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涅槃経 「正法の余八十年、前四十年、是の経復当に閻浮提に於て、大法雨を雨(ふら)すべし」 に再反論

 

↑樋田氏の議論(平成281118日)緑が樋田氏です。

正直、面倒だとも思っているし、1日中パソコンに張り付いている事もできませんので、これからは重要な論点だけを議論したいです。

 

論点は大般涅槃経四依品第八です。

http://www.archive.org/stream/kokuyakudaizky08tokyuoft#page/247/mode/2up

 

 

 

【矛盾】

@ 時が外れている。 
P170
 49節 では  「正法滅して後80年、もしくは正法最後の40年」 に出現することになっているではないか。
解説によると、正法500年 正法1000年 という両説を挙げているが、そのどちらを取っても、伊藤真乗の誕生年と合わない。
この説だと、現代の釈尊の聖滅年の研究から概ね紀元前後、もしくは五世紀位に出現しなければならない。
伊藤真乗は1906年生まれである。全く外れている。

 

 

良く読んでくださいね?

 

まず、P17042節で「佛迦葉に告げたまはく『善男子、我般涅槃して後四十年の中、閻浮提に於いて廣行流布し、然して後乃ち當に地に隠没すべし』

 

(現代語訳:釈尊は迦葉に告げられた。「私(釈尊)が亡くなって40年間は、涅槃経は広く流布するが、そののちは地中に埋もれるであろう」

 

と仰り、P1701714752節で

 

 

47節「迦葉、佛に白して言さく『世尊、如来滅後四十年の中、この大乗経大般涅槃経、閻浮提に於いて廣行流行し、是を過ぎて已後地に没せば、

却後久如にして後當に還っていづべきや』

 

(迦葉菩薩は釈尊に言った。「釈尊が亡くなって40年の間涅槃経は流布し、それが終わって地に没したなら、いつまた地上に現れますか?」)

 

48節 「佛、言(のたま)はく、『善男子、若し

49 正法の余八十年、前四十年、是の経復当に閻浮提に於て、大法雨を雨(ふら)すべし』

 

釈尊は仰った『もし私の滅した後80年、特にその前半の40年、大般涅槃経はこの世で大法雨を降らすだろう』)

 

 

50節 迦葉復佛に白して言さく『世尊、是の如きの経典、

51 正法滅するの時、正戒破るの時、非法増長するの時、如法の衆生無きの時、

52節 誰か能く聰受し、奉持読誦して、其をして通利せしめ、供養恭敬し、書写解説せん。

唯、願わくば如来、衆生を憐憫して分別し、諸々の菩薩をして聞き已りて即ち阿耨多羅三藐三菩提を退かざる事を得しめよ』

 

(迦葉菩薩は又釈尊に言った。「釈尊、この経典が滅する時、誰がこの経を説くのでしょう。願わくば諸々の菩薩に悟りの智慧を残してください」)

 

 

つまり、「釈尊滅後1000年後(説としての「正法時代」)の余80年、前40年」と字義通り読めば、

 

その直後に迦葉菩薩が「正法の滅する」時の事に言及するのと矛盾します。仏教の説である、いわゆる「三時」が成立しません。

 

つまり涅槃経の趣旨から言って「正法時代」の後、すぐにまた涅槃経が現れて全てが救われる時代が来ることになり、

 

そもそも「正法」「像法」「末法」という時代区分は不要になります。

 

文意から言っても、他の箇所で説かれる悪世の様相とも矛盾するという事です。

 

いわゆる佛教説の「正法」の時代はまだ仏法が活きているのでしょう?

 

そんな世の中に涅槃経が現れてどうするのですか?

 

単純に

 

「釈迦滅後40年、涅槃経は栄えるが、その後(40年かけて)無くなっていく」

 

これを受けて迦葉菩薩が「正法がなくなるならどうすれば良いのですか?助けて下さい」と申し上げる。

 

そこから「善哉、善哉」と縷々涅槃経を説くものの出現を説明していくのです。

 

で、その人とはP17354節やP17767節などに記述されているわけです。

 

是が本当の「義に依って語に依らざれ」の読み方です。

 

 

 

注釈も樋田氏も経文を素直に読まずに仏教の説に過ぎない「正法」「像法」「末法」というフィルターを通しています。

 

悪意を以てモノを見れば、それは歪んで見えるのではないでしょうか?

 

 

 

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