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「若し善比丘有って法を壊(やぶ)る者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せずんば、当に知るべし、是の人は仏法の中の怨なり。」 とどう整合性をとるのか? への反論

 

 

 

「若し善比丘有って法を壊(やぶ)る者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せずんば、当に知るべし、是の人は仏法の中の怨なり。」 とどう整合性をとるのか?

↑樋田氏の主張です。反論文が短く読みやすくなったのは助かります。

では反論を加えます(緑色が樋田氏)。

 

 

 しかし、大般涅槃経名字功徳品には
「八大河悉く大海に帰するが如し」
(「南無阿弥陀仏」の河も、「アーメン」と唱える河も、はたまた「南無妙法蓮華教(
ママ)」と唱える河も、河はやがて海に行きつくように)という意味
と説かれ、

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      もしその文の「解釈」が正しいのならば、
念仏も、キリスト教も、日蓮大聖人の教えも全て許容し、一緒に仲良くやっていきましょうよ。
ということか?
違うのなら、も少し詳しく説明してください。

 

 

そうです。

一緒に仲良くやります。

そもそも真如苑には「邪教」の概念が存在しません(かつてある教団に限って一時、邪教としましたが、現在では他宗の悪口はありません)。



で、仮にもしそうなら、詳しく同じ涅槃経に
「若し善比丘有って法を壊(やぶ)る者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せずんば、当に知るべし、是の人は仏法の中の怨なり。」
とあるが、この 
@ 「法を壊(やぶ)る者」 とはどういう類の人々なのか。

 

 

真如苑の禁忌は「金銭問題」「権威で脅す」「不義不貞の情」だと申し上げたはずです。

即ち、人の道に反するもの=法を壊る者  です。

 

 


そして、その者を、知っていながら、放置したままで、
「呵責」=その誤りを指摘し、叱り、責めること。
「駈遣」=追い払うこと。
「挙処」=悪をはっきり指弾しその悪事に対してきちんとした処置を行うこと。
をしなかったら、仏法の怨敵である。とされているが、
具体的にはどうしたらいいのか説明してください。

 

 

まず、その人が真如教徒である場合、一番軽いのは「注意」。

 

それでもダメなら段階的にいくつかのペナルティが課され、最悪は永久追放です。

 

で、一般の真如苑と関係のない人に関しては、相手の立場を尊重しつつ相手が反省できるように促します。

 

私が樋田氏に対してやっている事も「呵責」の一つですよ?

 

普段、私はここでやっているような闘争を好みません。

 

従って、無意味だと思ったらすぐに手を引きますよ。

 

人事を尽くしてダメなものは、どうしようもありませんからね。

 



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