エンヤ!エンヤ!の掛声で有名な日本三大くんちの一つ”唐津くんち”です。
唐津神社の秋の大祭として、毎年大勢の観光客や人出で賑わいを見せてくれます。
毎年、11月の2日〜4日にかけて開催されます。
今回は、佐賀に住んで8年にもなるのですが、やっと2回目。大勢でヒシメキ合うので、苦手
なんですが、勇気を振り絞って行ってきました。(でも相当疲れる・・・)
前回行ったときと異なり、開催時間の変更やら場所取りが面倒やらで大変でした。


唐津くんちとは?

唐津供日の曳山行事は通称”からつくんち”と呼ばれ、唐津神社の秋季大祭です。
唐津神社はもともと町田潮ノ先に鎮座していたものを、唐津藩初代藩主寺沢志摩守が唐津城築城のおり、
城内三の丸の現在地に移されたものだそうです。
藩政時代には藩の祈願所として定められ、氏子の自由な参拝は許されませんでした。
旧暦9月29日の供日には曳山を奉納して、城内の神社への出入りが許されたそうです。
祭事の日程は大正に新暦の10月29日に改められ、さらに昭和43年からは10月29日に本殿のみを行い、
11月2日〜4日が祭りの本番と定められ現在に至っています。
藩政時代の唐津町民文化の証として、今でも全国から訪れる観光客を楽しませています。


曳山(ひきやま)とは?

「漆(うるし)の一閑張」という後方で作られており、本体を木組し、粘土の原型や木組の上に和紙を
数百枚も張り重ね、麻布を張り幾種類もの漆で塗り上げ、さらに金銀で施し仕上げたものだそうです。
各町膨大な費用を継ぎ込み、2年〜3年かけて作り上げられたと伝えられています。


曳山紹介


一番曳山
赤獅子
(あかじし)
刀町 文政2年(1819年)


二番曳山
青獅子
(あおじし)
中町 文政7年(1824年)


三番曳山
亀と浦島太郎
(かめとうらしまたろう)
材木町 天保12年(1841年)


四番曳山
源義経の兜
(みなもとのよしつねのかぶと)
呉服町 天保15年(1844年)


五番曳山

(たい)
魚屋町 弘化2年(1845年)


六番曳山
鳳凰丸
(ほうおうまる)
大石町 弘化3年(1846年)


七番曳山
飛龍
(ひりゅう)
新町 弘化3年(1846年)


八番曳山
金獅子
(きんじし)
本町 弘化4年(1847年)


九番曳山
武田信玄の兜
(たけだしんげんのかぶと)
木綿町 元冶元年(1864年)


十番曳山
上杉謙信の兜
(うえすぎけんしんのかぶと)
平野町 明治2年(1869年)


十一番曳山
酒呑童子と源頼光の兜
(しゅてんどうじとみなもとのらいこうのかぶと)
米屋町 明治2年(1869年)


十二番曳山
珠取獅子
(たまとりじし)
京町 明治8年(1875年)


十三番曳山

(しゃち)
水主町 明治9年(1876年)


十四番曳山
七宝丸
(しちほうまる)
江川町 明治9年(1876年)