鑑連獅子頭
戸次鑑連獅子頭之事
大分市下戸次尾津留(小津留ともいう)に高山という地区がある。(現在、地図上には見出せないが、地元の
人が「高山」と呼ぶ一帯)
この高山は、戸次氏本家が「戸次庄(へつぎのしょう)」より大野荘「鎧ケ嶽城」に移るまでの、戸次氏の舊址
(きゅうし)の在ったとされる所の一つでもある。
かってこの高山には「高山権現」という小さな祠があり、近くに広さ三十歩許の「道三池」という小池があった。
ある年、この池の中より一個の「獅子頭」が発見された。この獅子頭は、古いが雅やかなもので、尋常の物と
は異なりと住民は伝えていた。
この獅子頭は名将「戸次道雪」が戦陣に臨むとき、兜上に被りたる物であったという。おそらく「兜」の「前立(ま
えたて)」であろう。
この獅子頭、大変に「風貌威」有って生きているようでもあった。しかし、その風貌に獰猛(どうもう)さは微塵も
無かった。
獅子頭はその後、大分郡稙田荘の敷戸(大分市敷戸)の「獅子神社(現、子子神社)」に「神体」として祀られ、
神社の「御神体」となったとされる。
毎年土用のころには、盛大な祭典が行われ、悪疫流行の際には、疫病除けの「祓」とし、この獅子頭を奉じて、
郡内各村を巡ぐり、住民の尊崇は大変深かった。
人々は「お獅子様」と唱え、巡幸の際は、病に悩む者や子供は頭を差延べ、お獅子様に嘗めてもらうと無上の
禁厭なりと、路傍に多く人が集まったという。これは「戸次鑑連(道雪)」が至誠忠直、能く群臣を撫育せるの餘
徳(死後も受ける恩恵)これは疑いの余地はないことであったと伝わる。
2007年12月、管理人は現地を調査した。
獅子頭の見つかった「道三池」今は埋められ平らになっていた。此の「道三池」は大変に小さな池であったが、
年中水の涸れるはことは無かった。
川の近くの為に、池は度々洪水を被り、そのため魚がたくさんすんでいて、河川工事で池が埋められるまで地
元の人はよくここで魚を取っていたそうである。「道三池」と呼ばれるようになった謂れは、その昔、地元の「高
畠道三」という人が、魚を取るため池に「網打ち」に行き、其のとき網に「獅子頭」がかかりあがったのだと言う。
以来此の池は「道三池」と呼ばれるようになったいう。
「獅子頭」は、前述のように「獅子神社」の御神体となったが、この地域では毎年7月1日獅子神社の神主が、
獅子頭を連れて訪れ巡行祭礼がおこなわれた。
祭りは、先ぶれの「太鼓」を先頭に、「神主」「獅子頭(この祭礼の獅子頭は御神体ではなく、獅子舞に使われ
るような大きななものであった)」、供物の麦入れる「麦かます」担ぐ2〜3人で、地区内を廻ったという。この時、
各戸「麦一升、あるいは金子」を寄進するのが慣わしであった。
お獅子様にふれると病気にかからないとされ、皆こぞって集まったという。 この行事は近年終戦後まで続いて
いた。
「鑑連」は戸次庄には住んだことはないはず。その「鑑連」の兜飾りが何故この地で見つかったのか。
大分市下戸次尾津留には「戸次姓」のお宅が多くまとまっておられる、戸次氏が藤北へ移った後も、
此の地へ残った一族がいて、何らかの関係があるやも知れない。
此のことについて別途ページ「戸次名称由来」を参照あれ。
調査に際し、現地ご案内いただき、何かと貴重な由来についてお話いただいた
地元高山にお住まいの「佐藤信高様(当時80歳)」にネットを通じ厚く御礼申し上げます。

「道三池」のあったところ
年中水の涸れることなく魚がたくさんいたという
近年まで、地元の人の漁場であった
篠竹林は池の周りにあったもの

子子神社 (獅子神社・大分市敷戸)
場所は、R10号大分市に向かい、大分大学入り口
過ぎた左手の斜面。一時的なら車輌駐車可能
参考資料 鶴賀城戦史ほか

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