スピリチュアリズムとの出会い




私たちのスピリチュアリズムとの出会いを紹介します。
出会いの前は、一見幸福そうに見えましたが心の内には不安・寂しさ・虚しさを抱えていました。そうした満たされない思いの中でスピリチュアリズムと出会いました。

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−T・S− 

 
幼い頃から家庭的なこと性格的なことから悩み、苦しんでいた頃、私の母はある信仰をしていました。そんな母の後ろ姿を見て自分を救ってくれるものはきっと信仰に違いないと感じるようになっていました。
 ある日、母の勧めもあってその宗教の“錬成会”に出席し、神さまのこと、人生のこと、国家(政治)のことなどを学びました。しかし、まだ自分の心は晴れませんでした。このとらえようのない人生をどう理解したらよいのか。疑問は深まるばかりでした。
やがて学校を卒業し社会人になって、ふとしたことから瞑想の習慣を持つことによって自分の内在する力を発揮できるということを知り、「瞑想」にとても関心を持つようになりまし
た。

の「瞑想」への関心こそが私とスピリチュアリズムとの出会いです。
「瞑想」に関心を持っていた私でしたがスピリチュアリズムの真理を学び始め、これまでの人生で最大の出来事と出会うことになりました。それは神さまとの出会いと言ったらよいのでしょうか。以前から神さまは信じていました。がそれは漠然としたものでした。でもそうではないのです。
神さまは本当に私たち一人一人を見守っていて下さっている、いつもすぐそばにいて下さっている方であったのです。手をのばせばというより、手をのばさなくても私の心のすべてをご存知の神さまが私にぴったりよりそって見守っていて下さっている。「神さまってこんなに身近な方だったのだ」と知った時、私の心からかつての悩み・不安が消えていました。
 そして神さまについて学ぶほどに、体の内から大きな力がわき上がってくるような感じがしました。
 こうした「生きた神さまとの出会い」が私の人生を最高に価値あるものと出来るきっかけになったのです。


−S・S−            

 九州の地にスピリチュアリズムを伝えたいと1994年名古屋から転居しました。家族はやはりスピリチュアリストの夫と子供2人です。
 スピリチュアリズムと出会って20年、いろいろなことがありました。振り返ってみるとそうしたいろいろなことはすべて今の自分にとって必要なことであったと確信しています。
 そうであるなら、この先もまだまだいろいろなこと(苦しいこと、悲しいこと、うれしいことも含め)があってもやはりそれらは自分にとって必要なことであると確信が持てるのです。
人生の歩みのすべてに確信が持てるということは、本当に幸せなことです。そして確信が持てるからこそ絶対の自信をもってスピリチュアリズムについて語ることができるのです。


                 

 私は独身生活が長かったこともあり、20代は自分の気の向くままアルバイトをしたり友人と旅行をしたりお稽古ごとをしたり気楽な生活を楽しんでいました。しかし気の合う友人も1人2人と結婚していき、そうそういっしょに遊び回ることはできなくなっていきました。いつしか育児に忙しい友人を横目に1人で海外旅行のツアーに参加していました。
 あれは中国旅行の帰りの飛行機の中でした。沈みゆく夕日を眺めているうちに、なぜか急にむなしさがこみあげてきました。「私はいったい何をしているのだろう。こんなことをしていてもむなしいだけ。もっとやらなければならないことがきっとあるはず。」
 「何かしなければならない」 − そう思ってもその何かがわかりません。悶々としていたとき、書店でふっと目にした1冊の本をきっかけとしてあるサークルを知りました。そのサークルは特定の宗教のサークルではありませんが、哲学や、宗教的なことに興味を持つ人たちの集まりでした。私はここなら私の疑問の答えが見つかるかもしれないと思いました。
 しかし、2ヶ月、3ヶ月と時が経つにつれ、少しづつそこにも失望していきました。私にとってはどうでもいいようなことを重箱の隅をつつくような議論に熱中する人たちを見て、以前の期待とは裏腹な現実に「もう行くのはやめよう」と思いました。
 そんなとき、そのサークルで1人の女性と話すことができました。その人は私よりずっと年下でしたが、以前から一度話をしてみたいと思っていました。でもなかなかきっかけがつかめなかったのです。
 あるとき、思いきって「私はあなたから何か教えてもらうことがたくさんあるような気がする」と言いました。その人は「聖書から勉強してみない?」と言いました。
 私は「何だ、また聖書か。」と不遜にもそのときはそう思いました。というのは、私は学生時代ミッション系の学校でしたので聖書は持っていましたし、週1回の礼拝の中で聖句の説教もありました。必修の宗教学はキリスト教神学でした。そんな訳で、多少聖書を読んだことはありましたが学生時代に聖句が心にひびいてきた経験は何一つありませんでした。
 ですから「聖書から・・・」と言われても「何だ・・」と思ったのです。ただ、もう卒業して何年も経つのに、また読みもしないのに聖書だけはなぜかいつも机の上にありました。
「そう言われるのならもう一度読んで見ようか」という気になりました。その頃私は強烈な夢を見ました。光の夢です。「きっと何かが起きるに違いない」と思いました。そんな時ですからとても素直に聖書を学び始めました。
 本当に不思議なことですが、私の心の中に、聖句が次々と入ってきました。時期が来ていたのでしょうか。まるで乾いた砂の中に水がしみ込んでいくようでした。聖句がわかるのです。生まれて初めての体験でした。そして聖書を読み始めるのと同時にその女性からスピリチュアリズムを学び始めました。私はやっと疑問の答えを見つけることができたのです。1982年9月のことでした。
 
答えを見つけることはできましたがそれで終わるわけではありません。正確に言えばそこから始まります。やっとスタートラインに立ったということでした。
以上が私とスピリチュアリズムとの出会いです。