嫗嶽大明神伝説
(うばだけだいみょうじん)              



   「
嫗嶽大明神伝説(大神大蛇伝説)」は「炭焼き小五郎伝説」「瓜生島伝説」と共に豊後に伝わる
   豊後三大伝説の一つである。
   大友興廃記巻一、豊後国志、平家物語巻八緒環おだまき)、源平盛衰記などの多くの書に書かれ、
   豊後37姓氏の祖「
大神惟基」を、嫗嶽大明神の化身の子」とする「惟基」出自と、豊後の英雄
   「
緒方三郎惟栄(大神惟榮)」を「おそろしき者の末裔」とする伝説。
   大分県竹田市神原「
穴森神社」と大分県豊後大野市清川字宇田「宇田姫神社」及び「萩塚」の広域に
   またがる伝説である。
   書によって記述に違いはあるが、各書の主要部分は同じである。 豊後大神氏へ
 
   桓武天皇の頃、中の関白道隆二男、堀川大納言儀同三司伊周公というものが豊後國緒方郷の片山里に
   配流となり「塩田大夫」というものに預けられた。やがて一人の娘が生まれた。(源平盛衰記長門本
   は、赤雁大夫という者の娘有りとある)。娘の名は
花御本(はなのもと・書によっては、柏原御許、
   華御本、花下、華本
)という。
   花御本は大友興廃記の書くところでは「ミメコツカラ尋常也」と有り絶世の美女で「
宇田姫」と呼
   ばれ大変に誇り高く婿にも「我ヨリ上様ナル人云事ナシ」と言って男を通さなかった。両親は屋敷
   の後ろに住居を造って住まわせていた。
   (一説には九州に下向した藤原仲平の娘とも云う)
 
   大友興廃記
        「
ここに不思議あり、祖母嶽大明神和当の塵に交じり、仁人の美なるに現じ、
        夜な夜な密かに大納言の息女に通わせ給ふ」花御本のところに男が通
うように
        
った。

   以下、
平家物語源平盛衰記より要旨。

  「水色の狩衣(かりきぬ)に立烏帽子、年の頃は廿四五なるタオヤカナ貌(かお)して、田舎者
   には見えなかった。花御本の傍に指寄って、様々に物語して慰み言うが、花御本は靡(なびく)
   かなかった。それでも細々(こまごま)と口説いたので、岩木のようにかたくな娘も、遂に靡く。
   その後男は、雨降風冷しても夜な夜な通って来た。父母には隠し通していたが、月比日比夜な
   夜なのことなので、仕えている女童がこれを父母に告げた。父母は急ぎ娘に問いただす。
   娘は正直に事のいきさつを話したが、男が誰かは判らなかった。母は、水色の狩衣に立烏帽子に
   覚えはない、大宰府の近くならば京人と思われるが、この辺にはいない、狩衣に立烏帽子ならば
   只人ではない、今となっては婿とするしかない。
   男の行く先を調べるよう娘に教えた。帰る娘に母は「針」に「しづの緒環(おだまき、苧玉巻、
   小手巻)」を与えた。

    その夜男が通って来た。明け方帰るとき、娘(
花御本)は針に緒環おだまき)の糸を通し、
   帰る男の狩衣の襟に針を刺した。
   このことを告げると、父鹽田(しおた)大夫は花御本に子息家人四五十人にて「糸」のあとを
   百尋千尋して後を辿ると、日向と豊後の國境「嫗嶽」と云う山の大きな窟(岩窟)の中へ入って
   いった。鹽田大夫が穴の縁に立つと穴の中から身の毛も立つ恐ろしい「痛吟音(うめき声)」が
   聞こえる。花御本は穴の縁に立ち、糸を引いて云った。
   「穴の底にいるのは如何なる侍か、何事で痛がっているのか、自分は此処まで来た、見参せよ
   (出てきて欲しい)」穴の中から声があり「自分は夜な夜な花御本に通う者である。この朝に頸
   に針を立てられ痛い、我は人にあらず大蛇である。とうとうと帰れ」これに花御本は「たとひ如
   何なる姿でもあれ、この日来(ひごろ)のよしみとて何とかて忘るべき、互いに姿をも見もし見
   えむ。つゆ恐ろし思わず」といえば、穴の中より
臥長(ふしたけ)五六尺跡枕(あとまくらべ)
   は十四五丈の大蛇
が、動揺(ゆれうごいて)して匍(はい)出す。眼は銅(あかがね)の鈴を張
   るがごとく
口は紅を含むがごとく、頭に角を戴き耳低く頭に髪はなく、顔は獅子と異ならない
   形相であったが、おめおめと泣き頭を指す。狩衣(かりぎぬ)の襟に刺したと思った針は大蛇の
   喉(のど)笛に刺さっていた。
   花御本は、衣を脱いで大蛇の頭にかけ自ら頤(おとがい・顎のこと)の下の針を抜くと、大蛇は
   悦んで云った。「
汝の腹の中に男子を宿せり、生まれたれば九國に二人といない弓矢取りになり、
   謀賢く(はかりごとかしこく)心剛(こころつよく)なるべし・・・・・姓は大神、名は大太

   といって大蛇は穴にいり死んだ。

   時に、五十二代嵯峨天皇の御宇、弘仁二年辛卯三月五日「花御本」は男子出産、名を「大太」とつけた。
   やがて烏帽子を戴き「
皸大彌太(あかぎれだいた)」この子が「嫗嶽大明神」の化身の子「大神惟基」
   となる、「惟基」の出自、そして「大神惟榮(緒方三郎)」を惟基の五代孫即ち、恐ろしき者の末裔と
   する伝説である。
   この伝説に関する史跡は、大分県豊後大野市清川宇田に、花御本の住まい跡とされる「
宇田姫神社」が
   あり、境内に狩衣に立烏帽子の男子が通って来たという岩穴がる。
   岩穴は、石垣で補強してあるが「女性」をあらわすという。御神体である。
   また近くには、花御本がお産の時「萩の花」を敷き出産したと云う「
萩塚」もある。
   大分県竹田市神原(旧、嫗嶽)には、水色の狩衣に立烏帽子の男子が帰っていったとされる「岩窟」の
   「
穴森神社」がある。穴森神社は「嫗嶽大明神の化身の大蛇」が住んでいたとする岩窟を御神体とし、
   古くは水を満々と湛え「池明神」と称した。 穴は深浅を測る事が出来ないほどであった。

   元禄、岡藩「中川山城守久清」のころ、俄然風雨瞑晦し被害が続出、山林鳴動、暴風大雨、迅雷飛電、
   百獣喧トウし、住民は慄いた。このため災難を恐れる民心を鎮めるため、藩命により水が抜かれた。
   元禄16年10月村民三人が岩窟に入ると、幾百年もの間の大犬などの骨とともに、大蛇の頭骨が見つかり、
   宝永2年中川因幡守久通の命により岩窟内に祀られ、神社名も「穴森神社」と改称されたという。
   言い伝えではで、宇田姫神社と穴森神社の岩窟は通じているとか。

         
         (傳)
花御本住居跡宇田姫神社(清川宇田)   奥の柵の中に、大蛇の化身が出入りしたとされる
                                 御神体の岩穴ガある。
                                 この岩穴は、穴森神社の岩窟と通じているとされる 


                  
                   
花御本出産の地「萩塚」(清川宇田)
                        杉の巨木の下に祠収めた御堂がある               


       豊後国志や大神系図の記述から「嫗嶽」は祖母山を指す(嫗とは、老婆のこと)。
       嫗嶽大明神伝説は即ち「祖母嶽大明神伝説」祖母山信仰である、
       御祭神は「豊玉比売(とよたまひめ)」、豊玉比売は神武天皇の父「天津日高日子波
       限健鵜萱草葺不合尊命(あめつひだかひこなぎさたてうかやふきあえずのみこと)」
       の母。豊後国志によれば「神武天皇」の時、海神の娘「豊玉比売(とよたまひめ)」
       を「祖母嶽大明神」と祝初賜う」とある。「神武天皇」は鵜萱草葺不合尊命第四の御
       子で、「
豊玉比売は神武天皇の祖母」に当ることから、山を「祖母山}と号した。
       豊玉比売を御祭神「嫗嶽大明神(祖母嶽大明神)」として信仰を集めているのが竹田
       市神原「神原山」にある「
健男霜凝日子神社下宮(たておしもこりひこじんじゃ)」
       である。神原山について、豊後国志は「在入田郷嫗嶽北山足・・・巨岩窟中有祠・・
       ・祠傍有路、達嫗嶽之嶺、嶺有一石祠・・」とある。「健男霜凝日子神社」は祖母山
       山上の石祠を「上宮」に、神原の遙拝所を含めた総称で「嫗嶽神社」とも云う。
       近郷の者たちは、「嫗嶽様」と呼んで信仰厚い。
       健男霜凝日子神社は、延喜式、續日本書紀、豊後國志にも名のある、古来より晴天降
       雨、気象祈願の神社で、人々は霊峰祖母嶽にかかる雲の動きで、気象を占ったのであ
       ろう。この三社に、穴森神社、宇田姫神社を加えて、大神惟基を
嫗嶽大明神(祖母嶽
       大明神)の化身の子とする伝説が伝えられているのである。

         
          鬱蒼とした杉林の穴森神社(竹田市神原)     御神体の岩窟内、奥を探検できるが不気味
          岩窟は社殿の裏、一段低いところにある     途中で引き返す。かっては水が満々としていたという

 
                   
                    神原山中腹岩屋に建つ祖母山信仰           
                            「
健男霜凝日子神社下宮
                        村民は古来より岩屋を神殿として崇めた
                        参道の石段急勾配で長い、参拝大変である
                        里に遥拝所がある

 
                                          参考史料    豊後國荘園公領集成
                                                             大分県郷土史料集成
                                                             大分県史(中世編)
                                                             大友興廃記
                                                             大神系図
                                                             豊後國志(岡藩唐橋世濟)


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