My name is "kara"▷▷karaとは?

はじめまして。
karaは心身にハンディのあるメンバーが通う福祉作業所です。

karaは障害があるなしに関係なく1人1人が自分だけの「何か」を探し出せる場所。
そして、そこに人が集まり多くの人と共感できたり、刺激しあったりしながら
それぞれの可能性が発信できる拠点となることを願っています。

メンバー1人1人が様々な活動と、その延長線上の体験を通して、
それぞれが主体性を持ち、自らの可能性を見いだすコト。
そして、メンバーと一緒に“今”と“将来”のコトについて考えていきたいと思っているのです。

                                                     

kara's PROFILE▷▷
  • 名称    kärä(カラ)
  • 設立    200721
  • 運営主体  kärä運営委員会
  • 委員構成käräスタッフ メンバー 保護者 地域関係者 学校教諭 福祉関係者など委員長 堺 毅
  • 所長    吉田 修一
  • 場所    〒819-0054 福岡市西区上山門3丁目9−16
  • 活動日   毎週火曜日から土曜日 10:00〜15:30
  • 休日    日曜日・月曜日・祝祭日・その他夏期及び冬期休暇など
  • 連絡先   tel & fax 092−985−2412
  • E-mail   kara_staff_001@kou.bbiq.jp
  • メンバー  16名 ※2012年12月現在
  • スタッフ  4名(男性2名 女性2名)※2012年12月現在
  • アクセス電車:JR下山門駅下車 徒歩約20分バス:JR姪浜駅前から西鉄バス507番「城の原経由 三陽高校行き」乗車▶生の松原団地入り口バス停下車 徒歩約1分JR下山門駅入り口から西鉄バス507番JR姪浜駅前からと同じです。


■活動内容 
1.創作活動
▷▷「作業」というイメージではなく「創作活動」とイメージすると、そこには1人1人の自由な発想とスタンスから色々な作品が誕生します。その創造性と個性が表現された作品を通して、「社会」や「人と人」との関わりが生まれ、やがて強い結びつきとなり、1人1人の将来へと膨らんでいくことを願っています。
◉創作活動MENU:絵画・木工・書・陶芸・デザイン・
オリジナルグッズ製作 など

2.コミュニケーション 
▷▷ 創作活動以外にも「自己表現」や「意思表示」などのコミュニケーションについても大切なポイントだと考えています。すべての始まりは「人と人との関わり」だと思うのです。「こうあるべきだ」という考えではなく「ひとつでも多く引き出しを持っていよう」という発想で1人1人に合ったコミュニケーションを一緒に考えたいと思っています。「kara」や、それ以外の広い世界でもメンバーが自分の「何か」を人に伝えられるように。そう願っています。人と共感し合えるということは生活に潤いを与え、将来を変化させられる“1つのきっかけ”だと思うのです。

3.その他       
▷▷ ハンディがあっても生活は24時間の中に存在し、要望もその時間の中で生まれ、その種類も様々です。それってみんな一緒。たとえば「今日○△に行きたいから付き合って」「いいよ」や「今日は無理」。そんな気軽に言い合える関係でもありたいのです。メンバーとスタッフが互いのことを理解しながら支え合うべきところは支え合いながら、1人1人の生活の中で生まれた希望の手助けが出来ればと考えています。
                                                     
                   
 

「車椅子に乗っている」「言葉がうまく話せない」「突然大きな声を出す」「人とうまく関われない」
何かしらのハンディのあるメンバー達は一歩外に出れば道行く人達から
“好奇のまなざし”を受けて生きている。
それが「いたわり」であっても「何?」という視線であっても、彼等に何らかの視線が向く。
それって普通に生活していたら絶対に無いと言っていい世界。
自分が車椅子に乗ってみて初めて経験した世界。杖をついてみて初めて経験した世界。

表面には見えない心や内面にハンディのあるメンバーは
また違った視線を感じている。
一見「普通」
その「普通」という基準で見られると
「出来ない」「言わない」「しょうとしない」「やる気がない」
という、一般的な「ダメ」というレッテルを貼られてしまう。
それって誤解なのに、と本人は言えない。

でも、
人は自分の価値観にないものや出来事には、そんな視線を向けて生活しているから
視線を向ける人達が絶対に悪いワケでもないし、不思議じゃないかも知れない。

「福祉の仕事をしています」
と言うと、たいてい「偉いですねぇ」「真似できないよ」と言われる。
その度に「そうかなぁ?」と思う。
いろいろな人と話すとあるコトにいつも気付く。
“みんな福祉には関心と理解があるのに、障害者と障害には理解がない”ってコト。
「福祉」と聞くと1歩前に出られるのに
「障害者」と聞くと急に身構えてしまう。
実はこの「理解が無い」って壁が1番の障害なのかも知れない。
当たり前かも知れないけれど、周りにハンディを持った人がいなければ全然分からなくて当然。
分からないから、どうしても
「○△さんが・・・」ではなく「障害者の○△さんが・・・」
なんていうフィルターをかけて見られてしまう。
そして障害がどういうものか理解が無いから関わり方が分からない。
「どうしていいか分からないから・・・」
その、気持ちも分からなくはない。
でも、専門的な知識がなくても関われるのにって思う。
たしかに、日々の支援や万が一の場合の対処については専門的な知識が必要になってくる。
でも、人として関わるのに専門的な知識なんて必要ないんじゃない?って思うわけです。
関わりの一歩を踏み出せば「障害」の状態や様子が見えてくるのに。

そういう場面を見聞きすると
「福祉っていつまで経っても特別な世界なのかなぁ?」
と感じてしまう。

その点、子供達はスゴイ。
「なんで歩けんと?」
「なんで言葉がしゃべれんと?」
「なんで言ってることが通じんと?」
正直に見たまま思ったままを聞いてくる。

そんな子供達にメンバーの状態を分かりやすく説明すると
「何だそうか!」
続けて
「じゃぁ、こうすれば!」
と、子供達なりの関わりのアイデアが飛び出してくる。
子供達はコミュニケーションなんて理屈で考えていないから
まるで“クラスの○○君が困ってるからみんなで考えよう”的な発想で関わっている。
遊びの内容を考えるように、自分達にとってのイイ方法を楽しそうに考える。
それがハンディのあるメンバーが目の前に居たって同じように笑いながら一生懸命に考えている。
そして分からなかったら
「どうしたらいいですか?」
「何が必要ですか?」
と、学校の授業のように質問してくる。
大人だったら遠慮して聞かないだろうというコトでも本人にズバッと質問する。
やっぱりスゴイ。
でも、それって人と関わる時に大切な感覚だと思う。
「障害者と関わる方法」
じゃなく
「目の前の人と関わる方法」
を、子供達なりの「障害者」への気遣いの中で考えている。
出てくるアイデアは大胆で面白い。
時には「それは、ちょっと・・・おいおい」と思う発想もあるけれど
きっと、子供達はそうやってフィルターをかけずに「障害者」への理解を近道で学んでいっていると思う。
固定観念も先入観もまだ固まっていない時期の子供達の大胆な処世術というか交際術というか・・・
見習う点があちこちに見え隠れしていたりする。
やっぱり、子供達はスゴイ!

メンバーと関わっていると「イイ面」も「ワルイ面」も見えてくる。
笑ったり、怒ったり。笑われたり、怒られたり。
そんな何気ない場面を重ねていくと、メンバーとの関係性にハンディがあるなしなんて関係ない、と思えてくる。
「メンバーの為にやらなければ」なんて思わない。
「いっちょ一肌脱いでやるか」ぐらいの感覚。それは友達に対しての感覚と何処か似ている。
だから、どうせやるなら「楽しく」「面白く」「ワクワクしたい」「ドキドキしたい」。
四角四面な考えじゃない。決まり切ったルールじゃない。福祉的な考えなんてもっと必要ない。
もちろんハンディがあるから誰かの手が必要にはなる。
それって自分達が生活していても誰かの手を借りたいと思う時があるのと同じ。
そこはちょちょと手を貸してあげればイイこと。あとはその人なりのコミュニケーションさえあれば関われる。
メンバー1人1人のハンディの状態を知ることは大事なコト。
それは「障害を知る」と同時に「その人を知る」コト。
それはメンバーに対しての最低限のマナーだと思う。

karaは「福祉」や「福祉作業所」のイメージやスタイルにこだわらずに新しい感覚と発想を持ちながら
創作活動でも1人1人の気持ちの中でも
「いつも何かを創造したり変化している」人の集まりと
メンバーもスタッフも、そして「kara」に関わるすべての人が
ただ楽しいだけじゃなく、それ以上に愉快で、その空気が「福祉」を感じさせずに何となく心地よくて
ごくごく普通に感じられる場所でありたいと思うのです。
そして、いろんな人が集まって、みんながつながりあえる場所にしていきたいと思うわけです。

そう。
「ダラダラな感じ」はイヤだけれど「のんびりした感じ」で
1人1人それぞれのペースで進んでいきたいと思うのです。
そして、
karaが進んでいく過程で
「福祉の価値観を変えるコトができるかも」
「こんなやり方があってもいいんじゃない」
と思える“きっかけ”を見つけられたらと思うわけです。

普通の感覚でいると福祉に関係のない人達との関わりが嬉しいコトに増えていく。
そこから「福祉の“?”が見えてくる」
メンバーと同じ立場にはなれないけれど
彼等と関わっていて
「苦悩」「挫折」「絶望」「痛み」「不安」「希望」「願い」「喜び」「悲しみ」「怒り」
いろんなコトに直面した。
だから「いっちょ一肌脱いでやるか」と強く思ってしまう。
自分に何が出来るのか?たいしたコトなど出来ないかも知れない。
「福祉施設」に「福祉の仕事をしている自分達」に「メンバーを知る1人の人間」に
福祉の観点ではない、可能性がまだまだあるんじゃないかな
そう思えて仕方がないのです。
「可能性」という言葉が自分を突き動かしている1つの原動力・・・かも。

そうしたら
メンバーが受ける視線も、理解されない壁も
ちょっとのアイデアや工夫で変わるかも知れない、変わったらいいなぐらいの軽いフットワークで
「のんびり一生懸命」
メンバーと一緒に少しずつ形にしていけたらと思うのです。

長くてすみません。
こんな少しカタいコトも考えながら、ゆっくりとやっているわけです。

「かとを」