史跡探訪年表(   2003 〜 2006


 番号

    史 跡 名      場  所    年 月 日       史 跡 概 要     備 考
71  宗像大社・国宝展  宗像市  2003.9.7
 神郡宗像代表的神社
 天照大神の3人の姫神
 沖津宮「田心姫神
 中津宮「湍津姫神
 辺津宮「市杵島姫神」三社を
 総称して宗像大社と称す。
 近年交通安全の神様として
 信仰集める。
 世界遺産候補
 何度も参拝
 以下略
72  吾平山上陵
 (二回目)
 鹿屋市吾平  2003.9.25
 「アイラノヤマノエノミササギ」
 神武天皇の父神の御陵
 「鵜萱草萱不合命」
73  許斐山城跡  福津市八並  2004.1.11
 (平成16年)

 宗像氏の支城 「許斐氏」の城
 頂上の祠。市民登山多い
 標高271m
74  沖田畷古戦場
 天正12年3月24日
 島原市  2004.1.13
 残忍で肥前の熊と恐れられた
 竜造寺隆信討死の地
 戦死者の供養塔がある。
75  立花ァ千代の墓
 戸次鑑連の娘
  立花山城督)
 熊本県長洲町
   腹赤(はらか)
 2004.1.13

 説明板によれば「ァ千代」は
 「立花宗茂」と別居し、
 慶長7年壬寅10月17日(1602)
 この地で没した。
 ァ千代の死後20年経過した
 寛永11年(1624)立花宗茂の
 建てたとされる墓が。
 その墓碑の形から地元では
 「ぼたもちさん」と呼ぶ。
 大変立派な墓
76  木崎原古戦場
 元亀3年5月4日
 えびの市三角田  2004.2.28
 九州の桶狭間と呼ばれる
 日向「伊東軍」と島津の合戦
 真幸院の奪回に加久藤城を
 攻めた伊東軍であったが攻め
 切れず、島津義弘の巧みな
 戦法と油断も重なり、伊東軍
 大敗。
  ・島津の建てた六地蔵塔
  ・伊東軍首塚
  ・太刀洗川(たちゃらご)
 
77  高城古戦場
 (耳川の戦い)
 天正6年11月12日

 宗麟原古戦場
 宮崎県木城町  2004・2.18  
 宗麟原六地蔵塔
 高城跡(大規模空堀)

 伊東義祐の日向領地を回復
 日向に切支丹王国を築こうと
 した大友宗麟。田原紹忍を
 総大将に大軍を高城へ送っ
 た。しかし合戦経験に乏しい
 紹忍は、軍をまとめ切れずや
 たら日数を費やすばかり。  
 大友軍の拙攻と、島津の巧み
 戦運びに大友軍壊滅。
 島津の追討は耳川まで至り
 大友軍はここでも多くの戦死
 だす。
 大友氏の衰退を決定付けた

78  縣・松尾城
 天正6年1月
 延岡市松尾  2004.2.18
 日向北部を領地とした土持氏
 城跡
 大友宗麟に反旗して滅ぶ
79  三重・松尾城
 天正14年11月
 豊後大野市三重町
         松尾
 2004・2・19  
 島津の侵入に備え、大友の
 重臣「戸次氏」が築いた
 天正14年の島津豊後侵入時
 余同し、府内攻めの拠点と
 なった。
80  今山古戦場
 永禄12年8月20日
 佐賀市大和町
         今山
 2004.3.18
 大友宗麟は、台頭してきた
 竜造寺隆信を討つため、自ら
 3万の兵率いて高良山に本陣
 敷き、佐賀城を囲んだ。
 しかし大友軍は油断し酒盛り。
 そこを竜造寺の鍋島信生の
 率いる僅かな手勢に大将陣
 へ奇襲を受け大友軍大敗。
 この敗戦は、小勢を侮った 
 大友の驕りに会ったが、敗戦
 きっかけに、筑前筑後での
 大友離れが始まる。

 この時、戸次鑑連は本隊とは
 遠く東口へ陣を敷いていたが
 撤退の殿を務め、追討を退け
 た。 

 今山頂上に大友大明神の
 石碑。
 激戦地赤坂山のみかん畑の
 中野展望台に「今山陣戦没
 者無縁の霊」供養塔

  
  赤坂山激戦地慰霊碑
81  大友館跡  大分市上野  2004.3.20
 僅かに土塁を残すのみ。
 大友館示す大きな碑と
 説明版設置
82  緒方三郎惟栄館跡
     (これよし)
 豊後大野市緒方町  2004.3。20
 平家追討に功績あった、豊後
 大神氏一族。
 義経迎える手立て行うが果た
 せず。
 平安時代豊後の英雄
 古い五輪塔や石版残る。
83  津賀牟礼城  竹田市入田(矢原)  2004.3.20
 大友氏の重臣入田氏の居城
 入田親誠(ちかざね)が二階
 崩れの変で註罰され、戸次
 統貞(玄珊)に与えられる。
 天正14年島津義弘の肥後口
 よりの進入の時下り開城。
 空堀、井戸跡など残る。
84  岩屋城跡
 高橋紹運の墓
 (天正14年7月27日)
 太宰府市大宰府  2004.3.22
 (平成16年)

 高橋紹運など763名玉砕
 天正14年7月12日島津忠長
 率いる五万岩屋城囲む。
 16日間に及ぶ島津の猛攻に
 岩屋勢はよく耐え、島津勢に
 多くの損害与えるも遂に玉砕。
 本丸跡、二の丸跡
 二の丸跡には紹運の墓
 登山林道含め桜の名所
85  松山城跡  志布志市松山  2004.3.23
 平家が滅んだ後、平頼盛の
 一族が築城したとされる。
 後に島津の支城となり地頭が
 置かれた。
 二の丸曲輪跡、空堀
 大部分が削られている。
86  宗麟原古戦場
 (二回目)
 宮崎県川南町  2004.3.24  
 六地蔵塔
 説明版他
 六地蔵塔の裏は土盛りに
 なっている。戦死者を埋葬した
 塚か。
87  松尾城跡
 (二回目)
 延岡市  2004.3.24
 本丸跡に石碑
 切通し
 斜面に古い石積みが確認
 できる。
88  朝日嶽城跡
 (柴田紹安逃げ
  出す)
 佐伯市宇目  2004.3.25
 本丸跡、土塁、空堀
 石碑
 大友氏の支城として柴田紹安
 が築いた。しかし島津が梓峠
 越え進入すると、家臣の諌め
 聞かず、夜陰に乗じ島津陣へ
 走る。
89  津久見大友別館跡  津久見市大友町  2004.3.25
 ブロック積みで覆われ現在
 公園化。僅かに当時の面影
 残す井戸跡
90  臼杵城跡
 (丹生島城跡)
 臼杵市  2004.3.25  
 中世には周囲は海であった。
 正平17年頃には城らしきもの
 があった。
 弘治2年(1556)大友宗麟が
 整備し入城。
 島津侵入時には、大砲国崩し
 にて撃退。
 現代の城跡は稲葉氏時代の
 ものであるが、西はずれに 
 国崩し砲台跡が残る。
91  高橋紹運首塚  筑紫野市二日市
         京町
 2004.4.1  
 岩屋城で自刃した高橋紹運の
 首塚。 筑前国続風土記にも
 記述がある。
 現在のものは風土記の記述
 よりはやや大きい。おそらく
 改修されている。
92  今山古戦場
 (二回目)
 佐賀市大和町
        今山
 2004.4.22  略
93  立花山城跡  福岡県新宮町
       立花口
 2004.4.25
 立花山標高367m
 元徳2年(1330)大友貞載
 立花山城築城。
 以後立花山は西の大友として
 大友の支城として筑前筑後
 統治の要となる。
 七代「鑑載」大友に謀反。
 永禄11年4月24日立花鑑載
 「戸次鑑連」に討たれる。
 元亀2年「鑑連」城督として
 入城。

 東西両城曲輪跡
 松尾城曲輪・多くの瓦片
 白岳曲輪
 石垣数箇所
 古井戸、水の手、馬責場
 
 何度も登頂
 樟の沖原生
 北限
94  鶴丸城跡  鹿児島市城山町  2004.4.27  
 島津氏の居城
 石垣、水掘
 本丸跡(黎明館:資料館)
 二の丸跡(島津斉彬等銅像)
95  薩摩義士顕彰碑  鹿児島市城山町

 鶴丸城址の北端
 城山トンネル手前
 城山登山口手前 
 左手の道路沿い
 交通量多く駐車は
 無理
 2004.4.27
 宝暦3年12月25日(1753)
 幕府は島津藩に対し、洪水
 被害の続く木曾三川、即ち
 木曽川、揖斐川・長良川の
 改修工事を命じた。
 薩摩藩は家老「平田靭負正
 輔」を総奉行に工事に着手。
 しかし工事は難航極めた。
 投じた工事費40万両。
 苦難の末、僅か1年3ヶ月で
 工事を完成したが、総奉行
 平田靭負らは、多額の出費
 と多くの犠牲者を出した事の
 責任をとり、幕府の検分が
 終わると五十余名が自刃。

 現在も残る、薩摩の松を植
 えた「千本松原」の北端に
 「治水神社」がある。
 管理人:昭和59年訪問
 
96  白山城跡  宗像市山田  2004.5.8
 宗像大宮司家の累代居城
 宗像氏貞が蔦が嶽城に移る
 まで宗像氏の本城
 本丸曲輪跡
 水穴
 現在は雑木林
 登山口は菊姫伝説山田事件
 のあった館跡の「増福院」
97  色姫の墓
 (宗像氏貞妹
  立花道雪側室)
 古賀市青柳石瓦
 竹龍院跡
 2004.5.12
 宗像氏貞は、立花山城との
 和睦の証として妹色姫を道雪
 の側室(人質)として送る。
 立花山松尾城に住んだことか
 ら松尾殿と呼ばれる。
 道雪との間はうまくはいかな
 かったようで、道雪が小金原
 合戦で宗像勢をなじったこと
 からさらに悪化。やがて色姫
 は山田地蔵尊の命日自刃。
 墓は民家の裏手にある。
 「當山開基竹龍院妙渭大姉」
98  常忠寺
 (戸次統連の墓)
 豊後大野市藤北  2004.5.14
 戸次氏藤北館跡に建つ寺
 「戸次統連」の墓所
 境内には、大友能直の墓と
 伝わる五輪塔がある。
99  吉塚地蔵  福岡市東区吉塚  2004.5.24
 「吉塚」の地名発祥の地蔵尊
 立花山城攻めをあきらめ島津
 が撤退した時、高鳥居山城に
 星野吉実、吉兼兄弟の武将は
 放置された。
 そこを立花宗茂に攻められ兄
 弟は討たれる。
 この時戸次次郎兵衛」に功
 績があった。
 吉実、吉兼の首は首実検の
 後埋葬された。
 その地に供養のため建てら
 れたのが地蔵尊である。
 いつしか星野兄弟の「吉」を
 とって吉塚地蔵と呼ばれた。
 これが、吉塚の発祥である。
100  飯野城跡
 (亀城)
 えびの市飯野  2004.6.8
 永禄7年島津義弘(30歳)が
 入城。
 元亀3年木崎原合戦で功績
 あげた。
 本丸跡、二の丸、三の丸跡
 弓場、物見曲輪跡
 大手門跡
101  木崎原古戦場
 (二回目)
 えびの市三角田  2004.6.8  
 前記
 この日は伊東軍の首塚再度
 調査し、鳥越城、加久藤城跡
 確認
102  金山  宗像市平等寺  2004、6.10  
 宗像氏貞、蔦が嶽城の砦跡
103  立花山城跡縦走  福岡県新宮町
 福岡市東区下原
 福岡県久山町
 2004.6.13  
 立花山西城、松尾山、白岳
 各城跡の曲輪跡、空堀等
 確認。
104  角牟礼城跡
 (つのむれじょう)
 玖珠町森  2004.6.14  
 角埋山(576m)
 源為朝築城・難攻不落の城
 弘安年間 森朝通築城
 天正14年島津義弘は鬼将
 新納忠元を大将に攻めたが、
 新納曰く「人間業では落と
 せぬ」と言わしめた要害。
 本丸、二の丸、三の丸、
 大手門、搦手門、井戸
 空堀、石塁、石垣など遺跡
 多い。三の丸が駐車場
105  新納忠元の墓
 (にいろただもと)
 大口市原田  2004.6.30
 新納武蔵守忠元
 大口城主
 島津貴久、義久、義弘と仕え
 た島津きっての猛将。
 「鬼武蔵」と称され、小柄なが
 ら文武両道に長け、数々の
 武勲と、歌を残す。
 豊臣秀吉に最後まで抵抗す
 るが、秀吉には好感を持って
 受け入れられる。
 見事な白髪と白ひげの精悍
 な肖像が伝わる。天正7年の
 水俣合戦での相良氏の武将
 「深水宗方(犬童頼安とも)」
 との歌合戦は有名
 新納:「秋風にみなまた
      おちる木の葉かな
 深水:「よせてはしづむ
          月のうら波
 
106  金沢兼六園
 (二回目)
 金沢市  2004.7.2
 代表的な大名庭園。
 加賀100万石前田家別邸
107  白川郷
 (二回目)
 岐阜県白川村  2004、7.3
 日本を代表する合掌造り集落
 
 五箇山と共に
 世界遺産
108  日光(東照宮)
    (輪王寺)
 栃木県日光市内山  2004.9.29。
 東照大権現(家康)祀る
 徳川家康の墓
 本殿、拝殿
 陽明門(蜩門)
 五重塔等々多数の建造物
 左甚五郎の彫刻

 輪王寺
 神橋
 杉の巨木と並木
 観光地化された
 世界遺産
  日光の社寺

 国宝
 重要文化財
 多数 
109  川崎太師  神奈川県川崎市  2004.9.30
 大本堂、大山門、不動堂
 八角五重塔
110  白水ダム  竹田市次倉  2004.10.17  
 日本一美しいダム。
 富士緒井路という農業用水
 取水ダム。
 石造りのダム。豊後石工の
 巧みな技術が生み出す水流
 が見事。
 文字通り「白水」である。
 昭和13年完成
 近代文化
 重要文化財
111
 秋月探訪  朝倉市秋月野鳥  2004.11.6
 秋月城跡黒門
 石垣、堀
 杉の馬場
112  夜泣き観音祠  福岡県新宮町
         原上
 2004.11.6  
 立花鑑載が討たれたとき
 鑑載の妻は幼児を抱いて
 追っ手を逃れ橋の隠れた。
 子供が泣き出したので、
 妻は心の中で一心に観音経 
 を唱えたところ、子供は泣き
 止み落延びた。
 この秘話伝える祠。
 R3号線須川交差点を立花口
 へ入った千田交差点の横に
 ある。
113  太良竹崎城跡  佐賀県太良町  2004.11.23
 蒙古襲来時の竹崎季長の
 居城跡。
 遺構は僅かな小山の土手
114  安見ヶ城跡
 (休山茄子城)
 戸次一族戦死

 休松の戦い
 朝倉市  2004.11.28
 (平成16年)

 秋月氏の砦跡
 永禄10年9月3日「秋月種実」
 の夜襲戦。休松合戦の舞台。
 戸次鑑連ら大友の将は、2万
 の軍勢で秋月に攻め入り、
 まず支城茄子城を攻め守将
 坂田越後守を討ち取る。
 大友勢は秋月種実の篭る
 古処山攻めに持久戦を取る。
 そこへ毛利襲来するとの噂が
 流れる。
 大友軍が急遽陣を引くことに
 なった。そのよ、種実は大友
 陣へ夜襲をかける。大友勢は
 混乱、同士討ちまで演じ、
 戸次陣地へ雪崩れ込む。
 鑑連は檄を飛ばし秋月勢を
 退けながら陣を引くが、鑑連
 の身内に5人の戦死が出る。
115  吉塚地蔵
 (二回目)
 福岡市東区吉塚  2004.12.4  前記
116  宗麟原古戦場
 (高城の戦い)
 (三回目)
 宮崎県川南町  2004.12.8
 この日は松山の営を探す
117  木崎原古戦場
 (三回目)
 えびの市三角田  2004.12.9  
 この日は伊東軍の首塚へ。
 ボランティアで長年史跡を
 掃除してきた「野間ハツミ」
 さん87歳とお話しする。
 後のことを心配されていた。
118  府内城  大分市荷揚町  2004.1・12
 広場
 櫓、石積み、水濠
119  三柱神社
 (立花鑑載の塚)
 古賀市青柳  2005.1.21
 (平成17年)
 
 立花山城主「立花鑑載」
 謀反により「戸次鑑連」に攻
 められ自陣。
 遺体の埋葬塚
120  薦野城跡
 (城の山)
 古賀市薦野  2005.1.27  
 戸次鑑連側近
 薦野増時居城
 現在登頂は困難
121  山隈城跡  小郡市山隈  2005.1.28
 花立山(131m)
 筑後川の戦い(大保原合戦)
 の時、小弐頼尚が築城本陣。
 戸次鑑連が筑前筑後統治に
 最初に拠点とした。
122  大友宗麟の墓  津久見市  2005.2.16
 大友宗麟の墓
 切支丹墓
 仏式墓
123  縣・松尾城跡
 (三回目)
 延岡市松尾  2005.2.16  略
124  猫尾城跡
 (黒木合戦)
 福岡県黒木町
       下木屋
 2005.2.22

 城山(240m)
 「黒木の藤」の少し先、学校
 のところ左に上る。
 戸次道雪に攻められ自刃した
 黒木兵庫守家永の城。
 本丸跡に館の石積みが残る。
125  北野天満宮
 (道雪終焉の地)
 久留米市北野町  2005.2.22
 立花道雪終焉の地と伝わる。
 道雪看取った樟の大木あり
126
 宇田姫神社
 萩塚
 豊後大野市清川
       宇田枝
 2005.3.9  
 豊後大神氏惟基の出生に
 関する、嫗嶽大明神伝説の 
 発端となったところ。
 宇田姫神社は、惟基の母
 宇田姫(花御本:はなのもと)
 が住んでいた場所。
 萩塚は、お産に際し萩の花
 を敷き詰めお産した場所。
 祠がある。
 宇田姫神社には、花御本の
 もとへ、夜な夜な通ってきた
 貴公子(大蛇の化身)の通ず
 岩穴がある。
 
127  戸次川古戦場  大分市利光
       竹中
 2005.3.9
 (平成17年)

 天正14年12月12日
 日向口より豊後へ侵入した
 島津家久は、朝日嶽城の
 柴田紹安を引き込み、三重
 松尾城を落とし府内へと軍を
 進め、利光城を攻める一方
 一万余の軍勢をもって戸次川
 で大友、四国連合軍と雌雄を
 決した。
 大友軍およそ8千余、島津軍
 はこれまで、利光城、臼杵城
 栂牟礼城と、戦力を大きく消
 しており、戦力に大きな開き
 はなかったと見られた。
 両軍は川を挟んで対峙した
 ので渡河が戦局を左右する。
 渡河を強行したのは大友軍
 であった。家久の軍後退の
 動きに仙石秀久の渡河強行
 に端を発し、やむおえず長宗
 我部宗信親、戸次統連らが
 続き激戦となったが、島津軍
 の波状攻撃に、信親、統連は
 討ち死敗戦が濃厚となると、
 仙石秀久は逃亡。大友義統
 も高崎山へと逃亡。大友四国
 連合軍は大敗する。
 古戦場の右岸丘に信親の
 墓、十河一族慰霊碑がある。
128  戸次城跡
 (片賀瀬城)
 竹田市片ヶ瀬  2005.3.12  
 片賀瀬戸次氏城跡
 近くに初代「戸次親続」の墓
129  穴森神社  竹田市神原  2005.3.29
 嫗嶽大明神の化身大蛇の
 すんでいた岩窟がある。
 かっては池明神といった。
130  健男霜凝日子神社  竹田市神原  2005.3.29
 祖母山頂にある上宮の下宮。
 祖母山信仰の神社。
 気象の神様。
 高い急斜面の岩窟の中に
 あるため参拝が困難。下に
 参拝所「嫗嶽神社」がある。
 神原地区には、豊後で最も
 古い苗字、豊後大神氏の
 阿南、三田井姓多い。
131  馬ヶ嶽城跡  福岡県みやこ町
      犀川花熊
 2005.4.19
 馬ヶ嶽(216m)
 戸次鑑連初陣城跡
 病気の父「親家」に替わり
 5000の兵卒率い、大内勢の
 籠もる馬が嶽落とす。
 優将の片鱗
132  北野天満観宮
 (二回目)
 久留米市北野町  2005.4.24  略
133  赤司城跡
 赤司八幡者
 久留米市北野町
         赤司
 2005.4.24  
 筑後草野氏の一族赤司氏城
 であった。
 秋月氏が一時支配した。
 筑後入りした戸次鑑連は、山
 隈より十ヶ月居た。
134  高良山
 (毘沙門岳312m))
 久留米市御井町  2005.4.24  
 高良大社
 高良山神籠石
 筑後合戦では立花道雪陣。
 今山合戦では宗麟本陣
135  立花山東城  福岡県新宮町  2005.4.30
 この日は、東跡跡石碑
 水場調査、修験坊の滝
136  沖縄記念平和公園  沖縄県摩文仁丘  2005.5.20
 平和の礎多数
 日本、米国など各国沖縄戦
 戦没者23万人の名前刻す。
 平和記念資料館など
137  
 石垣原古戦場
 
 別府市荘園  2005.6.13  
 この日は下見。
 古戦場橋より激戦地境川
 確認
138  耳川川沿い確認
 渡河付近捜す

 美々津港
 宮崎県耳川  2005.6.25
 大友軍の渡河地点探す
 道路わきに字が読めない
 碑があった。
 車で耳川の河相診断

 美々津港 
    神武天皇御船出の港
    海軍発祥の地の碑
139  梓峠  佐伯市水ヶ谷
 延岡市上赤
 2005.6.23
 豊後日向国境
 当時の一般的な豊後日向
 の街道に当たるが辺境の
 峠。
 天正14年島津はこの峠を
 越え豊後へ侵入した。
  
140  石垣原古戦場巡り
 (二回目)
 
 別府市
   南立石本町
   観海寺
   荘園
   鶴見町
   実相寺
 2005.7.22
 「石垣原の戦い
 大友義統が大友氏の再興を
 かけた戦い。
 慶長5年9月10日〜14日へ
 かけ、別府石垣原において
 黒田如水らを相手に戦い敗
 れる。
 別府には七箇所以上史跡が
 残り、保存もよい。

  大友義統陣跡
  吉弘嘉兵衛統幸陣跡
  宗像掃部助陣跡
  黒田如水陣跡
  時枝氏陣跡
  石垣原古戦場跡
  七つ石激戦地跡

  実相寺山
 江戸時代には
 古戦場史跡
 巡りが人気で
 あった。
141  今山古戦場
 (二回目)
 佐賀市大和町
         今山
 2005.8.5  
 赤坂山激戦地
 供養塔
142  島津義弘騎馬像  鹿児島県伊集院
   JR伊集院駅前
 2005.8.9  
 見事な義弘の騎馬像
 伊集院は最も義弘に縁の地
143  吉弘神社  別府市西石垣  2005.9.15
 (平成17年)

 石垣原合戦で討ち死した
 吉弘統幸祀る。
 裏手に「統幸の墓」と祠
 神社拝殿
 「下馬の松」
 旧豊前街道石垣の一部 
144  中尊寺    2005.10.13
 平安時代奥州藤原氏の栄華
 物語史跡。
 金色堂
 武蔵坊弁慶の墓など。
145  角 館(かくのだて)  秋田県仙北市
        角館
 2005.10.15  
 芦名氏の城下
 みちのくの小京都とも
 公開している武家屋敷群が
 見所。
 桜の名所

 路傍の画家より色紙求む。
 「あっという間に」見事な
 裏絵描いてくれた。
146  山 寺  山形市山寺 2005.10.15
 宝珠山阿所川院立石寺
 俳人「芭蕉」の
 「閑かさや、巌にしみいる、 
             蝉の声

 の句で有名
147  瑞巌寺  宮城県松島町  2005.10.16
 松島青龍山瑞巌円福禅寺
 j慈覚太師円仁が開基
 中尊寺などと並ぶ名刹
 参道脇には多くの修行洞窟
 藤原氏、北条氏、伊達氏の
 庇護受ける。
 国宝
 松島観光の 
 中心
148  名護屋城跡
 (二回目)
 唐津市名護屋  2006.1.19
 (平成18年)

 前記略
149  富岡城跡  天草市富岡  2006.2.22
 唐津藩寺沢廣高築城
 官営4年天草の乱の時
 切支丹一揆12,000の襲受け
 るも落城せず。
 この後山崎家治改修
 その後天領。
 城址は大規模な復元が行わ
 れている。
 訪問時は建物類は完成し、
 銅像などの整備中であった。
 下から見ると相当の要害
150  栂牟礼城跡  佐伯市古市  2006.3.26  
 栂牟礼山(224m)
 豊後大神氏氏族佐伯氏の
 居城跡。
 本丸曲輪、東砦跡
 水場、空堀
 本丸跡には祠、石碑
 天正14年島津の襲撃受ける
 も落とせなかった堅城 
151  柳川三柱神社  柳川市三橋町
         高畑
 2006.4.30
 「戸次道雪」死後240年経ち
 文政9年(1826)建立。
 戸次道雪ァ千代姫・立花
 宗茂祀る。
 平成17年6月3日放火により
 拝殿、楼門、唐門など消失
 僅かながら寄進 
152  柳川城跡  柳川市本城町  2006.4.30
 柳川藩(柳河)累代居城跡
  中世には蒲池氏の持城で
 あったが、蒲池氏は大友に
 対抗するため、竜造寺好を
 通じ、蒲池鎮並は隆信の
 女子を妻に迎えていた。
 しかし筑前制覇をもくろむ
 隆信は、柳川に大軍送り
 攻めたが、蒲池勢は篭城、
 城は容易には落ちなかった。
 隆信は和平を装い鎮並を
 佐賀へ誘い出し謀殺。
 さらに、田尻、鍋島らに蒲池
 残党一掃を命じ多くを殺戮。
 鎮並婦人も父の非道に抵抗
 侍女ら108人諸共自害する。

 柳川は竜造寺が支配。
 柳川制覇に執念を燃やした
 「立花道雪」であったが果た
 せなかった。
 しかし道雪の養子となった
 立花宗茂に柳川が与えら
 れる。
 柳川跡跡は現在公園広場 
153  一心行の大桜  熊本県南阿蘇村  2006.4.6
 
 島津に攻められ戦死した
 阿蘇大宮司家「矢崎城主」
 三角「中村伯耆守惟冬」を
 弔うため、逃げ帰った妻が
 植えた桜と伝わる。 
154  大津山
 (関城:つづら城)
 熊本県南関町
         関東
 2006.4.9
 高速九州道南関IC近くの東
 に、形のよい山が見える、
 これが大津山(256m)。 
 つづら城:応永3年(1396)
 大津山資基築城。
 大友氏へ従っていた。
 後に「小原鑑元」が入る。
 鑑元は加判衆も努めた重臣
 であったが、同紋衆優先する 
 義鎮に反旗註罰される。
 背景に姓氏の争いがあった。
155  永平寺  福井県永平寺町  2006.4.20。
 吉祥山永平寺
 総持寺と共に禅宗曹洞宗の
 大本山
156  高鳥居山城跡
 (岳城山)
 福岡県須恵町
      篠栗町
 2006.4.28
 (平成18年)

 岳城山(381m)
 天正14年夏島津の筑前侵入
 の時、星野吉実、吉兼兄弟は
 島津へ従い、立花備えとして
 高鳥居山城へ配置された。
 しかし島津は引き上げる時、
 兄弟は高鳥居山へ置かれた
 ままであった。
 立花宗茂は8月高鳥居城をを
 急襲、吉実・吉兼は討たれる。
 兄弟の首は堅糟村の地に葬
 られた。そしてその地は吉実
 首塚にちなみ「吉塚」の地名
 が生まれた。
157  鷹鳥山城跡  福岡県直方市
      福智町
 2006.4.29
 鷹取山(604m)
 大友氏へ従った「森鎮実」の
 城跡。
 立花道雪は天正9年鎮実の
 要請に応じ、食料を救援した。
 救援隊の帰路、小金原合戦
 が勃発した。
158  小倉城跡  北九州市
     小倉北区
 2006.8.5
 小笠原15万石の城
 復興天守閣。堀、石垣など
159  水俣城跡  水俣市古城  2006.9.6
 相良義陽氏の支城。
 島津への備えとして天正7年
 には島津を撃退した。
 天正9年には、犬童頼安が僅
 かな兵で守っていたが落城
160  八代城跡  八代市  2006.9.6  
 水堀(濠)、石積み
 櫓台、天主台など石積み多。
 太鼓橋
161  大隈:高山城跡  鹿児島県肝付町
        本城
 2006.9.21  
 中世の山城遺構が全て残る。
 島津の三州統一まで、大隈 
 支配した肝付氏の居城。
 国の重要文化財
重要文化財
162  岳城山(高鳥居山)
 (二回目)
 福岡県須恵町  2006.10.9
 前記、略
163  京都
 (二回目)
 市内巡り  2006.11.17
 渡月橋、天竜寺、金閣寺
 龍安寺(石庭)
164  首里城跡
 (二回目)
 那覇市首里  2006.11.22
 復興建物、石垣
 守礼の門
 世界遺産
165  八女福島町並み  八女市内
 (旧福島町)
 2006.12.12
 技術士会による研修
 八女伝統工芸館
 八女福島町並み巡り。
166  嘉穂劇場  飯塚市  2007.1.21
 (平成19年)

  大正時代末期より、昭和初期
 にあった「中座」の流れを引く。
 昭和6年落成。
 回転舞台、奈落持つ
 石炭産業全盛期に造られた
 代表的な大衆演劇芝居小屋
 平成15年大水害被災。
 各方面の支援にて復興した。

167  苅田:松山城  福岡県苅田町
       松山
 2007.1.23
 北九州空港アクセス道路
 右手の山。
 天平12年(740)藤原廣嗣の
 築城とされる 
 豊前湾に面した要害。
 長く毛利氏の出城であった。
  戸次鎮連出陣した事あり。
 遺構は石積
 

168
 白川郷
 (三回目)
 岐阜県白川村  2007・2・16
 雪景色の合掌造り集落展望
 萩町城跡展望台より
 世界遺産
169  宗像氏貞の墓  宗像市上八
   (こうじょう)
 2007.3.10
 宗像大宮司家第80代当 
 「宗像正氏」が中国在勤中、
 側室「照葉」との間の子。
 幼名:鍋寿丸。
 正氏死後山田事件を経 
 当主となった。
 天正14年3月4日(1587)卒
              42歳

170  多々羅浜古戦場
 (多々良川)
 福岡市東区
     多の津
 2007.3.12
 二度の大合戦のあった所。
 中世「糟屋川」と呼ばれた
 河口一帯の浜を「多々羅浜」
 と言い、広々した浜が広がっ
 ていた。
  ・延元元年3月2日(1336)
   南朝方「菊池武敏」
   「阿蘇惟直6万の大軍に
   「足利尊氏」300が挑み
   天候の助けもあって尊氏
   勝利。
  ・永禄12年5月18日(1569)
  戸次鑑連立花山城を
   占拠した毛利を撃退勝利。
   立花山入りの発端となっ
   た合戦。

 現地には、モニュメント、兜塚


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