隈本(隅本とも)」という地名を「熊本」と改名した人は加藤清正である。「隅本」よりも「熊本」の方が勇ましかろうと言う理由だったと伝えられている。

清正の熊本での事業 [編集]

清正が肥後国を治めていたのは、天正15年(1587年)から慶長16年(1611年)の期間だが、朝鮮出兵等もあって実際に熊本に腰を据えていた期間は、実質延べ15年程である。清正以前の肥後は有力大名が現われず国人が割拠する時代が続き、佐々成政でさえも収拾できず荒廃していた。そんな中、清正は得意とする治水等の土木技術による生産量の増強を推し進めた。これらは主に農閑期に進められ、男女を問わず徴用されたが、これは一種の公共工事であり、給金も支払われた為みな喜んで協力したという。

当時としては先進的な測量・土木技術の賜物である。今日の農業用水確保はこの時代の遺稿に頼る面が少なくない。

なお、現在の堀川加藤忠広が着工し、細川忠利で完了。白川と坪井川を結ぶ農業用水路である。

城下町とは