた。
     こうした状況のもと、後年「雷斬」の逸話が誕生したのではないか。
   
      さて、原因はともかく「鑑連」の足が不自由となった時期であるが「戸次軍談」「休松
     合戦」の記述では「鑑連は鞍も降ろさず」と書いているので、此の時代、鑑連まだは馬に
     乗れていた。其れほどの重症ではなかった筈である。
     また、立花山崖下の戦いでは「鑑連」あわや戦死の危機もあった。此の崖下と言うのは、
     立花山大手口上がった大岩の下辺りと考えると。この所は地形急峻、とても輿に乗って戦
     える場所ではない。
     多々良浜では、屈強の者の担ぐ輿に乗って采配したとされるが、やはり終始「輿」の必要
     となるのは、高齢となった筑後出陣の頃ではなかったかと思う。
     肖像画の「立花道雪」は法体姿で「胡坐」をかいている。もし足が不自由であれば此の姿
     勢はつくれない、やはり晩年「入道」した後と見るのが自然。

  
   


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