源流への誘い・・・
(宮崎源流調査隊編)





はじめに・・・


人は大自然の中に身をおくと己のそのちっぽけな存在を強く認識すると言う・・・
元来、人間は大自然と共に有り、野生と言うに相応しかったのでは無いだろうか。
そこには当然の如く自然に対する畏敬の念が芽生え、此の世に存在する物全て
に神を感じたに違いない・・・その後人間(日本民族)は狩猟から農耕へと生活の
手段を変え、平地に居住の地を移す事となった。そして、次第にその研ぎ澄ま
された野生の勘が衰えて行ったのではないかとも思う。しかし、人間は時として
元来持っているその野生を、山に入る事で取り戻そうとしたのではあるまいか?

山は魔界だ・・・
古の修験者等は山に入り、その厳しい環境に身をおく事で、神を身近に感じ、
あわよくば何らかの眼力を身に付けようとしたのだろう。
彼らは鎖一本で切り立った岩肌を登り、時には天狗になって空を飛んだのでは
ないか?と思われるような考えられないスピードで山中を駆け回る脚力を身に
付けるまでに至ったと言われている。
古来より山は聖なる場所であり、また修行の場でもあったのだ・・・



時は変わり現在・・・人々は何を求めて山に入るのだろうか?
もちろん我々は源流マン(自負)であって登山家でも沢師でもない。したがって、
本来の目的はもちろんエノハ釣りである。しかし、私が求めているものは決して
釣り(エノハ)だけではない!だが、釣りという遊びをしに入山しているのだから、
当然物欲一杯で山に入っているわけである・・・その時点で当然修行と言う目的
からは外されてしまうのだが、なんと言っても山で遊ぶのは本当に楽しいものだ!
ただ、厳しい環境である事には変わりがないので、気持ち的には毎回緊張半分、
期待半分といった面持ちで入山している。もちろん、山の神様への問いかけも
忘れてはいけない。「これから山で遊ばせて頂ます事をお許し下さい」と・・・

源流釣りは、それを楽しもうという気持ちがなければ、単なる苦行で終わって
しまうだろう。源流に入る事はその事自体が既に己への挑戦であるからだ・・・
我々は鎖ではなくザイルではあるが、それを操り、滝を登りゴルジュを高巻き
淵をへつり、道無き急斜面を登ったその先の世界に住む原種天然のパーマーク
に出会う事を夢に見る源流マンである!

また、源流で釣りをする時は、たとえどんな場所であろうと常に謙虚な気持ちを
持って入渓する事を心がけているというのは言うまでもない。

そして、私の究極の目標は、古の修験者(山伏)が修得していたと言われている、
山中でも決して迷う事が無かったという山歩きの術と、天狗のようなその脚力を
何時の日にか、己のものにする事である(笑)



さて、これから何回かに渡って「源流への誘い・・・」と題して、源流の思い出、
源流で釣りをする為に必要な事等をUPして行きたいと考えております。

私的に言えば、大海原を眺めながら、山への想いを綴るのは何か可笑しな感じ
さえ致しますが、どうか九州の山を愛して止まない一源流マンの呟き程度にお考え
頂ければ幸いです。そして源流での釣りに興味を持たれた方は、是非この世界
へ飛び込んで見てください!

尚、私は沢登りも登山技術も専門に習った事はなく、すべて独学と我流で、また
ザイルワークに至っては船乗り流を源とし、ひとえに現場での実釣中心で楽しん
できた、ただのヘッポコ源流マンである事を、最初にお断りしておきたいと思います(笑)


平成19年10月吉日(禁漁を迎えて・・・) 


マドロス99



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