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       大友 貞載 立花山城築城

   「大友貞載」豊後大友氏6代貞宗二男、幼名阿多々丸、孫太郎。
   元徳2年(1330)筑前國糟屋郡立花城築城初代立花氏。貞載には7人の男の兄弟がいた。
   長男は貞順。父貞宗は家督について5男大友千代松丸とすることを遺言する。

   嫡男が家督を継承することを慣わしとする武家社会には珍しいことである。当然長男貞順に
   とっては不満である。後年玖珠城に篭り争うことになる。大友家系図によれば、謀反により
   大野荘で自刃とある。
   父の死後、貞載は父の遺言に従い千代松丸に7代家督を継がせ、大友家を支えていく。この
   時より大友氏の家督は、息子の中から最も相応しいものが家督を継承する単独惣領制が始まる。
   貞載は、千代松丸(氏泰)の後見の傍ら筑前筑後で功労があった。是により肥前國守護に就く。
   建武2年(1335)南北朝争乱の最中、貞載は戸次氏ら大友氏族で構成する軍団率い箱根に
   出陣した。(太平記には大友千代松丸の名もある)竹下では「新田義貞」の足利尊氏討伐に加
   わりこの時は敗戦。翌日佐野山に陣。貞載と佐々木塩谷判官高貞の1千騎は後方を固めていた。
   が突如「如何におもいけん」尊氏方へ一矢射かけて後旗印を丸め突然「新田義貞」軍を襲う。
   これにより天皇方新田勢は総崩れとなった。
   これで多くの諸将が尊氏へと靡き足利尊氏は遂に京入りを果たす。大友文書録によれば、この
   戦いに参加していた
戸次頼尊は、鎌倉をへて九州に戻るまで、道中親類若党百余人の手負い討
   ち死をだしている。それだけ道中含め争乱の時代であった。また建武3年
戸次貞能は湊川合戦
   で戦死した

   貞載の寝返りの理由は解らないが、これには伏線があったとされる。合戦前日に貞載は尊氏に
   「味方したい」と申し入れ、尊氏は「仔細あるまいと」了承したという。
   貞載は今後の去就にあたり、後に多くの武将が尊氏になびいたことを見れば建武政権に武家の
   未来はないと考えたのであろう。
   この後、建武3年正月11日、京東洞院にて貞載を許さない後醍醐天皇側近、結城判官親光は
   刺し違える覚悟で降服を装い貞載に切りかかる。貞載は深手を負いながらも親光と組討となり
   討ち取る。貞載はこの傷が元で翌日死亡する。
   (梅松論の紹介引用)
   大友家系図には、組討死としたもの、三日後死亡としたものもある。

   さて一方、南北朝合戦記「
太平記」近衛本の書くところはこうである。

   「
此世乃中(このよのなか)とても今ハはかばかしからしとおもいケ連(れ)ばいかにも
   して将軍(尊氏のこと)を称(ね)らひ奉らむ為に、態都(わざとみやこ)に落ちとどま
   りてぞ居らりケる。ある禅僧を縁に執(とっ)て降参仕満(こうさんつかまる)由緒(よ
   しを)将軍へ申入れたりをれば、親光の所存よも誠の降参にてはあらじ、只尊氏をたぶか
   らん為にてぞあらん。」とことの仔細を探るよう大友左近将監(貞載)を遣いにだした。
   貞載は結城に向かい「御こうさんの由を申され候(そうらい)つるによって、某(それが
   し)を御使いにて事の由緒能々(よくよく)尋ねよと仰せらる留にて候、何さ満こうにん
   (降人)の法にて候む。御物の具(おんもののぐ)ぬがせ給ひ候べしとあら羅かに言(こ
   とば)をぞ懸けたりける(声を荒げて言った)。親光是を聞きてさてハ、将軍我心中(わ
   がしんちゅう)を推量有って、討手の使いに大友(貞載)を出されたと心得て、物のぐを
   ぬがせよとの御使い(おんつかい)似て候ば進じ候はんというままに、三尺八寸の太刀を
   抜きたて大ともにはせ(馳せ)かか里かぶと(兜)の志ころ(錏、首を保護する垂れ)よ
   りもとくび(首)迄、きっさき(切先)五寸ばかりぞ打ちこミたる。
   大ともも(大友も)太刀ぬかんと志けるが、目やくれけん(目がくらむ)一尺計(一尺ば
   かり)ぬきかけて馬より佐かさ満(逆さま)に落ちて死にける。


   太平記はこのように書き、大友貞載は即死したことになっている。是を見た大友の若党三百騎は
   親光ら十七騎を押し包み討ち取るが、大友方にも多くの切り死がでた。
   「戸次軍談」によれば、親光の首を載せ尊氏に首実検したとする血染めの扇、尊氏から拝領した
   足利家伝来吉光の短刀(国宝・立花家)下黒の旗を以って、立花家武名の三つの宝器として代々
   伝えたと書いている。
   太平記は貞載を「大ともは元来少し思慮なきも者也」と評し、文面からは分別に欠けた田舎者
   扱いの向きが覗える。
   しかし、弟の大友家惣領「氏泰」を支えその働きを見れば、戦国争乱の時代惣領家を支え戦い抜
   いた名将といえる


          
             太平記巻第十四目録と「将軍入洛の事付ちかミツうち死の事」本文の一部



              参考史料   太平記(近衛本、京都大学付属図書館公開原本)
                     大分歴史事典(大分県立図書館蔵)
                     大分縣郷土史料集成(系圖篇、大友氏系図)
                     戸次軍談



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