雁ノ巣飛行場の痕跡を訪ねて

戦前、福岡県粕屋郡和白村雁の巣(現 福岡市東区)に「福岡第一飛行場」と呼ばれる日本最大規模の民間国際空港がありました。
戦後はアメリカ軍に接収され「ブレディ飛行場」の名称で輸送部隊の飛行場として使用され、1977年(昭和52年)に返全面返還されました。
跡地は福岡市雁の巣レクリエーションセンターや福岡航空交通管制部などの施設が整備されました。
過去の飛行場の痕跡を残すものはほとんどなくなりましたが、記念碑や水上機用の滑走台、滑走路の跡などがわずかに残っています。


  雁ノ巣飛行場 (福岡第一飛行場)←ウィキペディア参照  
福岡空港の延長線上に位置し上空は離着陸する航空機のルートとなっています。   
  

沿革
 1948年(昭和23年)に米軍が撮った航空写真 1956年(昭和31年)に米軍が撮った航空写真
 福岡第一飛行場
 1936年(昭和11年)に滑走路(600×30m)1本、海岸に水上機の滑走台(80m)と格納庫2棟が整備され開港した。1939年(昭和14年)からは拡張工事が行われ、総面積は開港時の倍以上の135平方メートル、滑走路は800m級2本の交差型となった。太平洋戦争時には博多海軍航空隊が置かれるなど陸海軍共用となった。


ブレディ飛行場
 戦後はアメリカ軍に接収され「Brady Air Base」の名称で1977年(昭和52年)に返還されるまで輸送部隊の飛行場として使用された。
 


現在跡地は
雁の巣レクリエーションセンターと航空交通管制部になっています。
当時の飛行場の面影を残すものとしては、入り口近くに建っている石碑や水上飛行機用のスロープ跡 、滑走路の痕跡などがわずかに残っています。





建設の石碑
[表面]
海の中道 由緒も深き 雁ノ巣松 

[裏面]
白砂青松ノ丘 博多湾ニ面シタル雁ノ古里ヲ選ヒ
水陸兼用ノ國際飛行場ヲ建設ス
昭和十年一月起工シ 翌十一年五月竣工ス
場内面積十八萬余坪
昭和十一年六月 福岡飛行場建設事務所


注釈:
白砂青松の丘 博多湾に面したる雁の古里を選び
水陸兼用の国際飛行場を建設した、
昭和10年6月に起工し 翌11年(1936年)5月に竣工した 
場内の面積18万余坪(約59万㎡)
昭和11年6月 福岡飛行場建設事務所

球磨号遭難者慰霊碑
昭和14年(1939年)5月17日、ソウル経由北京に向かう大日本航空のロッキード双発プロペラ機(球磨号)が離陸に失敗する事故がありました。この事故による6名の犠牲者を追悼する慰霊碑です。

石碑

  

地図上(A)の箇所
(A) 水上飛行機用のスロープ跡が残っている
地図上(B)の箇所
(B) 2本の滑走路がクロスする位置でコンクリート上に筋状や〇形の模様が見られます。この模様は米軍が滑走路に敷いた穴あき鉄板の跡とのことです。



 
穴あき鉄板について調べてみました
 







名称:Pierced Steel Planking Mat
重量:66ポンド=30kg
長さ:10フィート=305cm
幅 :15インチ=38cm
ちなみに海外のネットで販売もされていました US $125.00
 


  雁の巣レクリエーションセンターの管理棟に昔の雁ノ巣飛行場の様子を説明したパネルが展示されています。その写真の中に穴あき鉄板を敷いている当時の写真がありました。

地図でみる沿革

開港を記念する絵はがき
 福岡第一飛行場(建設時は民間飛行場)  
   
雁の巣飛行場は太平洋戦争時は航空隊が置かれ、戦後はプレディー飛行場と名を変え米軍に接収された
 
現在は「雁の巣レクリエーションセンター

追 記
 
 1954年にマリリン・モンローがジョー・ディマジオとの新婚旅行中、福岡のブレディ米軍基地(雁ノ巣飛行場)に立ち寄った時の画像がYouTubeにアップされていました。
Marilyn Monroe Visits Brady Airbase In Fukuoka Japan While on Honeymoon With Joe Dimaggio 1954
    マリリン・モンロー Wikipedia参照
 ネットで掲載されていた撤去前の倉庫、プレディ基地時はダンスホールとして使用されていたとのこと。左の写真のバックにこの倉庫らしき建物が写っていました。2002年(平成14年)に倉庫群は撤去されたそうです。
 
1956年(昭和31年)に米軍が撮った航空写真を拡大するとそれらしき倉庫を見つけました(


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