「ただでさえ忙しい子供たちに英語まで習わせなくても」とは、よく耳にする言葉である。
児童期に英語を学ぶことに、どんな意義があるのだろうか。
外国に住むと、大人より子供の方がすぐにその国の言葉を話せるようになるのは周知のことだ。子供には不思議な言語能力が備わっていて、大人の何倍もの量の新しい情報を何なくインプットするエネルギーがある。
日本にいても、限られた条件とはいえ、それに近い環境を作ることができる。しかし、自意識が発達し、分析的思考が強まり、内向的になる中一のときに外国語に初めて触れるのでは、適切な時期とはいえない。
その点、「学ぶべき教科」としてではなく、「何か楽しいわくわくすること」「もっともっと知りたくなること」として英語に出合えるのが児童期である。
低学年では子供たちはリズムに合わせ、言葉を口にしながら外国人の先生と動作をしつつ音声をたくさん体の中に取り込む。高学年になると、擬似外国体験に体系的な学習の裏付けが加わる。そして、両親の言葉を浴びて育った赤ちゃんがいつか片言でしゃべり始めるように、体内に蓄積された言葉から自然な発話が促されてくる。
それを可能にするのが児童英語なのである。そのためには、学習のカリキュラムは年単位、週単位、分刻みで綿密に準備されなければならない。さらに、中学校の先取りとして単語の読み書きを詰め込むのではなく、楽しさを養分にし、その中から子供たちの自己表現力を育てる教授法の訓練を受けた児童英語教師が必要である。子供たちに「生きた言葉」を知ってほしいと願う情熱を持った教師が。
なぜなら、その言葉は、子供たちにとって世界に開かれた窓となり、自分の土壌を豊かにする力になり得るのだから。