思いつくままに」
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久しぶりに歩いた(1.15)

極地球の温暖化は、結局のところ、便利な生活をささえている石油・電気の使用のことである。例えば、地球上のすべての人がアメリカ人的生活をすれば地球が5個必要といわれる。我々、日本人の生活水準も同じ様なものであろう。手をこまねいていれば、どんどん自らの首を絞めることになる。

久しぶりに日曜日の午前中、時間がとれたので、三川小の体育館で練習があっている太極拳教室にでかけることにした。昨年6月以来である。といっても急だったし、10時〜12時の練習時間であるが、すでに11時をまわっていたし、雨もふっていたので、タクシーででかけた。880円かかった。目的は、練習というより、年始のあいさつのつもりであった。しかし、練習にタクシーできたと思われるのもいやだったので、ちょっと手前で降りた。これがまちがいであった。小学校の正門をくぐると、いつもと様子がちがう。1台も車が止まってないのだ。とっさに休みだと悟ったが、タクシーはもういない。しかたがないので、太極拳仲間のFさんの家に年始のあいさつでもと歩くことにした。自転車で出かけたことがあったが、歩くとなると、結構、距離はある。傘をさして、太極拳用のシューズをもってである。15分ほどで着いたら、これまた留守である。そういえば、ずーっと以前(30年ほど前)はこうして電話をかけるでもなく、遠くの人の家に歩いてでかけたものだった。いなければ、また日を改めて出かけたものだった。それが普通だった。こうして考えると、時間もたおやかに流れていたんだろう。その後、大牟田駅の近くで昼食をとり、家についたのが午後1時であった。
こういう一日を過ごすと、決して今の生活はだれもが皆、時間に追われていて余裕がなくなったということではないと思えた。電話があり、車があり、それも、ここ2、3年で車に携帯電話というように、江戸時代あたりから考えると、これは瞬間移動に近い感覚で便利になったが、このことがかえって、人間から余裕を奪っているといったほうが正しいかもしれない。車で5分のところを30分かけて歩くことが、とてつもなく時間の無駄をしたような感覚におちいってしまう。電話をかけてアポイントをとれば、ムダにでかけることもないのにという感覚。運転免許のない私としては、もう一つ説得力に欠けるのであるが、車を運転している時に落ち着くという感覚は、以前であれば、一人歩いている時に感じたものに近いのではないか。それはいわゆる散歩であったり、どこかへでかけることであったりする中で、歩きながら考えることで、リラックスしていたことが、今はドライブというかたちで燃費を気にしながら、走らせているのではないか。こうして総体として大量の化石燃料を燃やし続けていないか。もうひとつはやはり運動不足だ。太極拳にタクシーで乗り付けるやつにいわれたくないかもしれないが、普段に歩くことが激減しているはずだ。携帯電話とインターネットは、この歩くことで得ていたものを一層、削り落とすかもしれない。

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