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ユリウス・カエサルは「人は自分が見たいものしか観えない」と言いました。

 

わざわざ感想をお寄せ下さった日蓮正宗の信者の方には少し腹立たしい内容になるかとは思いますが、私の言い分も聞いていただきたい。

 

しかし、具体的内容では
「法華経 優 涅槃経 劣」
と明確に経文に示されている(勉強不足である私が読んでも)にもかかわらず、全く己義、邪義を唱え続けている。
その姿はまさに邪宗教に洗脳された悩乱者そのものでしかない。

 

 

お言葉ですが、「涅槃 優 法華 劣」について、私は以下、文証も添えて反論しています。

 

涅槃経 と 法華経 の優劣について反論

 

改訂版 法華経 と 涅槃経 の優劣  まとめについての反論

 

 

樋田氏は、是に取り組まず、訳のわからない論点に逃げているだけだと言うのが議論の大まかな流れなのですが、「自分の見たいものしかみえませんか?」

 

そもそも、私たちの議論、理解できているのですか?

 

 

更に、付け加えれば

「と思われる」「のようなイメージ」

など、曖昧な表現が目立ちすでに論が崩れていることは明白であった。
にもかかわらず、樋田氏に対して「挙げ足取り」との言いよう。
ただただ、お可哀想。

 

 

私も真如苑の仏法理論を振りかざして、「伊藤真乗はこういっている。だから日蓮正宗は浅薄なのだ!」と力強く言い切れば良いですか?

 

樋田氏は文も引かずに、天台智のでっち上げた一念三千を釈迦が説いたというような嘘までついていますが、言い切りさえすれば「論」に見えますか?

 

樋田氏の言っている事は、ネットを漁ったコピペがほとんどです。

 

だから、(古文という事もあり)難解な文章を羅列するだけで、自分の言葉で積極的な相手に響く言葉が出ないのです。

 

それを、古文もろくに読めない、仏法のなんたるかもわからない人(申し訳ないが、ここでは貴方の事です)に何が解るというのですか?

 

「〜と思われる」「〜のようなイメージ」との結論に至った根拠、筋道があれば、それは一般的には「論理」と言います。

 

論理とは何か御存じないだけです。

 

ついでに申し上げれば、古文を引かずに仏法を語れない人は学者であって仏教徒ではない。

 

たんなる頭でっかちです。

 

自分がそれをどう身に着けたか、文章から滲み出てこないのです。

 

 

私はこの邪教を絶対許すことは出来ない。
完全に抹殺してしまいたいと強く思う。
「抜苦代受」などありもしないインチキで、病気で苦しむ人、その家族からお金をむしり取る。
藁をも掴む思いを弄ぶように。
私の近しい人で何人も見て来た。
この人たちはもう宗教、特に仏教を信じられなくなってしまっている。

 

貴方が救いたいと願う人を貴方が導けないのは真如苑のせいだと仰るのですか?

 

リアルの生活でも、良い事は信心のおかげ、悪い事は自分以外の誰かの責任。

 

そうやって生きておいでですか?

 

信心を志す者は、どんな理不尽も自分の責任だと受け止めます。

 

お解りにはならないでしょうね?

 

私たちは個別に存在するのではない、相互依存の関係性の中に生きています。

 

そこで、自己のあり方を変えれば、当然、関係性も変わります。

 

でも、何かに責任転嫁して自分は題目しか唱えない、なんて事で何が変わるでしょうか?

 

 

法華経、日蓮仏法、本門戒壇の御本尊様と縁する機会さえ奪ったのだ。
真如苑は単なる詐欺集団に過ぎない。
いや、大謗法集団にである。
確実に無間地獄に堕ちるであろう。

 

 

こういう脅しも日蓮正宗は好きですよね?

 

法華経が一切を救う完璧な教えなら、その「無間地獄に堕ちる」輩も救ってくださいよ。

 

法華経には「闡提成仏」も説かれているそうじゃないですか?

 

貴方のように頭から「他は邪教、日蓮正宗バンザイ」という所からいくら勉強しようが、論を聞こうが、正しく理解はできませんよ?

 

「人は自分の見たいものしか観えない」からです。

 

っていうか、結論が先に出ているのだから勉強するだけ無駄です。

 

 

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