鎧ケ嶽城                          

        豊後大野市大野町:大分市野津原町、両市の境



    「
鎧ケ嶽は、中世「豊後戸次氏」の山城のあったとされ、「戸次氏」にとっては心の拠り所と
     なった山である。


     
遂に立った「鎧ケ嶽」。この山、頂上は大変に狭い。おそらく「鎧ケ嶽城」と呼ぶほどの
     建物は築かれなかったのではないか。

  
     (注) 大分県教育庁埋蔵文化財センターの資料によれば、主郭は二段あって土塁があり、200mほど下がっ
        た所に「柳台(馬場)」と云う平場があるとなっているが。 しかし現地見る限り、土塁は確認できない。
        また、確かに頂上は二段になってはいるが、なんといっても幅5mほどで細長い、それも20m強。
        風化で表土が失われたかも知れないが岩の露出多い。建造物を造れる地形にない。水場は遥かに下、
        確保困難。登るにも険阻な崖、藤北側は今も チェーン無しでは登れない。
        「豊後国志(唐橋世濟・岡藩)」にも「戸次氏の城は山半にあった」旨の意味のことが書かれている。


    
鎧ケ嶽は、大分市と豊後大野市の市境を東は障子岳より、西は「神角寺」に至る南西に走る稜線の
    ピークの一つである。
標高847
    
東に「烏帽子岳(821m)」が隣接する。標高は有るが稜線と平行して「四辻峠(650m)」中心に
    平成パークラインが走っているので今では、アクセスはよい。
    登山口は、東の「烏帽子岳登山口」西の神角寺側「鎧ケ嶽登山口」とある。烏帽子側はかなり険阻
    で鎖場も何箇所かあり、ファミリー登山路にはむかない。西の登山口は駐車スペースも広く鎖場も
    あるが、歩行距離も短く、烏帽子口に比べれば楽である。
    鎧ケ嶽頂上付近は岩場で大変に狭い、最も高い地点は幅は5m足らず、長さ7〜8m、しかも岩場、
    一段低い部分含めても20mほどか。鎧ケ嶽は戸次氏の城の有った所として知られているが、現地は
    ゴツゴツした岩場に狭い頂上、段差は二段あるが「曲輪跡」とは確認できない。
    直感したこと、それは先ずこの「鎧ケ嶽」に山城は築かれなかったであろうと言うことである。
    (鎧ケ嶽南は、切り立った崖になっているので、下った山腹一帯には、砦や塁のようなものは築か
    れた可能性はある)
    戸次氏の本貫地は云うまでもなく「戸次庄(へつぎのしょう)・市村」であったが六代「直世」の
    頃将軍家の勘気うけ、九代「親載」の頃には戸次庄追われ「大野荘藤北」に移り「鎧ケ嶽」を城と
    したとされる。
    しかし、鎧ケ嶽の南側は切り立った崖に深い谷、東西に南は険阻な岩場、当時藤北口よりこの山に
    取り付くルートは無かったのではないか。

    
こんにち、豊後大野市大野町には、藤北に「藤北館」田中に戸次館跡の「最乗寺田中城址
    
「親延(親正)」屋敷跡とされる場所に「城門跡等戸次氏史跡が多く残る。
 
   恐らく「鎧ケ嶽城とは、これら「館」などの総称であったに違いない。   

             
       
           烏帽子口登山路頂上手前の鎖場の一つ
                    鎖は新しく張り替えられている
                    錆び一つない。管理はよい

 
             
             
一段高い部分鎧ケ嶽頂上(847m)ゴツゴツした頂上は大変に狭い
                幅5m弱、狭く細長い岩場、この場所に「館」の造営は無理としか
                言いようがない



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