雷切丸 「被雷した戸次鑑連の太刀」 「雷切丸(らいきりまる)」とは、「戸次鑑連」が愛用した「太刀」のことである。元の銘を「太刀千鳥」といった。 「鑑連」が、豊後国「鎧ヶ嶽城」藤北館に在していたころの事。ある年の夏の暑い日、鑑連はやかた内の大木 の木陰に涼み台を置き午睡していた。ところが俄かに天かき曇り強雨が襲い、雷鳴と共に鑑連の涼んでいた 大木へ落雷があった。 気丈な鑑連は跳ね起きると、大木へ立ちおいていた「千鳥」を抜き放ち雷を切ったという。以来「太刀千鳥」は 「雷切丸」と呼ばれるようになったと伝わる。(鑑連雷切之事:参照) 大友興廃記はこの時「千鳥」には多くの疵が残ったと伝えている。機会があれば是非「雷切丸」を目にしたい と思っていた所に、幸いにもその機会に恵まれた。 2009年1月10日より2月15日に亘り「特別展・柳川立花家の至宝」展が、福岡県立美術館にて開催された。 そして、この展示の中に「雷切丸」があったのである。展示された「雷切丸」は幾分小振りに見えたが、研ぎあ げられた刀身は鋭く照り輝いていた。長い時間「雷切丸」の前に立ち止まり、「被雷」の痕跡を探した。しかし、 正面からの見た目には一点のくもりも見えなかった。「なーんだ、雷の疵なんかないではないか!」そう思い ながら右手より、ほぼ横から目の位置を変えて覗き込んだ。目の位置を変えると、刀身の反射が微妙に変化 する。そして「あった」、確かに切っ先から小鎬へ大きな変色の痕(あと)。さらに峰部分にも変色らしい痕。 実はこれまで、雷を切る話など凝った作り話と半ば考えていた。しかしこれでその疑いが晴れた。 鑑連の雷切は創作としても、太刀が被雷したのは事実ではないだろうか。相州物とされる業物、よほどの高圧 高熱を受けない限りこれ程大きな変色は現れないであろう。 「特別展」の会場で、展示品を収録した図録「柳川立花家の至宝」(1200円)が販売されていたので求めたが、 その8ページに「雷切丸」が紹介されている。 その写真に「特別展」で確認した疵が写されているので、出典を明示し下記に紹介する。図録の発行は「福岡 県立美術館」、編集「同美術館 魚里洋一氏 : 御花資料館 植野かおり氏」である。 「図録」は、福岡県立美術館、御花売店で販売とのこと。お勧めである。 図録:「柳川立花家の至宝」8Pより「雷切丸」刃長58.5cm 大磨上げにより短く「脇差」へ仕立て直されているが、強い反りは、 かって太刀仕立てであったことがうかがえる。 切っ先より小鎬、峰(腰)、鎬地へかけて被雷の痕(あと)と見られる 白い変色が確認できる。 ![]() 先端被雷部分の拡大写真 小鎬(こしのぎ)より鎬地にかけて点々と 変色が見られる。 「雷切丸」写真で見る限り磨上げ後、中心(なかご)の目釘孔(めくぎあな)の数より三度は「拵(こしらえ)」を 変えていることがうかがえる。中心尻(なかごじり)付近には、「太刀」のころの目釘孔は無くなっている事や、 中心の形状より雷切丸は、七寸以上大磨上げ(擂上げ)されたのではなかろうか。 おそらくは元は刃長は、三尺近い大太刀であったみられる。 太刀の磨上げは戦国時代以降よく行われたという。推論に過ぎないが「雷切丸」の磨上げは「大友興廃記」 の伝えるところでは、刀身に多くの被雷痕ができたとしている。 おそらく「雷切丸」はこの疵をを消すため、短く細身の脇差へと大磨上げ、仕立て直したのではないだろうか。 参考資料 図録「柳川立花家の至宝」:福岡県立美術館 大友興廃記 |