町の中の空き地(1.15)

私は大牟田で生活するようになって15年になるが、生まれながらの大牟田育ちというわけではないので、この地域の人の特徴がいくらかなりと客観視できるかもしれない。

大牟田市は、不確かな記憶によると、江戸時代あたりに石炭が発見され、明治維新以降、時の政府のバックアップもあり、財閥三井の根幹をなした一大事業である石炭産業の街として発展していった。戦後の好景気を支えたともいえる。とりわけてこの戦後の一時期は、全国から職を求めて多くの労働者が大牟田に集まったこともあって、市の人口は20万人を超え、小学校数は倍増し、さまざま活気のある街であったという。当時の炭坑労働は重労働ではあったが、働けば大きな収入になったのであろう。「宵越しの金はもたぬ」という風潮があり、炭坑社宅にいけば、高価な化粧品が現金で売れたそうだ。今日、炭坑の閉山をうけて、社宅は次々に取り壊され、私の住む、小浜町周辺は、町の3分の2が空き地と化した。すこし小高いところから眺めると、改めて社宅の町だったんだと驚かされる。あの区画、この区画と更地になったのだ。この風景は、個人的には子どものころに似たような経験がある。熊本市に住んでいたのだが、国道3号線が出来るときに広大な土地の買収が行われ、その時の風景がこれに近いものだった。今みたいに、一変に道路建設がすすむ分けないので、当時は何年にわたってそこは広大な荒れ地となっていた。子どもにとっては格好の遊び場であった。家だけはこわされたが、庭や、家の土台のコンクリート部分はむきだしでそのままであった。当然、けがもした。今はどうであろうか。社宅跡はすべて鉄条網がはりめぐらされており、更地は雑草におおわれている。本当は子どもたちの遊び場になればよかったんだろうが、ここでけがでもしたら今は問題になるので、鉄条網ということになるのだろう。なんだかさびしい気もする。

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