中世の海と松浦党 本文へジャンプ
松浦党     イメージ

 遠流康平5(1062),朝廷に反抗し、前九年の役で破れ捕虜となった名将軍、安部宗任が京都にのぼらされ、後に1067年、力量を期待されて太宰府に移管される。安部宗任と源久の娘・真百合との間にできた子が松浦氏の祖となり、松浦党の主力をなす各氏に分かれたという。松浦党は、必ずしも血縁だけの集団ではなく、源久を元祖とする各氏が松浦党の中核であって、基本的には各氏平等の原則がつらぬかれていた。

    (写真は平戸城)
 
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