九州民教研2003雲仙集会 「文化と教育」分科会レポート 松田惣一郎(宮崎)

「おしえてよ あおばずく」 〜子どもの中で歌を創る〜

1 はじめに
  私は、小学校低学年を担任しながら、コンピュータの打ち込みを使って童謡をつくる実践を続けている。これまでCDによる2つの作品集を作り、地域の教師、子ども、親に広げてきた。うち2曲は、音楽センター社の「クラスで歌う子どもの歌」シリーズに採用されて、どこか私の知らないところで歌われている。
 ここ数年は、運動会のダンス曲を完全手づくりでつくり続けてきた。昨年度この分科会で報告したが、今年はその続編を報告する。

2 どうしてポップス童謡?
 (2000年大分集会レポート参照)

3 今年もやるんでしょ?
  T小に赴任して4年目。3年・3年・2年ときて、今年は1年生担任となった。同学年の先生は、私より若いお母さん先生二人である。その内一人の先生は、私が毎年運動会の歌を作ってきたことを知っている。しかも学生時代から専門的にダンスをやってきたという方だったので、「先生、今年もやるんでしょ。どんな曲か楽しみです。」と声をかけてくれる。
 どういう偶然か、4年間連続して、同学年で組む人が「ダンスが専門」という人だった。
 実をいうと、私は子どもの頃から、踊るのが大の苦手。運動会のダンスについても、なかったらなかったで、いろんなことがやれるのになあと思ったりする。でも、やっぱり低学年の子ども達は、歌ったり踊ったりが大好きだ。これを腹いっぱいやらせないと、低学年は成り立たない。怠け者の私にとっても、歌作りを続けていく柱になる。そう思っていたので、今年もやることには決めていた。

4 「あおばずく」でいこう
 アオバズクという種類のふくろうが、毎年夏になるとT小にやってくる。渡り鳥らしい。こういう学校は案外多いらしく、インターネットで検索するといっぱいひっかかる。何を好き好んで、騒々しい校庭になんぞやってくるのかと思うが、「大木のうろを巣にする」とあるので、学校か神社しか行き場がないのだろう。この鳥もやはり、環境破壊に脅かされている生き物の一つなのだった。
 丸い大きな目とぐるぐるまわる首が特徴で、高いせんだんの木の上からじっと見下ろしている姿は、見た目にも可愛らしく、子ども達にも人気がある。今年はなかなかやって来ないと思っていると、梅雨の始まるころに姿を見せた。
 アオバズクを歌にしようという気持ちは実を言うと前からあったし、作りかけてもいた。でもそれは、ちょっと物悲しい子守唄やワルツだった。
 そういう鳥が来るとは聞いていた1年生の子ども達も、本当にやってきたのを見るとさすがに驚き、急に興味を持ったようだった。目を輝かせて報告に来るので、これを運動会ダンスの題材にしたらとだんだん思うようになった。

5 書き直してください
 毎年運動会の歌が作れるのも、夏休みがあるからだ。本当は運動会の歌だけではなく、自作集CDの第3作が作りたかったのだ。でもそれも思ったように捗らず、運動会の歌が精一杯だった。
 踊る歌なんだからリズムが大切である。聞いただけで踊ってしまうようなものでないといけない。レゲェだシャッフルだと、あれこれいろいろリズムを打ち込みながら試行錯誤ができるのも、夏休みだからできることだ。作りかけては、聞きなおして捨てたり、そういう事を繰り返して、やっと曲がそれらしくなってくる。
 イントロのベースのパートを木琴で鳴らしてみると、現実にはありえないが、どこかの民族音楽のようなイメージの、変わった音になったので、それを取り入れたりした。
 問題は詞である。アオバズクは南からやってきたとか、日本で夏を越すんだとか、いろいろと調べた知識を盛り込んで書いてみたけれど、どれも1年生の興味関心からは離れている気がする。それより、唐突に表れた面白い鳥に、「どっからきたと?」と訪ねたくなるのが1年生ではなかろうか。そんなことを思っていると、「ねえ、どこからきたの?おしえてよ、どこからきたの?」と問いかける詞が浮かんできた。そこでタイトルも「おしえてよ あおばずく」とした。
 「あの雲はなぜ〜」という、質問だらけの有名な歌があるが、低学年の子どもに詩を書かせると、疑問ばかり並べることが多い。生まれて数年しかたってないのだから、知らないことばかりなのが当たり前だ。
 そんなことを考えながら、夏休み中、曲を書いては消し書いては消ししているうちに、8月下旬になんとか形になった。さっそく同学年の先生と検討会を開いた。基本的にはこれで行こうということになったが、やる気まんまんの若い先生達から、いくつかの注文が出た。
 ダンス曲を打ち込みで作ることの最大の利点は、ダンス曲をどのようにでも注文どおり変えることができることだろう。そのとき出た意見は、「導入部を繰り返して、入場曲の代わりに使ったら」「隊形移動のために間奏のリズムをもっと引き伸ばそう」「その代わり4番を3番に縮めて」ということだった。児童文学が好きなK先生は詞を短くするのに重要な意見をいくつか出した。ダンスの得意なM先生は仮のヴァージョンを聞いて小節数まで細かく指定し、最後には携帯電話で聞いて確かめるまでして、曲を練り上げた。
 夏休みもいよいよ終わるころ、我が家で娘に頼み込んで歌ってもらい、ようやく「おしえてよあおばずく・練習用ヴァージョン」が仕上がった。

6 あおばずくも逃げていく歌声
 振り付けを主に担当したM先生は、さすがに大学でダンスをやってきたという人で、すぐに振り付けを作ってきた。さまざまな面白い動きがふんだんに盛り込まれていて、その先生が踊るととても愉快で面白い踊りだった。
 でもまてよ?相手は1年生である。「これ、踊れるんか?」と不安になってきた。まあ私が踊れないのはいつものことだが・・・。それから、動きを欲張って取り入れすぎているのではないかとも思った。今度は逆注文である。結局、動きを少し簡略化して、まあ基本的にはこの線で行こうということになった。
 私が驚いたのは、テレビでお笑い芸人がやっている「ナンデダロー」という歌の振りや「ゲッツ!」と叫んで両手で指差す動きなどを、巧みに盛り込んでいることだった。「これが子どもを惹きつけるんです。」とM先生が強く言うので、私もそれで行こうという気になってきた。
 そうこうしている内に、新学期は始まった。
 まず歌は子ども達がすぐに気に入った。気に入ったら子ども達は大声で歌う。アオバズクも逃げて行きそうなパワーだ。いつの時でも、自分の歌が、クラス中の子ども達の声で再生された時の感動は格別なものだ。これがあるから、歌作りにはまった。教室に入ってきた校長も、興味深げに聞いている。歌は何とか受け入れられそうだ。
 動きは、・・・、さすがに難しそうだ。でも、ついてきている子もいる。男の子がやや動きが弱いが、「ナンデダロー」と「ゲッツ!」の時は必死でやろうとしている。なんとかなるのではないか、そんな見通しが見えた新学期のスタートだった。

7 自分達の歌声にのって
 練習も佳境に入ってきたころ、恒例の歌声収録となる。場所はパソコン室特設スタジオ。我が家から運び込んだ多重録音機。全員の歌声だけでは歌詞が聴き取りにくいので、歌の「芯」を作るために、選抜メンバーを選んでミックスする。それが例年のやり方だ。
 日頃から歌いこんでいるだけに、スムーズに収録。一時間もかからずに録り終わる。でもこんなときだからこそ馬鹿なミスをしたのだろう。次の日聞いたら、なんと無音。保存し損なっていた。そんな訳で、子ども達には申し訳なかったが、選抜組で録り直し、やっと本番用の歌声ができたのだった。
 自分達の歌で踊る。表現の発表の中でこれこそ究極の形ではなかろうか。どうせやるなら、そこまでやりたい。運動場で自分達の歌が流れ、子ども達は暑さに負けず練習を続けた。
 そんなある日、運動場のせんだんの木から、大きな鳥が飛び立って南から北へ運動場を横切った。それがなんの鳥かは確認できなかったが、子ども達は、「アオバズクが見にきたんだ」と言い出して一気に興奮が高まった。そうした中で、いよいよ本番を迎えた。
 去年から予行練習がなくなったので、本番での緊張度も、始まった時の会場のどよめきも、予行があった時より高い気がする。曲が始まると、どよめきがサーッと広がり、始まりのユーモラスな動きに笑い声が湧いた。動きは不ぞろいだけれど、表情はいいし、何より下半身がリズムに乗っている。それが大事だ。
 大きな拍手を受けて、子ども達は満足そうだった。

8 まだ踊りたい
 運動会が終わっても、相変わらず子ども達は、「あおばずく」を歌い踊っていた。でも、私達はしばらく「あおばずく」の熱を冷ますことにした。それは、国語、算数が大事なところに入っていたためもあるが、1ヶ月あとに、もっと大きな舞台が控えていたからである。
 町内には小学校が4つ、中学校が1つある。それらの学校が一堂に会して発表会が行われる。「ふるさと学習」というテーマで各学校工夫を凝らした発表をするのだが、今年の本校の出し物を担当者から投げかけられた時、私の頭の中には、(この「あおばずく」も面白いかも…)という思いはあった。ところが、後で聞いてみると、同学年の先生もそう思っていたという。なんだ、それならやっちゃおうか、という空気になってきた。
 忙しくはなるが、仕事は暇だからいいというものではない。あまり意味のない忙しさが嫌なのであって、やっている自分達がやりがいがあり、子ども達のためにもなるのなら、やってやろうという気持ちを教師は持っているのである。家庭を抱えた超多忙なお母さん先生達だったが、面白いからやってやろうということで一気に決まった。
 ただ、しばらくほとぼりを冷ました方が、子どもたちの新鮮な気持ちが失われないから、直前にバアーッと仕上げようと言うことになった。
 それでも子ども達は、かまわず歌い踊っていた。

9 千人の前で
 発表形式は基本的に全員ダンス。音楽は運動会で使った歌声をバックに、マイクでソロ。それを次々に歌いつなぐ。これは、私が数年前から取り入れている形式で、「カラオケ・リレー方式」と名付けている。全員で歌いながら踊らせるとどうしても声が出ない。それならダンスを主体にして、歌はカラオケみたいにソロや2人ぐらいで歌わせたらどうか。全校リレーがあるなら、全校代表歌手がいてもいいだろうというのがもともとの発想だった。歌謡ショウみたいで盛り上がる。発表はほとんどしない女の子が志願することもある。「モーニング娘」のようになりたいのである。
 千人の前でリハーサル無しだから不安は大きい。でも、小さな子ども達で一番怖いのは、退屈させることである。収拾がつかない。それは私達が経験していたことだ。それよりは出した方が緊張感があって締まるのではないか、私はそう見ていた。
 結果としてこれは正解だったと思う。小さなトラブルはあったけれど、子ども達は楽しみながら大役をこなしてくれた。

10 CDは出ますか?
 この発表会の午後に、私が教えた子のお父さんという人から、「あの歌のCDは出ますかね」と真顔で話しかけられた。去年、PTAのバザーに面白半分に出した、これまでの運動会のダンス曲を集めた「マキシ・シングル」を持っておられて、今年も出してほしいとおっしゃるのだった。他にも何人かそういう話を聞くようになり、職員の中には「予約」などという人もいたので、30枚を目指して作り始めた。しかし実際にはバザーに出す前には売れて半分になってしまい、十数枚しか出せなかった。話では10分もしないうちに完売したということだった。
 私がどきっとしたのは、値段を300円にしたためか、子どもが自分の小遣いで買って、ニコニコと持って帰るのを見たときである。教師が小学生児童に物を売ってよいのだろうか? まるでおもちゃでもゲットしたかのように嬉々として帰る姿を見て、私は一種複雑な思いにかられた。
 けれどもそれは、カードやお菓子並に、子どもの心を捉えたということでもあったのだろう。その表情には、作者は先生だとかいうことはもうどうでもよくて、とにかく好きな歌を手に入れた得意げな喜びが浮かんでいた。

  11 リバイバル・ヒット
 それから、今現在まで、その4曲が1年生の各クラスで急に歌われだした。特によく歌われたのは「ねこの赤ちゃん 見ちゃだめよ」という曲である。それは3年前の3年生のダンス曲だったのだが、描いている世界が1年生の心をつかんだのだろう。それから、2年前の3年生のダンス曲、環境問題がテーマの「地球のそうじやさん」もよく聞こえてくる。
 何人かの関心の強い子は、それぞれ勝手に振りをつけている。よそのクラスに行くと、そこではまた別の振りがつけられて歌い踊られていた。
 音楽センター社が、新曲があったら、来年の「クラスで歌う子どもの歌」の選考会にかけるから送れと言ってきたので、楽譜を送った。その時に、私は、子ども達の歌声に後押しされて、この4曲が今も歌い踊られている事を書き添えた。




九民研2000 「教育と文化」分科会レポート

子どもに一番近い所で歌を作る

報告者:松田惣一郎(宮崎県)
@なぜ 「ビートの効いた自作童謡」なのか



  私は今、小学校で学級を受け持つかたわら、コンピュータを用いた童謡を自作しています。民教連宮

崎の事務局に所属する以外、どのサークルにも所属していない私にとって、これはいわば「一人サーク

ル活動」です。

  私は、歌作りは古くから趣味として時々やっていましたが、専門の音楽教育を受けたことはありませ

ん。鑑賞やギターが趣味で、ギター伴奏で子どもたちと歌うことはありましたが、1998年の秋から、コ

ンピュータを使っての歌作り活動に本格的に取り組むようになりました。

  その直接的なきっかけは、当時1年生を受け持っていた私に偶然まわってきた、音楽大会の研究授業

です。その授業で使う曲を、覚えたてのコンピュータ・ミュージックで使って作った所、子ども達が予想

以上に好んで歌い、私は大きな可能性を感じたのでした。

  私は以前から、今の音楽教育に色々な点で疑問を感じていたのですが、それは詳しくなりすぎるので

ここでは述べません。ただ、ひとつ言えることは、子どもたちは今の教材曲に飽き足りなくなっていま

す。1年生の子どもたちは生まれつきテレビなどで流れてくるビートの効いたサウンドに慣れ親しんで

いるうえ、保育園ではのりのよい様々な歌を歌ってきていますから、教科書の歌では後戻りしたような

つまらなさを感じるようです。特に、4ビート、8ビート、16ビートなどの、アメリカのジャズや

ロック系のリズムは、今歌われている日本語の歌の中に深く入り込んでおり、これを避けて通ることは

できないと思っていました。しかし、歌詞の不適当な流行歌を、生のまま音楽教育に使うことは乱暴で

あると思ってきました。

  ところが、1997年に、久しぶりに6年生を受け持った時、子どもたちは、はやりの歌に予想以上に

どっぷり浸かっていることを感じました。私は感覚のずれを感じました。この年は私の教師生活でもっ

とも子どもたちとのすれ違いを感じた年でした。はやりの流行歌を毎日歌いたがる子どもたちを、歌詞

が適当でないと拒否しました。

  私は今でも、子どもたちを取り巻くマスコミ文化を無批判に取り入れていくことには抵抗がありま

す。けれども、ビートに乗った歌の心地よさは、私自身も愛好者の一人であり、十分に共感できます。

その年の冬、マスコミ文化を大胆に取り入れて成功している京都の今村克彦氏の実践を知り、いろいろ

考えさせられました。

  そして翌年に1年生を持った時、後打ちのリズムとブルースの旋律を取り入れた簡単な合奏曲「子ど

ものためのブルース」を研究授業として提案したのでした。さらに、クラスで起こった事件を歌い込ん

だレゲェ調の曲「だってひみつきち」を作り、私は、「ビートの効いたサウンドにのって子どもの生活や

感覚に近い詞を歌い込む」というコンセプトで曲作りに踏み出したのです。

  さて、音楽は作る側と演じる側が完全に分かれている世界です。素人が自分の作った歌を子どもに歌

わせるということは、ある意味では危険なことです。私はそのことはいつも肝に銘じています。そのた

めもあって、有名曲も同時にたくさん歌わせました。

  ただどのようなプロフェッショナルも、学校の現場から遠い場所で作っています。日々子ども達と接し

ている教師が作るという点で、私の歌も充分存在価値はありはしないでしょうか。私は、子どもにいち

ばん近い所では作っているのだと思いながら作り続けました。

  

A 作品集「ぽろろんぱ」の完成とその後の反響



  こうして、一年生の学級作りや音楽の授業と結びついた歌を作っては、子どもたちと歌ったり、周囲

に配ったりしているうちに、作品集としてまとめてみようということになりました。そこでできあがっ

たのが1999年秋の「ぽろろんぱ」です。昨年度のこの分科会で紹介した作品です。

  作品を形にしたことで大きな変化がありました。

  まず、CDという形態にしたので、簡単に選曲できるため、子どもに大変扱いやすくなり、一年生で

も休み時間に好きな曲をかけて歌えるようになりました。押し付けがましくない形で親しまれるように

なり、私もどのような曲が親しまれるのかよく分かりました。躍動的なビートを持つ曲は、元気な子ど

もたちの心をとらえ、振りを作る子どもたちも表れました。

  また、予想外に、親に広がっていきました。その反応は、作者である私を励まし、刺激し、勇気づけ

るものでした。意外にも歌詞に対する反応が大きく、学校現場から歌を書くという私の気持ちを結果的

に支えてくれるものでした。

  また、私の知らない他校での実践とその報告も、私を刺激し、さらに歌作りに励みました。



B 「あたらしい春」で踊りながら一年間を振り返らせる



  今年の春、私が勤めていたK小学校の「かがやき集会」で、一年生を元気に歌い踊らせる曲が必要に

なりました。ダンサブルでありながら、一年間の思い出を振り返るしみじみとした情感を持ち、そして

新学年進級を祝う意味もこめた歌、そんな歌を作りたいと思いました。

  いつもの作り方とは違って、私はコンピュータにまずリズムから打ち込んでいきました。子どもたち

の跳びはねる姿を想像しながら、リズムトラックを先に作りました。それからシンプルで歌いやすいメ

ロディを考え、同時に一年間を思い出しながら歌詞をのせていきました。



   新しい春(おぼえているでしょ)



おぼえているでしょ みんながであった 4月の日のことを

しらないあいだに みんなのなまえを おぼえてしまってた



わすれてないでしょ すいとうぶらさげ あるいたあのみちを

かえりののはらで だれかがならした カラスノエンドウ



おぼえているでしょ 小さなたねから ぽこっと出たふたば

さむくてふるえて さっさとあがった 雨の日のプールも



わすれてないでしょ ともだちたずねて あるいていったなつ

はじめはうれしく あとからちょっぴり さびしいなつ休み



  あれからきせつは めぐり ふくかぜもかわった

  ときにはかなしい ことも あったりしたけれど

  

  (DANCE 8小節)

  

おぼえているでしょ りょうてにいっぱい ひろったどんぐりを

いろんなかたちの きれいなはっぱで つくったようふく



わすれてないでしょ みんなでうたった だいすきなあのうた

あのこのまねして みんなでおどった たのしいあのダンス



おぼえているでしょ ザクザクつぶして あそんだしもばしら

ボールをおいかけ ころんでたおれて やっときめたシュート



わすれてないでしょ こんなにちかくで あそんでたかもたち

あたらしいはるが まちどおしそうな 林のとりたち



  それから きせつはうつり さく花もかわった

  きびしい さむさのあさも あったりしたけれど

  

もう春だよ

あたらしい春だよ



  この歌に、一年生の子ども達の動きを大いに取り入れながら振りをつけました。子どもたちは振りをつ

けると歌がおろそかになりがちです。そこで思い切って踊りの方を中心にして、歌はワンフレーズごと

に交代で、マイクに向かってソロで歌わせました。子どもたちは歌詞を口ずさみながら楽しく踊りまし

た。



C 転勤による新しい環境の中で



  さて、作品集の第2作をめざして曲を作り続けていた今年の春、私はT小へ転勤となりました。そこ

は郡部の学校で、自転車党の私も観念して、とうとう車の免許をとることになりました。

  受け持った学年は3年。それはよかったのですが、音楽は専科があるので教えなくてもいいというこ

とになりました。新天地でと意気込んでいた私は、少々出鼻をくじかれた思いでした。

  けれども、素直な感性を持ったT小の子どもたちは、「ぽろろんぱ」の歌の数々も抵抗無く歌ってくれ

ました。月の歌になった「あいさつしよう」を大好きだと語り合う6年生の女の子達の会話を偶然耳に

した時、新しい意欲がまた湧き起こってきました。そうしている内に、いくつかの新曲の構想も浮かび

ました。けれども、夏完成を目指していた第2作は、先に延ばさざるをえませんでした。



D 「ねこの赤ちゃん 見ちゃだめよ」で楽しくダンス

  2000年の夏は私は運転免許の取得に明け暮れました。それでもいくつかの歌は作り続けました

が、8月31日にようやく免許を取った時には、運動会の練習がもう目前に迫っていました。

  私は、夏に作った歌の一つを、同学年の若い女の先生に聞かせました。「ねこの赤ちゃん 見ちゃだめ

よ」というその曲は、私の生活から自然発生的に生まれた歌で、動物愛護という以外にはさしたるテー

マもない他愛ない歌ですが、私自身は気に入っていました。ただ、運動会用にということは考えていま

せんでした。「これ、いいんじゃないですか」とその若い女の先生は言いました。その先生は大学でダ

ンスをしていたとかで、素直な感性を持った方でした。振り付けを考えてもらったのですが、若い感覚

の斬新な振り付けでした。

  これが予想以上に子どもたちに受け入れられたのです。以下は、私の学級だよりからの抜粋です。



  私は、運動会はダンス嫌いを作っているのではないかと思える時があります。短い時間で見栄えのよ

い踊りにするために、たくさん踊らせているうちに、つい子どもがうんざりしているのに気がつかず

走ってしまう、そういうことがありはしないでしょうか。

  ほとんどの子ども達は、本来、踊るのが好きです。私達担任は、話し合って、子どものそういう気持ち

が失われないように気を付けながら指導してきました。もし、ご家庭で、子どもがダンスについて生き生

きと話し、時には歌ったり踊ったりして見せているなら、私達の努力も少しは実を結んでいるというこ

とでしょう。(中略)

  もし、運動会が終わってもまだ子ども達が「ねこの赤ちゃん」 踊りたいね、歌いたいねというなら、私

達の願いは達成されたものということになります。

  思い切り歌える、踊れるという活動は、スカッとした子どもを作ります。思い切り走り、思い切り叫

ぶということもです。いじめ予防や学習意欲ともどこかでつながっているように思えます。そういう運

動会であってほしいですね。



  この歌は昼休みも踊られ、運動会が終わっても「10月の歌」に採用されて、その振り付けととも

に、特に低学年児童の間に広がっていきました。この歌にはどこかに一年生担任の心がありました。

    

E そっぽを向かれたオジサンの歌



  さて、「ねこの赤ちゃん 見ちゃだめよ」に続いて子どもたちに問うた新作は、マイナー調の

「いつかぼくらも旅に出る」でした。これは大分からの帰り道に日豊線の電車の中で詩を書いたもので、

ちょっと背伸びして高学年的な感覚でした。一年生担任時代は遠ざかり、作るものもやや上の学年向き

のものへと変化していきました。その中で生まれたこの曲は、アニメ主題歌にでもありそうな、ちょっ

と物悲しい、そして適度に通俗的な作りで、きっと子どもたちは歌ってくれると思いました。



  いつかぼくらも旅に出る  

  

いつかぼくらも旅に出る

空がやさしく澄んだ日に

山がまぶしく光る日に

きっと旅に出る 



いつかぼくらも旅に出る

海がそうっとゆれる日に

森がひっそりねむる日に

きっと旅に出る  



  さがそうよ

  見つけようよ

  どこかにあるよ

  

  だれかにとっては

  何でもなく

  ぼくらにとっては

  かけがえのないもの

  さがしに行くんだ



いつかぼくらも旅に出る

街が小さく見える日に

旗がゆっくりなびく日に

きっと旅に出る



いつかぼくらも旅に出る

きのうを遠くに思う日に

明日を間近に思う日に

きっと旅に出る



  さがそうよ

  見つけようよ

  どこかにあるよ

  

  だれかにとっては

  何でもなく

  ぼくらにとっては

  かけがえのないもの

  さがしに行くんだ



  ところが、子どもたちの反応はさんざんでした。「おじさんの歌いそうな歌じゃ」「父ちゃんのきい

ちょる『太陽にほえろ』ににちょる。先生、パチったっちゃねえ?」などと言われ、私は苦笑してしま

いました。どうもこの子どもたちの感覚には合わなかったようです。

  一つには歌詞の雰囲気が子どもの感覚から遠かったためではないかと思います。「おまえたちもいつ

かは旅立つんだなあ」という感慨は教師のもので、3年生の子どもたちには理解出来ない唐突な詞だっ

たのではないかと思います。

  ところが一人だけこの歌を気に入った子どもがいたのです。それは、施設で生活するD君でした。D

君は「先生、こん歌はおれ気に入ったあ」と何度も私に言いにきました。そして、昼休みも一人、何度

もこの曲をかけながら歌っていました。

  D君は、ずっと両親に会った事がありません。「お父さん、お母さん早くきて。ぼくはずっと待って

いる。」という詩を書く子どもです。なぜ彼がこの歌に強く反応したか、私はそれが、彼の境遇と無関

係ではないと思いました。

  私はこの歌を、何年か先にこの子どもたちに歌ってもらおうと思っています。D君のようにこの歌に

何かを感じてくれる子どもが、きっと増えるのではないかと思うからです。



F 歌作りから見えてきたもの



  「ビートの効いたサウンドにのって、子どもに一番近い所で子どもの歌を作る」という私の試みに対

するはっきりとした答えは、まだ出たわけではありません。こういった試みがうまくいくかは、作者の

才能しだいで、広い文化運動にはつながらないのかもしれません。

  けれども、文学作品としても教材としても今なお輝きを失わない、新美南吉や宮沢賢治の童話も、教

育の現場と結びついて出たものでした。その周りには、創造的な教師が大勢いたことでしょう。文化の

峰は広い裾野がないとそびえないでしょう。日々、子どものそばにいる教師が、文化の創造者となって

子どもと向かい合うことは、子どもの創造意欲を触発せずにはおきません。「歌はだれかが作っている

んだ」。この発見は子どもを刺激しました。「僕達のことを歌った歌だ」という思いは、子どもを引き

つけました。一年生のあやかちゃんは、夕日を見て感動し、日記にこう書いてきました。

 

        夕   日

  にっきをかこうとして、わたしはいすにたってまどをのぞきました。

  夕日がきれいでした。ぜひみんなに見せたかったです。

  わたしは、うたをあとでかきたいとおもいます。

  わたしは、ゆうひがしずむころ、まどをもういちど見ました。

  夕日はしずんでいました。   



* ああ、そのこころ・・・。そのこころがたいせつだ。                                                     

   おとなになってもわすれるんじゃないぞ。



子どもたちは大量のマスコミ文化に取り囲まれています。その中には、有害なものもあります。けれど

もそれを全て否定してしまわず、感覚を柔軟にしてそれを吟味し、共感できる所は共感し、大胆にして

用心深く教育に取り入れていくことが大切と私は思います。私はさらに一歩進んで、文化の再構成者、

創造者として子どもたちに向かい合い、子どもたちにいちばん近い所で歌を作り続けていくつもりで

す。





もくじ