通玄寺は開其を霊峰和尚、開山を字山和尚としております。

 当寺はそもそも霊峰和尚が「朝陽堂」と称し、茶に親しまれていた小堂であったとされています。 霊峰和尚は宝永二年(西暦1705年)、同市内に「慧日寺」を開山されました。

通玄寺は慧日寺と、やはり同市内に元禄元年(西暦1688年)に鉄文和尚により開山されました「法雲寺」との中間に位置し、 霊峰和尚がその往来途上に立ち寄られていた休憩所だったとされています。

 霊峰和尚には五人の徒弟がおられ、そのひとりに字山和尚がおられます。
字山和尚は師僧である霊峰禅師より朝陽堂において黄檗禅を宣布せよとの命を受けられ、ここに宇治山通玄寺と命名されたました。時に宝永三年(西暦1706年)のことです。

現在は黄檗山萬福寺の末寺ですが、創立当初は慧日寺の末寺でありました。

 御本尊である釈迦牟尼仏は創立と同時に奉戴されたもので、伏見の工匠の作です。

また安永年間に至り、第三代・大元和尚は大梵鐘を建立されましたが、昭和十七年に戦時供出となり、現存する梵鐘とは別のものです。