戸次鑑連矢音指南之事



       「戸次紀伊守鑑連(法体後・道雪)」の居城大野荘藤北「鎧ケ嶽」は高山のため常は
       麓の「
藤北の里」に館(やかた)を構え居住していた。
       藤北の「
鑑連」家中は、侍大将から下々の小者に到るまで、夜昼の区別も無く、弓鉄砲
       はじめ種々の武芸の稽古に明け暮れていた。
       こうした者の中に、鑑連の児扈従(小姓)達は専ら弓の稽古ばかりしていた。
       此の小姓の中に「四月一日(ワタヌキ)長蔵・佐藤十三郎・藤村小十郎」の三人が居た。
       ある日、彼等三人は弓射ちの自慢話で広言し、大声が藤北「鑑連」館に響いていた。
       やがて「ワタヌキ長蔵」は鳩を指差し「矢を以って廿六〜七間にて「ひやうふつと射殺
       した」と云った。続いて「佐藤十三郎」が「昨日屋根のスズメを十八間にて、ふくらを
       以って、ひやうふつと射殺した」と云う。
       さらに「藤村小十郎」の云うは「某も桜の馬場にて、四寸角を十八間にて剣先を以って
       矢七筋の内、六つはひしと当りたる。その内五つ、星に当る」と言った。
       此の三人の、自慢話の様子を物越しに聞いていた「鑑連」、矢音の相違をおかしく思い
       広縁にでた。突然の鑑連のお出ましに、三人の小姓はその坐にかしこまり立ち竦んだ。
       鑑連の申すには、「汝ら、弓の当りこまかなる事(正確なこと)、允に良いことである。
       さらに稽古を積むように」と言い、続けて言った。「先ほどよりの矢音の事、皆間違い
       ばかりである。人前でそのような不都合なことばかり言っていては、恥となるばかり。
       せめて平家物語、舞などにあることらを聞いてから言うべきである。汝ら物覚えもよく、
       一度聞けば忘れることのない者ばかりである。これから言うことを聞いて習うべし」

      
「矢音の事は、そやけんさきにて、物を射て中たる時は、ひやうつばと射てと言ふ。
       射ぬきてとも言ふ。はづれたる時は、ひやうすかとはづしてと言ふなり。

       雁俣にて物を射てあたるをば、ひやうふつといふ。いきりて共いふ。はづれをば
       ひやうすかと言ふ。

       かぶら矢にて物を射て当りたる時は、ひやうふつと言ふ。はづれたる時は、ひすと
       いはづしてと言ふ。矢頭に当りたる時は、ひやうしとと射てと言ふ。はづしては、
       ひやうすかと言ふ。


       矢頭にてはさみ物を射ては、ひやうはたと射てと言ふ。はづしたる時は、ひすつと
       言ふ。
 
       四目にて物を射て当りしおば、ひしと射てと言ふ。はづれては、ひすつとはづして
       と言ふ。

       ひき目にて物を射て当りしおば、ときいて言ふ。

       笠掛の矢音、へしと射てと言ふ。

       小的の矢音はふしと射てと言ふ。三つ的も同様。

       大的の矢音は、はたと射てと言ふなり。」 


       「かようの事も、専ら侍の知るべき事なり。よくよく覚えよ」と指南した。

        いつしか、そこへ、小姓たちの親共もその場に寄ってきて頷き、御諚(おおせ)の通り
        皆喜んだという。


        (注)・読みについて
         
             「 ひやう  : ひゅう 」
             「 ひやうふつと : ひゅうっと 」
             「 言ふ    言う 」

         ・  矢について

             「 そや     征矢・合戦専用の剣先矢。細く鋭い鏃。
                       鏃の形状によって、槙葉剣先(まきのは)、
                       柳葉剣先(やないは)とある」

             「 かぶら矢   鏑矢・先端がかぶらの形をしている。当てた物を
                       傷つけない時などに使う」

             「 雁俣     狩股・鏃が二股、内側は鋭刃。矢合わせ等に使用した
                       蟇目鏑矢の先につけた」

             「 ひきめ目   蟇目・かぶらやの中を空洞にし穴を開けたもの。
                       射ると音が出る。
                       形が蟇蛙(ひきがえる)の目に似たところより
                       名づいたとも云う」




                          
引用史料 : 大友興廃記(巻第六)
                                              (大分縣郷土資料集成 戦記篇)

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