| 糸島市と福岡市西部の 地学と歴史散歩 1 |
福岡県西部に位置する糸島市と 福岡市西部を歩きまわる際に 知っているときっと 楽しくなる地学と歴史を 紹介しましょう。 |
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概 要 この地域は、おおむね「糸島型花崗閃緑岩」と呼ばれる深成岩(火成岩)が大部分を占めています。そして、ところどころに さらに古い時代の「結晶片岩」やずっと新しい「噴出岩」(玄武岩など)が分布しています。ここを舞台として、古代から現代までの 日本人たちが今の歴史の礎を築くべく活動してきました。 参考文献・参考資料 九州地方 松本達郎 外著 朝倉書店 1962年発行 福岡の地学ハイキング 田中豊俊 編集 博洋社 1979年発行 福岡県の山歩き 福岡山の会 編 海鳥社 2009年発行 怡土志摩地理全誌(1・2) 由比章祐 著 糸島新聞社 1990年発行 |
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可也山(かやさん) 365.1m 東方の小戸公園、長垂、今宿方面から、または、西方の芥屋の大門あたりから見ると、小型の 富士山のように見えるので、筑紫富士とか、糸島富士とか、小富士と呼ばれている。 私は芥屋の大門の すぐ北の海上から見た姿がいちばんすばらしい(下の写真)と思う。 南側・北側から見ると、台形に近い形をしている。 頂上 付近には、地デジの放送用アンテナが立っている。 山体の大部分は、糸島花崗閃緑岩で出来ていて、風化が進んでいる。 山中に風化して丸まった岩石が所々見られるが、 東山麓の「大石(町名)」にその標本が見られる。 可也山の頂上部分には、玄武岩質溶岩と溶岩礫や火山灰からなる集塊岩が分布している。 また、東山麓の大石の北に は、玄武岩が露出しており、小規模であるが、板状節理がよく発達したものである。 これらは、火山噴出物で あるが、 この玄武岩質溶岩類は北部九州一帯を覆っているので、火山の噴出孔は定かではない。 登山口は、東側、師吉(もろよし)と北側、親山(おやま)と南側、小富士にあるが、南側からの道は急坂である。 《 歴史 》 ※ 花崗閃緑岩 マグマが地下の深いところでゆっくりと冷えて鉱物の結晶を作りながら、固まって出来た岩石である。 この岩石の中には 石英・長石などの無色鉱物と角閃石・黒雲母などの有色鉱物を含んでいる。とくに、糸島花崗閃緑岩は有色鉱物の角閃石・黒雲母 などを30%ほど含んでいるのが特徴である。 この岩石は、いまから1〜2億年以上前(中生代)に出来たと考えられて いる。 ※ 玄武岩 マグマが地表・または地表に近いところで速く冷えてできた岩石である。 速く冷えても結晶になりやすい鉱物、たとえば、 カンラン石など少数の鉱物は玄武岩など火山岩の中に見つけることが出来る。 カンラン石を特徴的に含む玄武岩の場合、 カンラン石玄武岩と呼んでいる。 この岩石は、およそ200万年前(新生代)にできたと考えられている。したがって、 花崗閃緑岩の上に玄武岩溶岩が流れ出したと考えていいだろう。 ※ 集塊岩 火山から噴出したもの、たとえば、火山礫・火山灰・溶岩塊などが堆積して出来た岩石を集塊岩という。 ※ 万葉集 万葉集の中に次の歌がある。 草枕 旅を苦しみ恋ひ居れば 可也の山辺に さ男鹿鳴くも 壬生宇太麻呂 これは、朝鮮半島や中国に出かけていった使いの一行が立ち寄ったことを示している。 ※ 大阪城 また、大阪城築城のための石垣の石を切り出して山でもある。 |
芥屋の大門の北の海上から、可也山の眺め |
芥屋の大門(けやのおおと) 玄武洞(玄武岩で出来た海食洞)で有名なところである。 海上から見ると六角形の見事な柱状 節理が見られる。 カンラン石玄武岩でできた高さ64mの小山であるが、ほぼ北側に海食洞が見られる。 奥行きが 90m程あり、遊覧船で入り口から20mほど中まで入ることが出来る。 遊覧船は海が凪いでいるとき、芥屋の波止場から出ている。 また、海食洞の両側の海岸には、玄武岩が長い間海にもまれて丸まった岩石が敷き詰められたようになっており、水にぬれた とき、真っ黒に見える。 その様子から名づけられたのであろう。 「黒磯」と呼ばれている。 大門と陸をつなぐ部分は「チヌの山」と呼ばれているが、可也山と同じ花崗閃緑岩で出来ている。 そこは、冬に赤い花をつけるヤブツバキが群生している。 |
芥屋の大門の北の海上から 中央の暗い部分が洞穴 |
| 宮地岳(みやじだけ) 118.1m JR筑肥線加布里駅の東側にある山である。 頂上に宮地嶽神社がある。 山体は、糸島花崗閃緑岩である。 ところどころにほかの山と同じように丸まった岩石があり、ところによっては砕石した後が 見られる。 山頂近くまで車道があるが、スダジイやマテバシイなどの自然林に覆われている。 最近では孟宗竹が広がって自然林 を侵食している。 《 歴史 》 江戸時代には、福岡藩、中津藩、幕府の直轄領の境界線だったようで、その標識が山中に見られる。 |
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火 山(ひやま) 244.1m 可也山のすぐ北側にある。 頂上付近にはNTTなどの中継アンテナが立っている。 山体は、花崗閃緑岩で できており、いわゆる火山(かざん)ではない。 北麓の一部には、結晶片岩が分布しており、海上の渡島・コブ島に続 いている。 また、東側の毘沙門山にもつながっている。 登山口は、南側、稲留(いなどめ)と北側、野北(のぎた)にあり、ともに車での登山が可能である。 稲留から登ると、中腹に瑠璃光寺があり、桜の時期は花見客が集い、紅葉の時期は、カエデだけではなくメグスリノキの紅葉が とても美しい。 野北側から登ると、頂上近くにパラグライダーの基地がある。 ここを飛び立ったパラグライダーは、幣(にぎ)の浜に 着陸していた。 ここから玄界灘と、立石山、芥屋の大門、幣の松原、幣の浜が展望できる。 《 歴史 》 ※ 結晶片岩 この岩石は、古生代(2億5千万年より古い時代)に出来た岩石がのちの地殻変動によって、性質を変えてしまった岩石 である。 とくに、この結晶片岩は元の岩石が大きな圧力を加えられて出来たものだといわれている。岩石に含まれる鉱物が 伸ばされたり、並んだり、性質を変えられたりしている。 ※ 来目皇子( くめのみこ )の亡くなった所 志摩野北の「久米」というところがある。 ここを訪ねると、火山の北麓に来目皇子の墓所といわれる所がある。 用明天皇 の皇子で、聖徳太子の弟にあたる。 新羅征討将軍として、この地に二万数千の兵士を伴ってきたが、役割を果た せぬまま亡くなったという。 現地には、桜の木が10本ほど植えられており、前福岡市長の進藤一馬氏による 「今古俯仰之碑」 が建てられている。 |
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立石山(たていしやま) 209.6m 全山、花崗岩で出来ており、石英脈のところには水晶を産出する。 登山口は、芥屋海水浴場西側の廃屋の裏側からと、芥屋から福の浦に越える途中からの二か所ある。 後者の場合、登山口まで 車で行けば、あとは十分ほどで展望のきく頂上付近に出ることが出来る。 東方の芥屋海岸、芥屋の大門と、さらに東方の幣の 浜、火山、彦山などを眺めることが出来る。 西方には、姫島が海上に浮かんで見える。 |
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二丈岳(にじょうだけ) 711.4m 山体全部、糸島花崗閃緑岩である。頂上にその標本的な風化して丸まった大岩が露出している。 登山口は、北と西にあり、ゆらりんこ橋から沢沿いに歩いて登るとマテバシイとスダジイの自然林を歩くことが出来る。真名子 (まなこ)にキャンプ場があり、車での登山が可能である。二丈岳に降った雨は、来た斜面を流れて、一貴山川、柳川になって、 深江海岸近くを玄界灘に注いでいる。 《 歴史 》 二丈岳山頂には、戦国時代にあったという二條城跡があり、石垣も残されている。 |
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井原山(いわらやま) 982.4m 糸島市の最高峰である。 山体の大部分が、変成岩類(古生代の岩石)である。この変成岩類のもとは、古生代に堆積 したものが変成作用を受けて変成岩になったものである。 その後、花崗岩・花崗閃緑岩のマグマの貫入を受けたものである。 変成岩類の東側は、早良花崗岩、西側は、糸島花崗閃緑岩が分布している。 変成岩類は、各種結晶片岩からなり、水無付近で は、結晶質石灰岩を挟んでいる。その厚さはかなりあり、カルスト地形を作り、鍾乳洞が存在する。 中に入り狭い通路を抜けて奥に入ると、洞内滝が見られる。 この鍾乳洞の前を少し登ると、7月下旬に開花するオオキツネノカミソリの群落がある。 さらに登って頂上近くにな ると、5月上旬に咲くコバノミツバツツジの群落があり、雷山への縦走路にも続いている。 登山は、井原山入り口バス停から、2コースと水無鍾乳洞前を経由するコースがあり、井原山と雷山を結ぶ縦走路もある。 井原山の北斜面に降った雨は、瑞梅寺川となり、糸島半島の東側、今津湾に流出している。 川口付近に瀬や州があるが、 かなり広いので冬鳥たちの楽園となる。 珍しい鳥としては、クロツラヘラサギ、ホウロクシギなどが見られる。 いずれも 採餌の時間帯の観察が楽しい。 |
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高祖山(たかすやま) 416.1m 山体は、早良花崗岩である。 東方に叶岳341m、南東方に飯盛山382.4m、南方には王丸山453mがあるが、いずれも同じ 岩石が分布している。 先出の糸島花崗閃緑岩より新しい時代(中生代後期)の岩石である。 また、いずれも杉・桧の植林が されており、一部に雑木林が残るのみである。 登山口は、西側、高祖からと、東側、今宿野外活動センター からのほかにも、縦走路を入れると、いくつかある。 《 歴史 》 高祖山の頂上には、怡土城(いとじょう)(=高祖城)跡がある。 これは、756年、吉備真備(きびのまきび)が築城に携 わったという。 高祖の西側登山口のそばに、その碑が建てられている。 その後、時代が下って、この城跡を利用し、高祖城を 築き、豪族原田氏代々の居城とした。16世紀末、秀吉の九州平定時に、この城も落ちた。 |
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雷山(らいざん) 羽金山(はがねやま) 獅子舞岳 地蔵 女岳(めだけ) 浮嶽(うきだけ) 十坊山(とんぼやま) これらの山々は、 すべて糸島花崗閃緑岩が分布している。 そして、それぞれの山頂付近には、 丸まった岩石が見られる。 雷山955.4mの北斜面に降った雨は、集まって北に向かい、雷山川となり、西に向かって流れ、下流で泉川 に合流、船越湾に注いでいる。 羽金山900.3mの北斜面と、獅子舞岳に降った雨は、白糸滝を経て、川付 川・長野川となり、中流で合流し、さらに下流で泉川に合流する。 地蔵の北斜面の川は、上流で鳴滝を経て、羅漢川となり、浜窪から船越湾に注いでいる。。 また、西斜面の 川は、上流で千寿院の滝を経由して、二丈岳の東斜面の川と合流して、一貴山川となり、深江漁港近くに注いでいる。 二丈岳711.4mと女岳748.0の間に降った雨は、加茂川となり、二丈渓谷をつくり、佐波から玄界灘に 注いでいる。 浮嶽805.2mの西斜面・十坊山535.4mの北斜面には、東川・福吉川があるが、下流で合流し、福吉漁港付近から 玄界灘に注いでいる。 井原山から十坊山まで、糸島市の南側に沿って連なる山々は、杉や桧の植林がされており、一部が自然 林である。 最近は、人手が入っていないようで山は荒れているといえよう。 《 歴史 》 雷山中腹には、インドから来た清賀上人が開いた千如寺があり、紅葉の名所である。 少し上には、清賀の滝がある。 羽金山には、電波時計の時刻を合わせる電波を出している塔が立っている。 日本にはもう一箇所あるだけである。 以前は別の目的での電波塔があった。 千寿院の滝の少し下流の唐原(とうばる)というところは、平家落人の里として知られており、都見石が残って いる。これは、当時、平重盛の奥方や姫たちが都を懐かしんで東の空を眺めていた場所だと伝えられている。 |
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柑子ヶ岳(こうしがたけ) 254.5m 山体は、結晶片岩類である。 すぐ西側の天ヶ岳も同じ岩石が分布している。 この天ヶ岳の麓には砕石場があり、結晶片岩 類を採っている。 火山に分布している岩石の東側の部分である。 頂上の西側の福岡市西区の集落「草場」の北側と南側に登 山口がある。 頂上からの展望は、大変よい。 初日の出を見る絶好の場所である。 《 歴史 》 柑子ヶ岳には、15世紀ごろから山城が築かれていた。 この柑子ヶ岳城は、大友(宗麟)方の臼杵氏の居城となっており、 志摩郡を支配していたらしい。 たびたび、高祖城の原田氏と争ったが、16世紀後半、大友氏の勢力が衰えると、原田氏が 柑子ヶ岳城を攻略したということである。 本丸、二ノ丸、堀切、馬場跡などが残っている。 |
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灘山(なだやま) 209.5m 全山、花崗閃緑岩におおわれており、なだらかな山で南東側には、唐泊(からとまり)漁港と宮浦(みやのうら)漁港、西側 には、西浦(にしのうら)漁港がある。 登山口は、南側、畑中(はたけなか)とその西側の2か所ある。 頂上付近には、2か所の展望所があり、玄界島、柱島、 福岡市西部一帯や糸島半島の西側海岸線、糸島の山々が展望できる。 ≪ 歴史 ≫ 山そのものの歴史ではないが、万葉の時代、朝鮮半島に群れて船出していく遣新羅使が風待ちしていた唐泊(韓亭)港は、 灘山に囲まれるように位置し、凪を待つのに最適の場所だったようである。 韓亭(からとまり)能許(のこ)の浦波立たぬ日はあれども家に恋ひぬ日はなし 遣新羅使人 |
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糸島海岸 糸島半島の海岸は、一部に玄武岩があるものの、大部分が花崗岩や花崗閃緑岩であり、玄界灘の波や 流れが比較的に荒いことによって、白砂青松であることが多い。 また、原岩に磁鉄鉱が含まれており、砂浜に砂鉄が集まって いるのが観察される。 |