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「法華経が最勝 と主張するのならば他の経典は全て否定されなければ矛盾ではないか。」 との幼難を指導する への反論

 

 

 

 

「法華経が最勝 と主張するのならば他の経典は全て否定されなければ矛盾ではないか。」 との幼難を指導する

↑樋田氏の主張です。

少しだけ反論を加えます(緑色が樋田氏)。

大集経 「隠没」 と 「損減」 についての回答を兼ねています。

 

    細かいことのようだが『※@ 隠没』 の訳は歴史民俗用語辞典からの引用で、仏教用語としては正しくない。
純粋に 「隠れ、没する」 と訳すべきであり、その方文意通じる。
今後も、同様な問題が予想できるのだが、言葉の訳し方は、あくまで仏が説こうしていた意に通じるかが肝要なのである。
つまり経典の教旨の全体観に立った上で細部を見て行かなければならない。

 

 

で?事実、経典は「隠れ」「没し」たのですか

 

ならば日蓮大聖人は何の勉強もせずにいきなり独悟して佛にならないといけない道理でしょうね?

 

だって、学ぶべき経典が没して存在しないのだから。

 

 

 

  ここが、やはり幼学の者の多く陥る邪難である。
一切経は全て法華経へ向けて説かれた方便教である。
(涅槃経は法華経の「流通分」にあたる)
しかし、真実の仏の悟りである法華経が説き出だされたならば、その法華経の教説を根本に据えた上で、方便の教えである一切経も、活用・依用出来るのである。

 

 

はっきりしない根拠でいきなり「方便教」だの「流通分」だの言われても、「何故?」としか言いようがありません。

 

 

「法華経が最勝 と主張するのならば他の経典は全て否定されなければ矛盾ではないか。」と。

 

 

そもそも私、そんな事申し上げました?

 

申し上げたとして、最重要の論点「法を説く正当性の根拠」にとってさほど重要な議論とも思えませんが、なぜ噛みつくのです?

 

真っ向から、論点をずらさずに私と議論しようとしないのは何故ですか?

 

 

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