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やはり面白い方だ。

 

 

私が貴方にお会いしたいと思った時点で、私は限界を超えた困難(と私に観念されるもの)に向き合っている事がお解りになりませんか?

 

お解りにならないでしょうね。

 

日蓮正宗の方は、私に言わせれば基本、現世利益の信心です。

 

本来ならば法華経を信じるが故に刀杖の難に遭うべきを、遭わずにすんでいるのは日蓮大聖人の抜苦代受でしょうか?

 

 

しかし、困難から逃げて楽をしてきた者は仏法以前の問題として、人間的にも浅はかです。

 

 

大日如来 あるいは久遠常住釈迦牟尼如来でもいい、
もし、真理そのものが不変に常住しているのならば、どこにでもあるんだから誰でも即、解脱出来るはずではないか。
なんでわざわざ中間に人を介する必要がある?
我々だってそもそも宇宙の一部なんだから、真理の一部もしくは全体であろう。
なぜ、悟れない?というか、なぜそもそも迷って苦しんで不幸なのか?

 

 

 

樋田さんは一体、30年超の時間、何を学んでこられたのでしょうね?

 

我々も宇宙の一部、その通りです。

 

なぜ悟らないか?

 

なぜ苦しむか?

 

業があるからですよ。

 

業とは何か?

 

それを教えるのが真如苑であり、仏教です。

 

それは理論理屈で言えば「無明」の一言で終わりますが、現実の我々の救済という観点からは人それぞれです。

 

 

 



ではなぜ空海だけが特別なのか?その因果因縁は?
なぜ真乗だけ特別なんだ?

 

 

 

 

 

逆に伺いますが、なぜ日蓮大聖人だけ特別なのです?

 

貴方はその論証をまだなさっていませんよ?

 

さらに言えば、それって言葉にするものですか?

 

「すごい!」と感じる宗教的感動があれば十分だと私は思いますけどね。

 

 

 


真乗の出所の正当性の裏付けはもう崩れた。
ならば真乗だけなぜ特別にその真理とやらを悟れる因果因縁があったのか?

何も説明できないではないか。

 

 

「涅槃経で御指名の伊藤さん」はまだ論破されていないと記憶しますが?

 

それに真如教徒が伊藤 真乗や現在のトップである伊藤 真聰を「大僧正だから」とか、そういう理屈で崇拝していると思いますか?

 

目があっただけで「この人の弾除けになってやる!」と思わせる、それだけの威力があるという事しか信じる元はありませんよ。

 

 

今日の体験談を読んでハッとしたことがある。
実は対面対論した時にも感じてはいたが、貴方自身も、実は大変顔色が優れず、薄黒く、目も、創価学会に心底入れ込んだ連中のような目であった。
その目の状態は具体的にここでは言わぬが、今まで仏教もどきに魂を奪われた大勢の者達と対面してきた経験から、貴方もかなりヤバい状況であるな。という印象をもっていた。
そこへ今日の体験談である。
やはり、顔が薄黒い、という。
元々の地黒というのではない。精気が抜かれた黒さなのである。

 

 

もう論に詰まって顔色の話ですか?

 

私の精気が抜かれたように見えて当り前です。だって、それだけの困難を背負っていますから。

 

何の道具も使わずに、100メートルの崖を飛び越えて来いと言われるような状況ですよ。

 

私に出来る事は?

 

理想的には神力を発揮して現状を打破する事です。

 

現実に出来る事は?

 

み佛に祈る事です。

 

 

今日も一日、こうして貴方相手に与太飛ばして過ごすことが出来ましたが、私には明日の保障など無いのです。

 

伊藤 真乗はもっと大変だったのだろうなと思いますよ。

 

考えてみれば誰でもそうです。

 

明日、生きている保障などどこにもない。

 

そういう事に気づくかどうか?

 

他人の顔色をうかがう前に、ご自分の心を見返ってみたら良いと思いますが?

 

 

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