「健康」に弱い (6.15)

部屋の模様替えをした。いらないものが山のようにでてくる。燃えるゴミにだせるものはまだいい。問題は燃えないゴミのほうだ。2週間に1回早朝にだすのだが、1回出し忘れると1カ月出せないことになる。いざ捨てようと思うと、それがそのまま1カ月も家の中にあるのが気になってしょうがない。それまで「何年もあったもの」なのにである。
もう、5、6年も前に健康のためにと思って(きっとテレビかなんかの影響だろうが)ダンベルを買った。重量挙げの超小型みたいなやつで、一応棒があって1キログラムのドーナツ型が4個ついている。それにそれを止めつけるわっかが2個。以上の7個でワンセット、約5キロ。さらに両手でやるものだから、2セットある。買って3カ月もしないうちにあきて止めてしまったのだが、捨てるわけにもいかず、しかし確実に場所をとるし重いから1度置いたところから動かすのもおっくうなものだ。こうして大がかりな片づけをすると決まってでてくる。そして必ず言われる。「これ、どうにかしてよ。」そのたびに、この14個を持ってあっちにうろうろ、こっちにうろうろしながらどこか目立たない奥深くを探して置き場を決めることになる。この辺が有効活用される時がきてじゃまになるまで。

だれかもらってくれないだろうか。つい考えてしまうがそれも無責任だなとあきらめる。ダンベルにはちょっした思い出がある。

このダンベルを買った当時、友人にも勧めたことがあった。40代になると、年齢的にも「健康」という言葉に弱い。それで、その友人はさっそく買い込んで日夜ダンベルに励んだのだが、腰を痛め医者に止められたことがあった。しばらくして、今度は自転車の話しになったときも、20万円もする自転車を買って、はるばる片道5キロの道のりをきたことがあった。せっかくきたから、ちかくまでサイクリングでもしようとなった。車の通りの少ない車道を軽快に飛ばしながら後ろを振り向くと随分離れて来ている。まあ5キロも来たのだからちょっと疲れてるかなと思って、少し休んで帰ることにした。帰りはそれぞれの自転車を乗り換えることになった。ところが、帰りの時に気づいた。今度は私のほうが遅れ気味なのだ。結局この20万円の自転車があまりよくないということになった。以降、この友人が自転車でくることはない。あまり乗ってないようだ。
それから、またしばらくして、私は趣味で太極拳を習い始めた。これも勧めたがさすがに乗ってこなかった。
やはりダンベルがいけなかった。(やり方を正しくすればいいんだろうが)
そういうわけで、ダンベルを誰かにもらってくれとは言えないのである。

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