女神との戦いの後、皆の優れた働きのおかげで国内は落ち着きを取り戻しつつある。
クリミアも、デインも、ベグニオンやガリア、セリノスの鷹、鴉、鷺、ゴルドア・・・たくさんの国では英雄達が飛び回っているおかげで未だベオクとラグズの確執はあるものの、互いが認めあう日もそう遠くない未来に実現しそうな勢いだ。
ベグニオンの皇帝であるサナキはこれからは神使としてではなくただの人として、王として国を治めることを決め、日々多忙な一日を送っていた。そのせいだけではないのだろうがサナキは急に熱を出して倒れてしまったのである。
部下達の心配の目をよそにサナキは執務を続けようとしたのだが、シグルーン率いる部下一同に押し切られ、今日一日はゆっくりと休むことになった。部屋に様子を見に来てくれたシグルーンはおもしろおかしく話をしてくれ、先程窓を閉めてドアから「ごゆっくり」といって出て行った。
その後は自室のベットでおとなしく横になってはいるものの、熱があるであろう体の倦怠感が邪魔をしてなかなか眠りにつけない。天井はぼんやりとくぼんでいるようにも見え、窓から吹いてきた風が肌に冷たく突き刺さる。だがサナキはしばらく考えた後、ある事実に行き着いて体が硬直したかのような感覚に見舞われた。
・・・窓から風?
重たい頭はなんともないように一瞬思わせたが、よくよく考えればおかしな事だ。
先程シグルーンはきちんと窓を閉めていったはずだ。
つまり窓は開いていないはずであって、風など入るはずもないのだ。
しかも、窓の方からは何者かが侵入してくる音が聞こる。
これが賊であるならさすがにまずい状況だ。体調が万全でない時にまともに応戦できるとは思えない。それにここの窓は三階にある。ということは間違いなく空を飛べるラグズだ。なおさらまずい。
サナキは近くに置いてあったウインドの魔道書をさっと布団の中に潜り込ませる。
ないよりはマシだ。
だが、その行動も次の瞬間には無意味だと悟った。
「皇帝(カエサル)?寝てしまったのか・・・?」
ひどく馴染みのある男の声だ。忘れるはずもない透き通った、声。
その男は不審気に呟くと、ベットに近づいてきた。意味もないのに胸がドキドキしている。
賊でない事が分かって安心すると、サナキはこの男に少し意地悪をしようと悪戯心がわき出てきた。
男はまいったな、といった様子でもともと立っている前髪をさらに上に押しつけた。
「・・・タイミングが、悪かったか・・・」
そう言ってため息をついて去ろうとする黒い影。てっきり起こしに来るものと踏んでいたサナキは事態の意外な展開に慌てて飛び起きた。ここで帰られては虚しいばかりだ。
「鴉王(キルヴァス王)!待つのじゃ!」
行くなとばかりに必死な形相でいうと、その男―――ネサラはくくっとのどで笑った。
そして小憎らしげに話しかけてきた。
「やっぱり起きてたな?」
「・・・そなたの方が一枚上手だったようじゃな・・・むぅ・・・」
サナキはそうは言いながらも脳内ではなんとか奴に仕返しする方法を考えていた。
先程まで熱で霞がかっていた思考はなぜか今は驚くほどクリアだ。
そしてサナキはこれだ!とばかりに身を乗り出して言った。
「鴉王、お主こそ皇帝の部屋に窓から入ろうなど・・・まして女の寝所に無断で!これはどう考えても変態のする事じゃぞ?」
どうだ、何もいえまい!とばかりにふんぞり返る。が、ネサラは平然とした顔で言い返してきた。その姿はいつもと変わらぬ優雅さを兼ねそろえた王の威厳がただよっている。
「まぁ、窓から入ったのは悪かったな。・・・それから、皇帝はいいとしてだれが女だって?」
「し、失礼な奴じゃな!確かに今はまだ幼いが、私だって今に姉上のような可憐で美しく優雅な乙女に・・・」
そこまでいいかけた時サナキははっとネサラを見た。
なんとネサラは腹を抱えて笑っていたのだ。なんともまぁ、見た目に反した小憎らしい王であろうか。
「分かってるよ、皇帝。ああ、立派な女だったな、悪い悪い。数年先が楽しみだ」
「何かひっかかるが・・・分かればよいのじゃ」
コホン、と咳払いをすると、ネサラはベットにさらに近づいてきて・・・サナキのすぐ隣に腰掛けた。
「寝てろ。その方が少しは楽になる」
額を抑えてベットに押し戻された。
触れている相手の手が冷たいのか、サナキの額が熱いのかは分からないが、その温度差はサナキに心地よさと安堵感をもたらした。
「すまぬな。いかんせん体が言うことをきかぬ。見舞い・・・であろう?」
「気にするな。セリノスの外交官としては皇帝が倒れたと聞けば、お見舞いに来るのは当然だ」
すらすらと義務のように返事を返したネサラだったが、その様子にサナキはかすかに微笑んだ。
「セリノスの外交官としてここへ来たのだな?」
ネサラもサナキの意図をくみ取ったのであろうか、一瞬きょとんとしていたが、すぐに微笑んだ。
「それだけじゃあ不満なのか?」
「ああ、不満じゃな」
そしてお互いに顔を見合って笑った。もう笑いが止まらなくて、涙腺がゆるんでしまう。
ネサラは片手で顔を覆い隠すようにして笑いながら、言った。
「個人としても心配で見舞いに来たんだよ」
「そうか。心配してくれたのじゃな」
「まぁ、な。ああ、それから」
思い出したかのようにネサラはサナキを見つめて言い放つ。
「俺はもうセノリスの外交官であってキルヴァスの王じゃないんでな。次からはネサラと呼んでくれ」
サナキも納得して、改めてその名を呼ぶ。たいしたことでもないのに、妙に緊張してしまう。
「では、ネサラ」
「何でしょう、皇帝」
思った通り、いまさら丁寧な口調で話してくるネサラにサナキは一拍おいてから言う。
「公の場合は皇帝で構わないが、個人的な時はサナキと呼んでくれ」
ネサラもサナキの言葉を予想していたようで、にやりと笑みを浮かべた。
「仰せの通りに・・・サナキ?」
「うむ。満足じゃ」
嬉しそうな表情をすると、ネサラは立ち上がって籠に入った果物を棚の上に置いた。
おそらくお見舞いの品だろう。色とりどりの果物はどれもおいしそうな輝きを放っている。
サナキはそれを一瞥した後に、視線をネサラへと移す。
どうやらもう自国に帰るつもりらしい。
「ネサラ、すまぬな」
「馬鹿だな。こういう時はありがとうと言え。・・・しっかり休めよ」
ネサラは入ってきた窓から飛び立つのかと思いきや、背中の黒い翼はピクリとも動かさず、挙げ句の果てに窓をきちんと閉めて鍵をかけてドアから出て行った。
しばらく唖然としていたサナキだったが、自分が窓を閉めにベットから出なくても良いようにあえて窓から出ずにドアから出てくれたのだと理解すると、嬉しくなって枕に顔をおしつけた。しまりの無い顔はいっそうゆるんで、元に戻らないのではないかと思わせるくらいだ。
「・・・ネサラ、ありがとう」
届くはずの無い言葉を枕に投げかけ、サナキは夢の世界へと意識を沈めた。
ネサラは廊下に出て、すぐに見知った人物に出会った。
その人物は遠くから微笑みを浮かべながら手を振って歩いてきた。
他でもない、シグルーンである。
「どうでしたか?サナキ様は」
「ん・・・まぁ数年後が楽しみではあるな」
「・・・まぁ、それでも良しとしておきましょうか」
「・・・そうかい」
たがいに微笑みを始終崩さなかったものの、辺りの空気は緊迫したものになっていた。
シグルーンとしては主の恋路を助けながらも誰にも渡したくはないという複雑な心境だった。