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死ぬ日を予知した古今東西の記録を集めただけの話(6) 己の死を予知する話 ● 東洋医学史研
究会
予知といえばいろいろあるが、今回は人の命、寿命に関わる予知の話としたい。 まず、我が国の古いところでは、聖徳太子が自分の死ぬ日時を予言して、その日に亡くなったそうである。(『聖徳太子伝暦』) 空海も自分の死ぬ日を予言し、死の四箇月前、弟子たちを集めて告げたことで知られ ている。 「吾、入滅せんと擬するは今年三月二十一日寅の刻なり、もろもろの弟子等悲泣する なかれ」と、その予告通り、承和二年(八三五)に大往生した。 この種の伝統は受け継がれ、比叡山定心院の十禅師成意も弟子や同僚に前もって知ら せた上で入滅したというし、熊谷直実入道の入滅の予言も『吾妻鏡』に記録されていて特に有名である。 ![]() 外国にもこの類の話は少なくなく、学者というより霊界の話で有名なスェーデンボル グの場合は、死ぬ一月以上前の一七七二年二月にメソジスト派の創始者であるジョン・ウェズリーに手紙を書き、その中で「自分は三月二十九日に死ぬから、それまでに会いに来てくれ」といい、実際にその日に死亡した。 このような話ばかりだとうんざりするので、ここらで少し話の向きを変えてみよう。 文政年間の京都の医界で名医として知られた中神琴渓は、近江国山田村の貧農の家に 生まれたが、独学奮励して医者になった人物である。 彼には次のような「死を予知する」ということに関連した逸話がある。 三十を過ぎたある日、いつものように野菜の行商で大津まで出て、ある髪結床に作物 を買ってもらい、そこで一休みしていた時のことである。 床屋の親方が妙なことを口にした。 先程帰った客の老人は気の毒だが近いうちに死ぬだろうと言うのである。 それを聞いて半信半疑でそれとなく気に止めていたところ、はたしてその老人は幾日 かして本当に死んだ。 琴渓は驚いて、なぜ予知できたのかしつこく親方に尋ねるとその理由を話してくれた。 「これまで何千人もの髪を結ってきたが、死が近づくと決まって代月のところに証が 現れるのが分かるようになっただけのことだ」と。 琴渓はこれに大いに感じた。髪結床の親方さえこれだけのことが分かるのである。自 分も医者となりその道を極めれば、人の生死を予見できるようになると。 一大決心をした琴渓は医学書を漁り、その中でも特に六角重任著・吉益東洞閲『古方 便覧』二巻を精読・研究し、ついに四十九歳のとき京に出て開業したという。 昔は人の生死を見極めることが、医師の技量の一つであった。 中国の歴史書『史記』・扁鵲倉公列伝にあるように、名医であった扁鵲や倉公は患者の三日後、八日後、半年後の生死を見事に言い当てるわけである。 「後漢書」の伝によると、名医華ダなどは三年後の病気の再発や十年後の死を的中さ たという。 こうした病状の変化は顔色や脈に現れるということである。 古代中国の医学書『素問』・陰陽別論七に、「凡そ、真脉の蔵脉を持する者は、肝の至ること懸絶にし て急なるは十八日に死す。心至ること懸絶なるものは九日に死す。肺至ること懸絶なるは十二日に死す。腎至ること懸絶なるは七日に死す。脾至ること懸絶なるは四日に死す。 」とある。 予後に関して医学書『難経』・二十四難にも同じように脈気と死症について記述があるし、 『難経』・十七難にも「其の死生存亡脉を切して之を知るべきことありや」といって、脈と死症の要諦を上げている。 確か五十三難の七伝や六十難の真心痛も死に至るものである。 こうした予後の判定というものが、疾病の軽重や経過からみての判断というものに掛 かってくる時、医者と易者とではその判断基準がおのずと違うはずである。 しかし多分に観相術と医術の望診は似通っているように思える。 ビポクラテス顔貌はやはり死相に違いないだろうし、生命力が失われつつある人はそ れ相応の衰退を双眸にも顔貌全体にも現してくるはずである。 『近世奇人伝』に紹介されている中村龍袋という、当時名を知られた観相家の逸話に よると、彼は晩年自分の相を観て、「餓死の相が出ている」として門を閉じ、弟子たちの出入りを禁じ、絶食してついには餓死したということである。 これなどはこじつけがましく、予知というより予告めいた自殺というべきものである。 同じ易者でも本場中国となると、そのスケールが違う。 『後漢書』・方術伝によると、折像という易者が自分の死ぬ日を占い、その当日に親 戚や友人一同を招いて賑やかに酒宴を開いて別れを惜しんだ。 最後に別れの挨拶をして、それが終わると同時にこと切れたという。 易聖といわれた衛大経は同じように死ぬ日を占い、その日に間に合うように墓を作ら せ、まさにその予告した日に息絶えたという。(『新唐書』・隠逸伝) 易者の極め付きは『三国志』・方技伝に出てくる管輅であろう。 彼は自分自身の死を予告しただけでなく、人の相を占って何と百人以上の寿命を見事 に的中させたという。 このあまりにも見事な占いに人々は恐れ、半信半疑の者も生年月日をずばりと言い当 てられ、いざ死ぬ日を占う段になると、あわてて辞退してしまうというほどの神妙さであったという。 もはやこうなると単なる予知というより、神業というべきであろうか。 (01,08,06) |
徐福研究会が、ついに古代史最大の謎にせまる。太古の日本に渡来した徐福とは何者か?
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