〜 青海島くじら歴史資料館と海上レストラン 〜




ここ北浦とよばれる沿岸地域は、下り鯨の通路にあたるところで、
古くから寄り鯨を捕らえる機会がありました。
捕鯨の歴史は弥生時代にまでさかのぼるそうですが、海に生き、
鯨によって生かされてきた海の男達(通人:かよいびと)の壮大な物語はずっと後、
江戸時代を前後した辺りから古式捕鯨(網取捕鯨)として語れたそうです。

そして、近代捕鯨がはじまる明治の終わりに、その歴史を閉じたそうです。
(この地の人々は最後まで古式捕鯨を貫き通した)

このくじら資料館では、古式捕鯨と通の漁民たちの歴史を伝え、捕鯨に使用した
道具とその通に暮す人々の姿を映し出しています。


   



古式捕鯨に使われたときの用具(捕鯨、解体用具)です。
古式捕鯨とは多数の船で鯨を網に誘い込み、杜で鯨を突いて仕留めたそうです。
仕留めた鯨を2双の船で挟み込み、陸に引き上げる手法で、300人もの鯨組が組織
されていたそうです。
鯨組は経験深い古老たちを頂点にし、厳格な年功序列型の秩序に守られた組織でした。
通浦には内海と言われる仙崎湾の突端にあり、ここを最初に鯨が入ってくるのがみられ、
この鯨を見張る役を山見といい、のろしをアイズに浜から一斉に船を漕ぎ出したとか。
指揮船、荒手縄船、持双船が一団となって鯨を網に追い込んみ仕留めるまで、鯨と人間の
死闘が繰り広げられたそうです。




鯨の歯だそうです。
歯で作ったパイプや靴べら、一輪挿しなどありました。
捕鯨を営むこの地で持たされる恵みを余すことなく使っていたんですね。


通の向岸寺には鯨の位牌と過去帳が安置され、同寺の隠居所清月庵には鯨墓があり、
捕鯨が過去のものとなった今もなお毎年鯨の法要がいとなまれているそうです。

鯨墓の正面には大きく「南無阿弥陀仏」その下に「業尽有情雖放不生、故宿人天同証仏果」
と印刻されています。この意味は「鯨としての生命は母鯨とともに終わり、
我等の手によって捕らえられたが、我々の目的は、本来おまえたち胎児を捕るつもりはない。
むしろ海中に逃がしてやりたい。しかし、汝(赤ちゃん鯨)独りを海へ放ってやっても、
とても生き得ないのである。どうぞ憐れな子等よ、我々人間とともに人間世界の習慣によって
念仏回向の功徳を受け、諸行無常の諦観というか悟りをもってくれるようお願いする」
ということであるそうです。

鯨によってもたされた恵みへの感謝や憐憫の情が交差する複雑な思い。
時代とともに捕鯨や鯨についての伝承や現存するものが失われつつある今、
こうして伝わる風習が残されていること、受け継がれていくことは大変重要
であると感じます。

青海島にこんなエピソードがあったとは知りませんでした。
もう一度来てみて良かったです。


   



マリンファーム仙崎にある海上レストラン紫津浦(しづうら)です。
ここでは調査捕鯨で捕れた鯨料理があったんですが、
くじら資料館を見たらとても食べれませんでした。
てなわけで、紫津浦定食の梅コースを頂きました。

この界隈で採れる新鮮で旬の魚海類がとても美味しかったです。
昨晩が貧しい食事だったので、昼はちょっと奮発して頼んだのですが、
見た目以上に量が多い・・・。
カツオのタタキが最高に旨かった♪