イスラエル体験談

H.S.さん 福岡在住

ウルパン

帰還者のためのウルパン(ヘブライ語学校)の様子。

日本ではなかなか実態に見えてこないイスラエルの生活ですが、先生の授業でイスラエルのお話しを聞いているうちに行ってみたくなり、本当にイスラエル留学に行ってしまいました。

私は北部のあるキブツ(共同村)で受け入れてくださることになり、先ず半年間ヘブライ語の勉強をすることにしました。 キブツでは半日ウルパン(ヘブライ語学校)で勉強し、あとの半日を働きます。私の仕事場はキブツ内の保育園でした。

イスラエルのウルパン(ヘブライ語学校)でのクラス分けの面談では、イスラエル人の言っている事が全部分かってしまい、 超初心者の私でしたが初級から次のクラス、キター・ベートからのスタートとなりました。 授業ではヘブライ語を始めてまた半年程の私は最初皆が何を言っているのかさっぱり分からずに、その都度日本の先生にメールにて質問していました。その際はお世話になりました。

日本のように甘い教育方針ではないので、とにかく無理でもいいからヘブライ語だけで喋れと回りに言われ,一生懸命喋っているうちにだんだんと相手が何を言っているのか不思議と理解できるようになりました。 結局半年の滞在予定をもう半年延長して次のクラスのキター・ギメルまで終了して来ました。 ギメルを終了する頃には日常の会話は理解できる様になり、空港でのセキュリティー検査でも全てヘブライ語で受け答えできるようになっていました。自分でもびっくりです。

日本に帰って来てから3年になりますが、イスラエルでの1年間は私の人生にとって本当にかけがえのないものとなりました。 今でもイスラエルで知り合った世界中の友達と連絡を取り合っています。 余談ですが現地では素敵な男性とも知り合うことができ、現在お付き合い進行中です。そしてこの素晴しい経験を私の人生にもたらしてくださった先生との出会いを言葉で言い表せない程感謝しています。

Kさん 50代 男性

イスラエル郵便局

イスラエルの街角にある郵便支局。

ヘブライ語を学び始めて4年が過ぎた2010年の秋、イスラエルの聖書ゆかりの地を訪ねるツアーに参加する機会がありました。 ヘブライ語の実践的学びが目的の一つでしたので、イスラエルは英語の通じる国ですが、極力英語を使用しないようにと心に決めていました。 イスラエルの人々は皆、私の片言のヘブライ語に付き合って下さいました。時には喜びのあまり私の手を握ってくるご老人もおられました。

その中でも忘れることの出来ない出来事を二つ記したいと思います。
一つは、イスラエルに入国してすぐ、死海沿岸のホテルに宿泊した時のこと。インフォメイションに並んでいると、父親と一緒に並んでいた9~10歳くらいの女の子と目が合い、思わず「シャローム(こんにちは)」と声を掛けると、「シャローム」と挨拶を返してくれましたので、「アニー ロメッド イブリット(私はヘブライ語を勉強しています)アバル カッシェ メオッド(でも、とても難しいです)」と言ったところ、思いがけない返事が返ってきました。
彼女は少しはにかみながら、「ガム アニー(わたしも)」と言ったのです。横にいた父親が肩を揺すって「クックッ」と笑いをかみ殺しました。
私は、少女の反応に驚きながら、「ヘブライ語しかしゃべらない彼女にとっても難しいのか。国語のテストで悪い点を取って父親から怒られたのかもしれないな」などと考えましたが、俄然、自分の片言のヘブライ語に自信を持ちました。イスラエル人にとっても、スペルや語形変化は面倒なものであるならば、外国人の多少の間違いなどご愛敬と度胸を決めて、その後の旅では積極的に会話にチャレンジしました。

二つ目は、イスラエルでの最終日のことです。 家族や知人宛に絵はがきを出そうと思ったのですが、ホテルでは切手を売っていませんでした。そこで、自由時間にひとりで郵便局へ行くことにしました。道行く人々に、必死にヘブライ語で尋ねながら、片道15分くらいで郵便局へ着き、無事に切手を購入し投函することが出来ました。
帰国後に家族に届いたその絵葉書を見ながら、あの時は冷や汗かきながらよく頑張ったなと懐かしんでいます。
その買い物は短時間ではありましたが、私にとってはヘブライ語だけで過ごした大冒険でした。旅の一つの目的をようやく達成できたというささやかな満足感がありました。

今、旅の経験をふまえ、気持ちをあらたにヘブライ語学習に取り組んでいます。次回は家内の通訳をしながら案内できたらなどと考えています。

M.K.さん 80代 福岡在住

クリスチャンである私は、65歳の時、以前から願っていた夢がかない、イスラエルに半年ほど留学することができました。

北部にあるキブツのウルパン(ヘブライ語学校)に入学し、ヘブライ語の勉強をしました。語学の勉強の経験もなく不安もありましたが、一緒に勉強していた若い友人たちに助けられ、なんとか最初のクラスを終えることができました。

イスラエルのウルパンでは基本的に授業はへブライ語で進められます。先生もなんとか生徒に理解させようと必死で教えてくれます。そして不思議と数ヶ月経てば、日常のヘブライ語は身についてしまいます。この語学教育システムは世界中でも注目されているくらいです。

いろいろと失敗もありました。誕生会の時に、先生が私に「明日の会に皆が作ったお菓子を持って来てください」と言ったことが理解できず、手ぶらで教室に行ってしまい先生にこっぴどく叱られたこともありました。

しかし最後のテストでは90点をもらい、先生や生徒達が「本当によくやった」と涙ながらに喜んでくれました。年齢がいっての留学でしたが、私の人生にとってはかけがえのない経験でした。80を過ぎた今も、その時の喜びを抱きながらヘブライ語の勉強を続けています。