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改訂版 法華経 と 涅槃経 の優劣  まとめ

↑樋田氏の新論点(平成281117日)

 

同じことの繰り返しですから 既に反論している  法華経 と 涅槃経 の優劣 まとめ

に譲りますが、新しく提示された論点には一応、反論しておきます(緑色が樋田氏の引用)。

 



@
 法華経 優 

 

■ 「我が所説の諸経 而(しか)も此(こ)の経の中に於いて 法華最も第一なり(中略)我が所説の経典、無量千万億にして、已(すで)に説き、今説き、当(まさ)に説かん。而(しか)も其(そ)の中に於て、此(こ)の法華経、最も為(こ)れ難信難解なり」(『法華経』法師品第十)

この経文中、「已に説き」とは42年間の方便教のことであり、「今説き」とは開経の無量義経であり、「當に説かん」とは、法華経の後に説く結経の普賢経(ふげんぎょう)と、そして『涅槃経』を意味します。

すなわち、過去・現在・未来のすべてにわたる一切の経典の中で、この法華経こそが最も勝(すぐ)れた経典であると、釈尊自らが宣言されているのです。
これを「已今当(いこんとう)の三説超過」といいますが、これについて

中国天台宗の第六祖・妙楽大師は、

■ 「縦(たと)ひ経有って諸経の王と云ふとも、已今当説最為第一と云はず」(『法華文句記』)

と述べられています。

すなわち、当分の第一として「この経が最も勝れている」という意味の経文は諸経のあちこちに示されていても、過去・現在・未来の一切のなかで「最も勝れている」と宣言されるのは、法華経以外にはありません。

したがって、「法華経こそが最も勝れた、最高の教法である」と言えるのです。


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  疑難 ▼ 過去・現在・未来の中で「法華経、最も為(こ)れ難信難解なり」と仰せになっていますが、「最上なり」とは仰っていませんね?

 

 



  反証 ★ → まさに、「語」にとらわれている浅はかな姿。

■ 薬王今汝に告ぐ 
@ a 我が所説の諸経  b 而も此の経の中に於て  c 法華 d 最も第一なり」
爾の時に仏、復、薬王菩薩摩訶薩に告げたまわく、

A a 我が所説の経典、無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説かん。 b 而も其の中に於て、 c 此の法華経、 d 最も為れ難信難解なり。 (『法華経』法師品第十)

この文脈から言って、「全ての経の中で法華経が第一である。」と、まず示され、その意義を再度、念入りに説くために、次の

■「我が所説の経典、無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説かん。而も其の中に於て、此の法華経、最も為れ難信難解なり」

と仰せられるのである。

最初の文 @ と、後の文 A を比較して並べてみる。

前段 @

後段 A

a

我が所説の諸経

我が所説の経典、無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説かん。

b

而も此の経の中に於て

而も其の中に於て、

c

法華

此の法華経、

d

最も第一なり

最も為れ難信難解なり。


こうして見れば、最後の句の @d 「最も第一なり」 は Ad 「難信難解」 と同格、同義の扱い、同じ位置付けの意義となるではないか。

これは、単純に文章読解力の問題である。
もしこの問題が高校試験に出題されて、「最も第一なり」 は 「難信難解」 と同格、同義の扱い、同じ位置付けの意義と読めない、と回答したならば、まず間違いなく不正解である。

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全くの詭弁です。

 

ちゃんと文を引いてみましょう。

 

薬王今汝に告ぐ 我が所説の諸経


>而も此経の中に於て 法華最も第一なり

 

>爾時、仏、復薬王菩薩摩訶薩に告げたまはく、

 

>「我が所説の経典は無量千万億にして、已説、今説、当説あり、而も其中に於て此の法華経は最も為れ難信難解なり。

 

 

注目して頂きたいのは、文の省略がない事です。

 

樋田氏の読み方だと、釈尊が同じことを2回言った事になります。

 

しかし、普通に読んでみれば次のようになります。

 

「我が諸説の諸経」とは、「これまで説いてきた教え」であり、法華経はその中で最も第一だと指摘されております。

 

そして、「已説(既に説き)、今説(今、説き)、当説(これから説く)あり」過去・現在・未来に渡って言えば 法華経が「最も為れ難信難解なりなのです。

 

 

 

 

樋田氏の作図した図表をそのまま用いれば、dのようになります。

 

前段 @

後段 A

a

我が所説の諸経(これまで説いてきた教え

我が所説の経典、無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説かん(過去・現在・未来に渡っての教え

b

而も此の経の中に於て

而も其の中に於て、

c

法華

此の法華経、

d

これまで説いてきた教えの中では)最も第一なり

過去・現在・未来に渡っての教えでは)最も為れ難信難解なり。

 

 

 

つまり、これはその後の涅槃経へと繋がっていくうえで、法華経が最も関門になるという事を言っているのです。

ちなみに、なぜ「難信難解」なのか?

 

 

以下 引用

 

 

 

日蓮聖人はこの部分を、私たちが法華経に帰依すべき、とても大切な証拠であると重視されておりますが、

 

それでは何故、わざわざ難しい法華経に帰依すべきなのでしょうか。

答えは法華経が「
髄自意」であるからです。

髄自意とは、「お釈迦さまの自らの意識のままの教え」といえるでしょう。

髄自意と対をなす言葉に「髄他意」があります。


説法の聞き手である者の、興味や能力に合わせて、教えを説いてくださることをあらわし、これはとてもわかりやすく聴衆にうけました。

お念仏を唱えれば、苦行をしなくても浄土へいける、阿弥陀様にお任せするという浄土宗や浄土真宗の教えがこれにあたります。

しかし、これは全体に広く行きわたったり、例外なくすべてのものに当てはまるといったことがなく、お釈迦様の普遍的な教えを求めたとき、辿り着くのは「お釈迦さまの自らの意識のままの教え」でした。これが法華経、イコール髄自意の教えです。

 

 

 

 

 

以上 引用終わり

 

 

つまり、「難信難解」という言葉をわざわざ用いたのは意味があっての事だという事ですね。

 

 

後半部分は繰り返しになりますが 法華経 と 涅槃経 の優劣 まとめ で、反論しつくして、未だ法華経が涅槃経に包摂されるものであることへの反論はありません。

 

 

 

 

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