スピリチュアリズムを知る実践の歩み



−スピリチュアリスト日記より−


いったん神の摂理に関する知識を獲得したら、それを実践するごとに霊性が生長し、進歩します。進歩は永遠に続きます。なぜなら、完全なる霊性を成就するには永遠の時間を要するからです。
−シルバーバーチの霊訓 4・74−



「シルバーバーチの霊訓」から霊的真理を学び、日常生活で実践し、心を、魂を成長させて永遠の幸せを得ることが地上人生の目的です。

 私たちがスピリチュアリズムと出会って20年が経ちました。その間、様々な体験を経て少しずつですが心が変化してきました。今あらためて過去の自分と比較して見ると、明らかに違った自分たちがいると確信します。
 違いが感じられることは本当にうれしいことです。なぜならその違いが心の成長であるなら、その成長した分だけは霊界に持っていける宝となるからです。 

 日々の体験・感想等はスピリチュアリスト日記に綴っています。この日記はスピリチュアリストとしての私たちの足跡そのものですが、以前のものは過去ログに入ってしまっています。それで今回そこから数編(2002年からの記録の抜粋です。それ以前のものは余り古いのでカットしました。)を選び、私たちの実践の歩みとして新ページを作りました。

 スピリチュアリズムと出会わなかったら、シルバーバーチと出会わなかったら、現在の私たちはありません。自分を役立てたいというボランティア精神は持てたとしても、その思い・行為を最高に価値ある次元まで高めることはできませんでした。もちろん自分を変えることなどできなかったと思います。

 これからもシルバーバーチが語っているように、完全を目指す努力は続きますが、今、私たちをここまで導いてくださった神様と守護の霊に心から感謝しています。             

−2005・6・20−


スピリチュアリズムFukuokaCircle


S・S


道しるべの言葉
 私にとっての悩み苦しみはいつも人間関係にあります。悩みの原因が自分自身だけに関わることであればどれだけ楽なことかと思います。意識を自分だけに向ければ解決するからです。でも人間関係は違います。常に相手がいます。また、1対1ばかりでなく、職場・グループなどでの複数の人たちとの関わりもあります。私はそうした回りの人との間で自分を表現することが苦手でした。ただ、スピリチュアリズム・霊的真理を知る前は自分にとって嫌なことは避けることができましたから、人間関係がこれほどの苦しみになるとは思ってもいませんでした。
 シルバーバーチの霊訓と出会い、スピリチュアリズムを知って「いざ、実践」という時から、私の本格的な悩み苦しみが人間関係から始まりました。相手に何を言ってもストレートに自分の気持ちが伝わっていかないジレンマ、次は何を言われるかと、いつも相手の言葉や行動に神経をとがらす自分に対するやりきれなさ、お互いが理解し合うことの難しさに突き当たりました。いったいどうすればよいのか、思い悩みました。手も足も出ない状態の中で、自分の心がだんだん小さくしぼんでいくのが分かりました。そんなとき、シルバーバーチの次の言葉を見つけました。

「他人がどう言っているか、どう考えているか、どうしようとしているか、それはあなたには関係ないことです。大切なのはあなた自身が何を述べ、何を考え、何をするかです。神はあなたに他人の行為や、言葉や思想にまで責任は取らせません。」           (シルバーバーチ 9−98)

 大事なことは自分自身の行為であって相手云々ではないのです。必要以上に相手にとらわれていた自分を反省しました。もちろんこれですべて解決したわけではありませんが、出口の見えない迷路をさまよっていた感のある私には、導きの灯りとなりました。
 私にとって道しるべの言葉です


厳しい愛こそ本物の愛
 
 私はこれまであまり人に厳しく言うことはありませんでした。正確に言えば厳しく言うことができませんでした。仕事で責任を任せられる立場にいたこともありますが、その時も本来は責任ある者として厳しく言わなければならないのに言うことができず、結局はメンバーを引き上げることができなかった経験があります。私はそれを「自分には力がないから、未熟だから仕方がない」と自分なりに理由をつけて気持ちを整理していました。

 でも心の片隅では「それはもちろん力のなさもあるけれども、無責任と言えるのではないか」という“悔い”のような思いもありました。そしてその“悔い”は私の中でずーっと尾を引いてはいても、自分ではどうしようもないまま相変わらずの一見人当たりのよい人間関係を続けてきました。

 「これを言うとこの人は傷つくかも知れない」「それにこれは私だけが思うことかも知れない」などと自分で自分を納得させ、回りの人に厳しいことを言わないようにしていました。それを自分では一生懸命相手を想いやっている、相手を愛していることだと思っていました。しかしそれは一見相手を想いやっているようで、実は相手のことなど思ってはいないのだということに最近ようやく気がつきました。    

 それはある人から厳しいアドバイスを受けたことからわかりました。その時自分自身が厳しいアドバイスを受けても何ら傷つくことはなく、むしろ自分が良い方向に向けて成長できるきっかけを与えてもらったのだという感謝の思いがわいてきたからです。 そのときはっきりと私の愛は「自己愛」だったのだということがわかりました。要するに自分自身が傷つきたくないだけだったのです。相手を思っているようで相手をだめにしてしまっていたのです。

 シルバーバーチの霊訓に − 「論争を避けて大人しく引っ込んだり、妥協したり、口先をごまかしたりすることなく、いかなる犠牲を払っても真理は真理として守り抜くという覚悟ができていないといけません」(最高の福音・254) − とあります。

 厳しさは優しさの裏返しです。本当に相手を思うからこそ厳しい言葉がでてくるのです。
 私は今、霊的真理を実践していくスピリチュアリストとして相手を心から想う真の愛を持つためにも、もっと回りの人たちとの関わりを密にしていくと同時に、自分自身に厳しく内省的になろうと決心しています
日々の真険な姿勢の大切さ
 私はあるスピリチュアリストの話を聞いてとても感動しました。その人はスピリチュアリストとして真摯に霊的真理を実践している人でした。私は話を聞いてその人の真理に対する姿勢が、真剣で純粋であることにとても心うたれました。常に神さまと守護霊に意識を向け、何をするにしても真理普及を祈りながらしているというその姿勢に感動しました。

 人に霊的真理を語るとき、口先だけではなくその人自身の心からわき出たものでなければ相手は感動しません。そのためには常日頃からの霊的真理に対する純粋な姿勢、真理にしっかり添わせた生き方が、本当に大事なことであることをあらためて教えられました。

 自分も常に神さまと守護霊に心を向け、霊的真理を伝える純粋な道具となるためにもっと努力しよう、そして自分自身の姿勢から相手に感動を与える者となろうと決心しています。

「道を見失った人々があなた方を見て、光明への道はきっとあるのだと感じ取ってくれるような、そういう生き方をなさってください。」 −シルバーバーチ 愛の力 7 −

 この言葉が現在の私の目標です


欠けている部分を補う
 映画やテレビなどを見て、人はよく感激して涙を流すことがあります。でも、私はどちらかといえば「感動的な場面」といわれるシーンを見ても、あまり感動する方ではありませんでした。全然感動しない訳ではありませんが、感激度100%の人と比較すれば30%ぐらいでしょうか。よくいえば「さっぱり」「クール」、悪くいえば「鈍感」でした。

 人生の目的は魂の成長、つまり心を成長させることです。心にはいろいろな働きがありますが、何かに感動したり、喜んだり、悲しんだりする、いわゆる「喜怒哀楽」の情も心の働きです。心の要素・働きは他にもありますが、心の成長とはこうした要素・働きがバランスよく調和を保って大きくなることです。

 私にとって心を成長させる歩みが始まった時、心全体が幼く、また先に上げたように情的な部分も欠けていました。心を大きく深くしていくには当然この欠けている部分を補っていかなければなりません。前に私の悩み・苦しみは人間関係から始まったことを書きました。その時は訳も分からず、ただ「苦しい」だけだったのですが、今振り返ればそれらは私の心に欠けているこの「情」を補っていく上で必要不可欠であったのです。

 人間関係は「愛を正しく与え、正しく受ける」ことです。それがスムーズにいかないために苦しみとなりました。地上は愛の訓練場です。現在ももちろんその訓練の途上ですが、欠けていた情の部分はこの「愛の訓練」を通して少しずつ修正されてきました。やたらに感動することがいいことではありませんが、少なくとも以前に比べ自分を犠牲にして働く人たちを見て、また誰にも知られない所で人々のために尽くしている人たちを知るにつけ、我知らず感動することも多くなりました。
相手を正しく理解するために
 相手を理解することは正しく愛するために必要な第一歩です。
しかし、正しく理解することは本当に難しいことです。なぜならそれは相手の心の動きを知ることができなければならないからです。母親は子供の心の動きがよく分かります。子供が幼いほど、今何を考え、何を要求しようとしているのか的確につかむことができます。それは母親がいつも子供のすべてを理解しようとしているからです。子供とのかかわりあいが深いからです。

 そう考えていくと私のこれまでの相手との関わりは本当に浅い、表面的なことに終始していたことに気づきました。私が相手を理解していたと思っていたことは、本当はその人の表面的な部分に過ぎませんでした。私の理解はいつも自分なりの尺度、自分なりの判断であったのです。

 相手を正しく理解するためには、相手との関わりをもっと深めていかなければならないことを痛切に感じました。もっと率直な意見を互いが言う必要性も同時に思いました。相手が物事をどのように考え、感じているかを正しく知ることも、相手を理解する上でとても大切なことだからです。

 さらに私は相手の心の動きにもっと敏感になっていこうと決心しています。相手の繊細な心の動きをキャッチするには、心のアンテナを張り巡らせて常に緊張感をもった生活が必要です。緊張感のある生活とはただ相手にとらわれることではありません。自分の心に霊的エネルギーを満たし、霊的真理にしっかり添わせた生活のことです。そうすることで初めて霊的真理を人間関係において活用することになり、正しい愛の努力ができるのです。本当の愛を深めていくことができるのです




T・S

霊的意識を持つ
 「かくして人間は地上にあっても霊的存在であり物質的存在ではないこと、すなわち身体を具えた霊であって、霊を具えた身体ではないということを自覚することができます。」 〈シルバーバーチの霊訓・1−145〉

 地上で肉体を持って生活していると、こうした感覚は薄れてしまいがちです。地上生活のことにかかわればかかわるほど、意識の中心が肉体に偏ってしまうことを毎日のように実感しています。
 シルバーバーチの霊訓を読めば、しばらくの間は霊的意識が持てたとしても一旦、仕事などこの世のことに携わると、いつのまにか肉体的な意識によって地上的、この世的な判断をしてしまいがちです。ちょっとしたトラブルでもあると、それに振り回されそうにもなります。何かきっかけがない限り霊的意識を取り戻すことはありません。このように地上で肉体をもって生活をするということは、本当に大変なことだとつくづく感じています。
 霊的意識・霊的視野を少しでも持てるようにするためにも、常日頃からシルバーバーチの霊訓を読み、そこに書かれていることの一つ一つを実際の生活の場で活かしてゆかなければならないと思っています。そしてそれこそがスピリチュアリズムを実践することということなのです。けっして簡単なことではありませんが、こうしたことの繰り返しによってスピリチュアリズムの霊的真理を少しづつでも自分のものにしてゆきたいと思います。



心をつくる
 最近、自分自身の心と霊性について真剣に考えたことはありませんでした。
 日常で人を正しく愛せないとき、苦しくなってはそれを心の片隅に追いやって、時間が経てばきっと解決するだろうと思っていました。霊的真理を真剣に求めていなかったのです。心の底から真理に向かう気持ちがなく、重く暗いこころを引きずったままだったのです。

 本当は一刻も早くこの真理を思い起こし、その心を一蹴しなければいけなかったのです。
「疑念が生じた時は、精神を統一して物質界の喧騒から逃れることです。」

 心を開き身体をリラックスさせ、素直な気持ちで精神を統一してゆく。つまり祈り・瞑想を通してしっかりと自分の心を作っていかなければならなかったのです。いつも暗いマイナスに向かいがちな自分の弱い心を、祈り瞑想を通して明るいプラスの方向に向けていかなければならなかったのです。苦しくなればなるほど「どうか人を正しく愛する力をお与え下さい。」と、何度も祈り求めてゆかなければいけなかったのです。

 とかく考えれば考えるほど下がってしまいがちな自分の弱い霊的力を引き上げるには、祈り・瞑想が本当に必要であったことに気づき反省しています。
霊的真理にしがみつく
 つい最近、今までの自分があまりにも霊的真理そのものから、意識が遠ざかっていたことにやっと気づきました。

 これまでは、どちらかと言えば仕事中心で、半分仕事に振り回されながら、霊的真理で心を整理することもなく生活していました。また、たとえ真理を読むことはあっても、ほんとうにその時だけの真理で、本を閉じればすぐその場で頭から消えてしまっていました。その状態で仕事を続けていると、結局、物質中心になってしまい、読んだ真理が何だったのかも分からない状態でした。

 これではいけないと思いました。それで最近、仕事中でもすぐ思い出せる真理を必ず一つは持っていなければと思い、取り組んでいます。仕事中、何かの時にパッと思い出せる真理を・・・。それで、自分に残ったものがあれば紙に書いておくようにしようと思いました。でも、いつも頭の中でぐるぐる回るだけでなかなか深くなっていかないときが多いです。自分でも、どうしてそこから深くなっていかないのだろうと思ってしまいます。

 仕事中思い出せるのは、一瞬また一瞬の繰り返しですが、継続してゆけば自分も少しは深い気持ちになれるかと思ってやっています。

 霊的真理にしがみつくことです。(シルバーバーチ 9−60)

 今、シルバーバーチのこの言葉を実感できるように努めています。


真剣さと厳しさ
 今まで、私の霊的真理に取り組む姿勢には、いつも‘甘え’がありました。真剣さ・厳しさがありませんでした。そのため、最も肝心なところで踏ん張る力がなかったのです。中途半端な決意では、絶対に乗り越えられないのに、それに気づくことなく自分の弱さに流されていました。そうした気のゆるみが、‘心の甘え’‘決意の甘さ’となって、現れていました。

 人から、優しい言葉を掛けてもらうことだけを期待し、それで自己満足しようとしていたのです。ただ、心地よい言葉だけを求めて、弱さと闘う気持ちが足りませんでした
 本当は、厳しさこそが必要でした。霊的真理に添わせるためには、自分の生半可な気持ちにムチを打つ厳しさがなければ、決して弱さを克服することはできないことに気づきました。自分の方から厳しさを求めていくくらいの気持ちがなければ、自分を変えることは出来ないし、そのために、本気で力を振り絞らなければいけない。これまで、そのことを真剣に考えずにいました。

 これから、“真剣さ”“厳しさ”を自分の心に何度も言い聞かせ、時あるごとに霊的真理で「グッ」と、心を引き締めて向かって行きます。

熱意を持つ
 霊的真理を読む機会と、自分の内面を見つめ直す時を、最近多く持つことが出来るようになりました。自分の弱いところ、足りないところを具体的に知って、それをどのようにして乗り越えるべきかを「霊訓」を毎日読んで確認し、決意を新たにしています。

 それで実際、心が大きく揺れ動いているのを手に取るように感じながらではありますが、少しづつ、その心が変わってきたように感じています。それは、今までは苦しみと感じていたことの中に、喜びを見出すことができたからです。そして今回、真理を読みながら、更に自分の足りなかったところに気づきました。それは、この霊的真理を「一人でも多くの人に知ってもらいたい」という思いでした
。仕事上で、人と出会ったとき「あっ、この人に伝えなければ・・・。ひょっとして時期の来た人かも知れない。」と、思うときはあっても、実際に真理を伝えるというところまで実行できたことは、少なかったです。“熱意”が不足していました。自分が、人に伝えたいという思いがもっと強ければ、時期の来た人と出会えたかも知れないし、そのチャンスにも恵まれていたかもしれません。人と出会う機会は、仕事以外にもあるのですから・・・。

 これから、自分自身の内面をしっかり見つめ反省しながら、同時に「一人でも多くの人に伝えたい」という思いを高めてゆきます。



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